台風10号が迷走するのと一緒に、体調もココロもふらふらしていたわたし。東海地方から離れていって
もどうにも落ち着きませんでした。それは、台風が東北地方へ向かっていたから。それも、岩手県南のわたしの故郷あたりを直撃しそうなので、今は誰も住んでいない実家が心配だったのです。それから、台風に慣れていない東北の皆さんの不安はどんなだろう、と思っていました。
一夜明けて、実家のあたりは大丈夫だった様子がわかりましたが、気持ちはなにか落ち着かない。北の方ではいろいろ被害も出ているようで、空は台風一過の青空でも、悲しいような。
小さく飛行機 ずっと左
さて、すこしずつ生活を通常モードに戻すべく、今日はヨガに行ってきました。体がだれきっているので
簡単ではないだろうなと思っていましたが、予想以上に大変でした。筋肉が落ちているのがはっきりと自覚できました。前屈もお腹が苦しいほどジャマ。行き帰りの自転車も、ももの筋肉が落ちているのかヨロヨロします。外に出ないで車に乗ってばかりいたからね。
岩手の空
そんなパッとしない一日でしたが、ひとつだけがんばったことがあります。それは、座布団カバーを作ったこと。昨日、例のごとく息子の運転の練習をかねてホームセンターに行ったところ、夫が座布団カバーを買おうと言いました。どうも、かねてより、息子の部屋にころがっている座布団が縫い目がほつれて綿がボヨヨーンと飛び出しているのが気になってしょうがなかったようなのです。
この座布団、結婚するときにおばあちゃんが持たせてくれたもので、もう三十年もたつのです。大阪の狭いアパートに八端判の五枚組なんて、どう考えてもいらないような気がしたのですが、「お客さんが来たときにいるんだから」とおばあちゃんの強い意志で、ウチに来ることになりました。
お客さんに使うことはほとんどありませんが、子どもが赤ちゃんのころは、ころんと転がしていたり、折り曲げられて枕になったり、ある時はアイロン台のかわりになったり、なにやかやと日々われわれの近くにあって、三十年となりました。そりゃあ、ほつれて綿が飛び出て当たり前です。それを隠すのにカバーが要ると夫が思ったわけですね。(ずっとずっと思っていた、が正しい)
でも、ホームセンターの変な和柄やポリエステル素材はいやなのです。「こんなのミシンでダーッと縫うから。」と簡単に言って今日になったわけです。
座布団とついでに昔作ったシートカバー
ミシンを運ぶのもひと苦労。これもおばあちゃんが買ってくれた四十年ものです。黄色の大きなチエックの綿の布を使ってダーッと作りました。でも本当はダーッとはいかないの。糸の調子がうまくいかないのでゆっくりゆっくりだましだまし作りました。あとは、スナップをつけて完成です。
BSでイングリット・バーグマンの「ガス燈」が始まるころ、座布団を補修し始めて、映画が終わったころそこまでいったので二時間かかったことになります。
こんな刺繍 今は無理
気がつけば三十年の座布団ですが、おばあちゃんの思い出もあるし、綿がボヨヨーンなんてかわいそうなまま放置せずに、大事にしないとね。古ければ古いものほど大事にする夫のおかげで、座布団ひとつよみがえりました。
もどうにも落ち着きませんでした。それは、台風が東北地方へ向かっていたから。それも、岩手県南のわたしの故郷あたりを直撃しそうなので、今は誰も住んでいない実家が心配だったのです。それから、台風に慣れていない東北の皆さんの不安はどんなだろう、と思っていました。
一夜明けて、実家のあたりは大丈夫だった様子がわかりましたが、気持ちはなにか落ち着かない。北の方ではいろいろ被害も出ているようで、空は台風一過の青空でも、悲しいような。
小さく飛行機 ずっと左
さて、すこしずつ生活を通常モードに戻すべく、今日はヨガに行ってきました。体がだれきっているので
簡単ではないだろうなと思っていましたが、予想以上に大変でした。筋肉が落ちているのがはっきりと自覚できました。前屈もお腹が苦しいほどジャマ。行き帰りの自転車も、ももの筋肉が落ちているのかヨロヨロします。外に出ないで車に乗ってばかりいたからね。
岩手の空
そんなパッとしない一日でしたが、ひとつだけがんばったことがあります。それは、座布団カバーを作ったこと。昨日、例のごとく息子の運転の練習をかねてホームセンターに行ったところ、夫が座布団カバーを買おうと言いました。どうも、かねてより、息子の部屋にころがっている座布団が縫い目がほつれて綿がボヨヨーンと飛び出しているのが気になってしょうがなかったようなのです。
この座布団、結婚するときにおばあちゃんが持たせてくれたもので、もう三十年もたつのです。大阪の狭いアパートに八端判の五枚組なんて、どう考えてもいらないような気がしたのですが、「お客さんが来たときにいるんだから」とおばあちゃんの強い意志で、ウチに来ることになりました。
お客さんに使うことはほとんどありませんが、子どもが赤ちゃんのころは、ころんと転がしていたり、折り曲げられて枕になったり、ある時はアイロン台のかわりになったり、なにやかやと日々われわれの近くにあって、三十年となりました。そりゃあ、ほつれて綿が飛び出て当たり前です。それを隠すのにカバーが要ると夫が思ったわけですね。(ずっとずっと思っていた、が正しい)
でも、ホームセンターの変な和柄やポリエステル素材はいやなのです。「こんなのミシンでダーッと縫うから。」と簡単に言って今日になったわけです。
座布団とついでに昔作ったシートカバー
ミシンを運ぶのもひと苦労。これもおばあちゃんが買ってくれた四十年ものです。黄色の大きなチエックの綿の布を使ってダーッと作りました。でも本当はダーッとはいかないの。糸の調子がうまくいかないのでゆっくりゆっくりだましだまし作りました。あとは、スナップをつけて完成です。
BSでイングリット・バーグマンの「ガス燈」が始まるころ、座布団を補修し始めて、映画が終わったころそこまでいったので二時間かかったことになります。
こんな刺繍 今は無理
気がつけば三十年の座布団ですが、おばあちゃんの思い出もあるし、綿がボヨヨーンなんてかわいそうなまま放置せずに、大事にしないとね。古ければ古いものほど大事にする夫のおかげで、座布団ひとつよみがえりました。