生きる理由が幸福になるためという事でまったく問題ない事に気がついた。
いや、昔から人はその快楽原理にしたがって生きてきたのだ。
だけど、快楽を求めるという事は、それと同じぐらい背徳的な感情を伴う。
そういった感情に苛まれるうちに、幸福という快楽を求める気持ちが萎えてしまう。
だから定期的に思い出さねばならないのだ。
「幸福になってよい」のだと。
人生における最低限のルール、殺さない、奪わない、それを守れさえすれば、人幸福になるように努力する権利があるのではないか?
幸福と一口に言っても、いろんな幸福があるだろう。
かなわない幸福もあるかもしれない。
でも共通の目標は、自分が笑顔になることじゃないか?
自分が幸福になったら、または笑顔でいる事ができたら、今度はまわりの人に笑顔を与えてあげればいい。
ボランティアというのは、自己犠牲ではなく、まず自分が幸福になった時に行うものじゃないか?
そりゃいろんな生き方があるだろう。
でも幸福になろうとする生き方は間違いじゃない。
やがて人は死ぬし、宇宙も死ぬ、永遠というものはないのかもしれない。
でも、たとえ未来に自分が消えてしまったとしても、笑顔でいる今、この瞬間は紛れも無い事実で、それがすべてだ。
その瞬間に意味があるのだ。
そのために人は生きるのだ。
だから、幸福になる為というのが生きる理由で、まったく問題はない。
なぜ生きるか、それは幸福になるためだ。
僕はそう思う。
いや、昔から人はその快楽原理にしたがって生きてきたのだ。
だけど、快楽を求めるという事は、それと同じぐらい背徳的な感情を伴う。
そういった感情に苛まれるうちに、幸福という快楽を求める気持ちが萎えてしまう。
だから定期的に思い出さねばならないのだ。
「幸福になってよい」のだと。
人生における最低限のルール、殺さない、奪わない、それを守れさえすれば、人幸福になるように努力する権利があるのではないか?
幸福と一口に言っても、いろんな幸福があるだろう。
かなわない幸福もあるかもしれない。
でも共通の目標は、自分が笑顔になることじゃないか?
自分が幸福になったら、または笑顔でいる事ができたら、今度はまわりの人に笑顔を与えてあげればいい。
ボランティアというのは、自己犠牲ではなく、まず自分が幸福になった時に行うものじゃないか?
そりゃいろんな生き方があるだろう。
でも幸福になろうとする生き方は間違いじゃない。
やがて人は死ぬし、宇宙も死ぬ、永遠というものはないのかもしれない。
でも、たとえ未来に自分が消えてしまったとしても、笑顔でいる今、この瞬間は紛れも無い事実で、それがすべてだ。
その瞬間に意味があるのだ。
そのために人は生きるのだ。
だから、幸福になる為というのが生きる理由で、まったく問題はない。
なぜ生きるか、それは幸福になるためだ。
僕はそう思う。