「なんとなく自分を遠くから他人事のように見ている」って文章に共感したことがある。
自分の事なのに、なぜかリアリティが感じられないというか、夢との境界が薄くなってるというか…
ただ、たまに現実感が濃くなっていく事を感じる事があって、「あれ? 自分は何してるんだろ?」とか、いつか訪れる死について思いをめぐらせたりする。
自分が無になるってどういった意味なんだろう。
今の生を脳が認知する肉体的なものと考えると、その肉体を維持していくのが生命体の目的といえる。
ならば、なんで場合によっては肉体に危機を与える心なんて物が存在するんだろう?
うれしいや悲しいといった衝動はどこからくるんだろう?
それも肉体的な働きからくるのか?
思うに、無も有も基本的にあまり変わらない物なんじゃないか?
しかし、決定的に違うのは心だと思う。
もしかしたら心も脳の働きの一部なのかもしれない。
けれど、その元になる物は、もっと違うところから生まれるのだと信じたい。
自分がここにいる事実に意味があるのだと信じたい。
なんとなく先が見えない事を不安に感じてしまった。
でも不安は希望と実は似たものなのだ。
明日も生きていこう。
自分の事なのに、なぜかリアリティが感じられないというか、夢との境界が薄くなってるというか…
ただ、たまに現実感が濃くなっていく事を感じる事があって、「あれ? 自分は何してるんだろ?」とか、いつか訪れる死について思いをめぐらせたりする。
自分が無になるってどういった意味なんだろう。
今の生を脳が認知する肉体的なものと考えると、その肉体を維持していくのが生命体の目的といえる。
ならば、なんで場合によっては肉体に危機を与える心なんて物が存在するんだろう?
うれしいや悲しいといった衝動はどこからくるんだろう?
それも肉体的な働きからくるのか?
思うに、無も有も基本的にあまり変わらない物なんじゃないか?
しかし、決定的に違うのは心だと思う。
もしかしたら心も脳の働きの一部なのかもしれない。
けれど、その元になる物は、もっと違うところから生まれるのだと信じたい。
自分がここにいる事実に意味があるのだと信じたい。
なんとなく先が見えない事を不安に感じてしまった。
でも不安は希望と実は似たものなのだ。
明日も生きていこう。