なんかカールしてる

良いことあったら、ちょっとおしえましょう。

もう十二月

2017-12-04 15:47:25 | 日記
12月に入っても、気持ちが晴れたり、落ち込んだり、いろいろなことがあります。気持ちの起伏が激しすぎる。どうしたらいいんだろう。すこしのことにココロの針が大きく振れる癖がついてしまったみたい。

 なにか用?怪訝な顔つき
 
    一昨日は久しぶりに大阪へ。眼科の定期健診に行き、帰りに夫の実家に寄ってオカーサンの顔を見てきました。いつものように暖房器具は一切何も使わず、コロコロに着ぶくれているオカーサン。「ぬくい」下着を三枚ぐらい重ねているから寒くないんだって。あんなに洗濯好きなのに昨日はしなかったとか、育てている菊がやっと咲いたところ、誰かが三日連続で折っていって気持ちわるいとか(それは気持ちわるいなぁ)いろいろなお話を一時間半聞いて、また特急に乗って帰ってきました。この日は夫が職場からもらってきた天童荒太の「悼む人」を持って電車に乗り、往復で464ページをほぼ読み終えました(斜め読みだから速い!)。

 昨日行った公園のモミジ

表紙には船越桂さんの彫刻、スフィンクスシリーズの一作が使われていて、ちょっとインパクトのある表紙です。船越桂さんの作品は、三重県立美術館で「わたしのなかのスフィンクス」が企画されたとき観に行きました。わたしは、静かに佇んでいるけれど内には強いものを秘めたフツーの(?)作品はとても好きですが、山羊かなにかのような垂れ耳がついたスフィンクスシリーズの作品は、よくわかりませんでした。それでも静かに何かを(自分を?)見つめているのは同じ雰囲気。

 二枚目がスフィンクス

   先日、妹と電話で話していて、妹が子どもの頃、父と一緒に岩手の家の前の川で魚釣りをしたことを聞きました。わたしは、父が釣った魚を釣り針からはずすのがこわくて、釣りは避けていました。でも、妹は、小さいときでもちゃんと魚をつかんで釣り針をはずすことができていたので、よく父と釣りをしていたようなのです。父をなくしたのが中学生のときで、父の記憶が、七つ年上のわたしのように確実ではないと言っていた妹。その妹が「お父ちゃんの思い出があってよかったー」と言います。それを聞いて、わたしは、妹の記憶に父の姿が刻みつけられていてよかった、と思いました。父を忘れず覚えていることが父のためであるような気がするから。

   「悼む人」は難しかったけれど、そういうこともテーマの一つなのかなと思いながら読んだのでした。

 落ち葉もひとのココロに残って

   今日はヨガ。今のわたしは、痩せることが体のためにも、きっとこのフラフラするココロのためにも
いいような気がするので、歩いて行ってきました。ヨガはいつものように緩めのレッスンなのですが、どんなポーズをしても体が重いのです。身体をひっくり返す「鋤のポーズ」は手を使わないとおしりが上がらない始末。みかんと柿をむしゃむしゃ食べるのをひかえて、いっぱい歩くことにします。昨日は夫に「横綱」と言われちゃったし(ひどーい!)。夫は、普段必要なことも言葉にして発信しないことが多いのに、たまにブラックな一面をのぞかせて、グサッとくる一言を言うのです。「くまさん」はまだ愛嬌があるけれど「横綱」はないよねぇ。

 青いゲラニウムが咲いていた うつくしい

   

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。