短大を卒業してなんとか就職できたが、希望した職業ではなかった。
仕事をやめて、留学して英語を学ぼうと思った時期があった。
そのために、必死でお金を貯めたが
最終的には親の強い反対で、断念した。
女子が留学などしたら、「箔」がついて嫁に行けなくなると言われた。
しかし、留学などしなくても、どうも嫁には行けそうにない。
就活同様、婚活も高望みしすぎたかな。
長いこと、留学を断念した事を親のせいにしていたが
きっと本当は、自分に自信がなかったからだ。
波乱万丈の原因は、中途半端に途切れてしまった夢のせいだ。
そうだ、アメリカに行こう。
JRでは行けないけれど。(*)注
資格をとった事もあってか
帰国してからの再就職に、不安は全くなかった。
年齢制限には引っ掛かるかもしれないが
自信を持ってアピールすればいいと思った。
バブルのおかげで、お金も充分貯まった。
若い時、留学しようと思って貯めたお金もあった。
お金は、タイミングよく有意義に使わなければいけない。
財布の中にぎゅうぎゅう詰めておかないで
定期預金にしておこう。
多少なりとも増える。
アメリカで語学学校に通い、日常会話程度は話せるようになる。
そうしたら、日本に戻って
たとえば、海外に物件を持つ不動産会社に就職して
海外でも活躍できる人材になれる。
英会話なら日本でも学べるが
日常が日本語では上達しないと思ったし
「私の事」だから、きっとまた流される、とも思った。
もちろん、親には反対されたが
今回は、頑として決意を変えなかった。
そればかりか、マイケルの事をよろしく頼んだ。
社長に退職と留学を伝え
新しい事務員さんを、紹介させていただいた。
部屋にあった使える物は、弟や知り合いに引き取ってもらい
マイケルと暮らした夢のワンルームマンションを引き払った。
あの、投げ飛ばされて傷だらけになった赤い電話機は
債権も売り払い、燃えないゴミに捨てた。
小さなリュックと、マイケルの入ったバッグを持って
マイケルのためにとった、新幹線の個室に座る。
西へ向かう新幹線の中で、マイケルは
ごうごうという大きな音におびえて、入ってきたバッグの蓋を開けても
出て来ようとはしなかった。
父が駅まで、車で迎えに来てくれた。
車の中で、マイケルをバッグから出してみる。
猫好きの父が、マイケルに、おい、と声をかけて顔をゆるませる。
その父に鼻先を近づけ、くんくんと臭いをかいでから
ちらっと、父と目を合わせたマイケルは
すぐに、座席の下にもぐりこんでしまった。
実家にマイケルを送り届け
人みしりのマイケルが、家と父母に慣れるまでしばらく過ごした。
私にあった時とは違い、初めて会う父母に警戒の目を向ける。
広い家の中を把握するには、長い時間が必要だったろう。
もともと、黒猫には、人みしりな子が多い気がする。
街で見かける黒猫が、向こうから近付いてくる事は滅多にない。
特にマイケルは、私以外の人間に会った事はほとんどなかったから
頻繁にお客の出入りする実家で、毎日びくびくして過ごしたはずだ。
あの初夢を見たちょうど一年後の正月。
夢も見ないで目覚めた私は
新春の真っ青い空の広がる朝の新宿から
大きなバスに乗って、成田に向かった。
新しいスニーカーの紐をきっちりと結び
新品のブルーのスーツケースに、夢を詰め込んで。
その年の秋、アメリカから帰国したまさにその日。
昭和天皇が倒れられたと、夜の報道で知った。
その後しばらく、陛下の病状を伝えるニュースが続いた。
そして年明け間もなく、昭和天皇は崩御された。
昭和が終わり
小渕総理が、もったいぶって「平成」と書かれた色紙を掲げた。
私は、渡航前の夢を叶え
海外のゴルフリゾートのコンドミニアムなどを仲介する不動産会社に就職した。
年齢制限はオーバーしていたが
宅建の免許と簿記、海外経験をアピールして採用していただいた。
総務と経理を担当させてもらい
月一回程度、新しく出来たロサンゼルスのオフィスに出張する、という生活をした。
国内にいるときは、営業もした。
名簿を見て電話でアポをとり、初めての人に会いに行く。
現地物件の見学ツアーでは、添乗員もどきも経験した。
添乗員を雇うと経費がかかるから、と社員で賄う事にしたのは
経理をまかされていた私の提案もあっての事でもあったが
非常にハードだった。
旅好きの私は、添乗員という仕事にも興味があったが
やめておいてよかった、とつくづく思ったものだ。
無理難題は、お客の特権だろうか。
そうは思えないが、いい勉強になった。
この添乗員体験でも、沢山のエピソードがあるが
それはまた、別の時に。
そうこうしているうち、ついにバブルがはじけた。
あの、華やかな暮らしをしていた人たちのその後は
倒産、行方不明、自殺、変死、肝硬変で病死。
小説より奇なり、だ。
勤めていた駅前のビルの2階に
かつて、でかでかと掲げられていた不動産の看板はなくなり
地道に賃貸アパートの仲介をしてきた町の不動産屋さんだけが
たまにあの路地裏の、小さなスナックに顔を出していると聞いた。
そのスナックも、つい最近店をたたんだ。
マイケルは、田舎で野山を駆け回り
たまに、ムカデやすずめと格闘し
目の上に、蚤をくっつけて帰ってきた。
ワイルドだろ?(*)注
その後、医者も首をひねるような病魔に侵されて、
ニャン相が変わるほど、窶れきったマイケル。
私は、そのかわいそうな姿を、一度も見る事はなかった。
最期まで、あるかないか分からない程短かったしっぽを
大好きな父に振り続けていた、と聞く。
彼が天国に旅立ったのは
金色の目をまん丸くして、初めて私の部屋に来た時と同じ
新緑の眩しい季節だった。
その瞬間(とき)だったのだろう。
遠く離れた街に住む私の枕元を、真っ黒なマイケルが横切ったのは。
翌朝、彼の死を伝える電話をとって、声を詰まらせる私を
今度は、ふたりの幼い子どもたちが
まん丸な目で、不思議そうに見あげていた。
そう、私は、しないはずの結婚をして
ふたりの子宝に恵まれたのだ。
私があの頃蒔いた種は、今やっといくつかの芽を出しはじめた所だ。
花が咲いて、実がなるのはまだまだ先のことだろう。
どんな実がなっても、苦くても、毒があっても
それは、私自身が食べなければならない。
日々起こること全てに意味があり、無駄なことはひとつもない。
逃げ道、回り道だと思っても、歩けば自分の道になる。
バブルがあって、マイケルが生きて、わたしがここにいる。
おわり
(*)注 海外の方には、このくだりは意味不明でしょう。
ごめんなさい(謝)&(笑)
最後まで読んでくださった方にだけ、お知らせです。
実はこれは、ノンフィクションでしたが
隠し事もあります(爆)
詳細を聞きたい人は、
羊羹の袋に札束を入れてお越しください(激爆)
素敵な金曜日を!
感謝をこめて つる姫