日本は、江戸時代ジェンダーレスではないけど男と女と言う人間としての差別は少なかったように思える。士農工商と言う身分による差別はありました。士農工商の下のえたひにんには差別がひどかったそうです。仏教とキリスト教の違いで、キリスト教の概念がジェンダーと言うのを生んだのでしょう。それにより女性の裸がいやらしとか男女の性器を赤の他人に見れることを恥ずかしいと言う考えからヌード=いやらしや赤の他人の性器を見る人=変態となって、男はこうだ女こうだと決まってます。日本も明治になってキリスト教の概念を取り入れてから性器をいやらしとかそれを見る人を変態と言うことを脳に植え付けられたと思います。そして男女こうあるべきで、子孫を残すため以外のセックスをいかがわしい行為で、性器表現をいかがわしい表現や未婚の男女がお互い赤の他人に性器を見せることをいかがわしい行為して、性器を連想させる物や行動、格好を罪だと禁じました。私は、男女平等の意味から社会でも全てのことにおいて平等であるべきで、ジェンダーレスであって当たり前だと思うし、男女の性器は美しくいかがわしくはないと言う考えです。 だから部屋の窓にカーテンはつけてません。見られて恥ずかしいと言う気持ちは持ってないです。モラルと言うのがあるので陰部は見えないようにと18才未満の男子の視界に入らないよう気をつけてます。毎日寝室で、堂々と着替です。海外でのジェンダーレスによるブラジャーをつけなくても良いので、つけないデモをするのが分かりました。ジェンダーレス=脱キリスト教です。












