高校野球と甲子園大会について
昨年作成した投稿だが、今年も大船渡の佐々木君の投球数の論議が尽きていない。
高校野球と朝日新聞、そして高野連、NHkについて考えてみた。
今も辛坊治郎さんのニュース番組で採り上げているが、残念ながらやはり問題提議、
というか今こんな事が論議になってますよ、的な紹介コーナーにしかなっていなかった。
テレビという制約されたメディアでは精一杯のことなのかもしれない。
最後に辛坊治郎さんが辛うじて挟み込んだコメントに彼の矜持が現れていた。
「何故、この季節にこの大会なのか?大人が大人たちのために子どもたちを食い物にして
いないか?真剣に考えるべきだと思います。」と
高校野球のように一見美しく、感動と涙の美談、ドラマも、実はいかがわしく、胡散臭い面が
巧妙に隠され、虚飾されている、キレイに言えば経済効率的なオトナの事情で成立している。
僕と同様にちょっとひねくれていて、感動に飛びつくのが気恥ずかしく,何かからくりが
あるんじゃないのか?と一歩引くタイプの方は以下の現状について一緒に考えてほしい。
まず、第一に思ったことは秋田金足の吉田投手の連投による疲労と故障への心配だろう。
そして次に猛暑による選手とスタンドの応援の人達への負担だと思う。
〈ここは去年の投稿の部分、考慮されたし〉
彼らはなぜこんなにも過酷な環境の中に居なければならないのか?
今までも多く疑問を呈され、更に今年も強く挙げられたこの問題に対する理由に満足、
納得のものは結局メディアからの情報では得られなかった。
競技時間であれば夜間のほうが視聴率には有利であったろうし、炎天下の球場であれば
ドーム球場の活用といった現実的な代替え案がすぐ思い浮かぶはずだ。
なのに何故、まだあどけなさの残るひたむきな球児たちはこのような苦行をせねばならない
のか??? メディアから離れてネットや書籍で広く、隅っこの表から追いやられた体の
ファクトを探ってみた。
大変不埒で失礼な連想だが、僕は甲子園大会が毎年、丁度8月15日の終戦記念日を挟んで
行われるこの大会の日程であることも併せて、高校球児や応援団の女子高生たちが、何か
厳格な宗教祭祈に参加するサクリファイス:生贄のように見えてしまっていた。
御盆の祖霊と先の敗戦の犠牲者への鎮魂と祈りのために捧げられる聖なる行事、それが夏の
甲子園だと・・。
とまあ、こんな妄想とは別に現実にはリアルな理由がいくつかある。検証してみよう。
高校野球の位置づけは学校教育の一環である。
球児は教育の名目のもとに野球を通じ精神と身体を鍛え学ぶことが命題である。
当然、競技にも勝利にも報酬はない。
国際大会やオリンピックで活躍するアマチュアスポーツマンでさえ奨励金という名目の下に
獲得できるギャラが存在するのに対し、球児も監督も高校も高校野球の関係者は一銭も
手に入れることはできない。
優勝しても、連投で肘を壊したとしても球児は金銭的には無報酬なのだ。
これは高校野球だけでは無い、高校中学部活のサッカーでも水泳でも吹奏楽でも合唱でも
同じである。部活動に3年間の高校生活すべて、いや、卒業後の進路の選択肢や自己の身体の
障害も学業への可能性もすべて献じるのだ。
その積み重なったエナジー:労力はいかほど膨大なものであろうか・・?
そして、その「教育」の名目で催されたが故に本大会の競技場、甲子園球場はその名目通り
大会の期間の使用料金は発足時から昨日まで連綿として無料なのである。
球場の好意と教育への大義、そして何よりも第一回目より繰り返されてきた慣習(これ大事!
以降の諸問題もすべてこれにかかわる)により大会の会場は甲子園以外のドーム球場など
検討にも価しない、論外なのである。
ちなみに甲子園球場の高校野球の観戦チケット料金は当日券(徹夜必至だ)で2000円の
特別自由席から500円の外野席、前売り指定席2800円から2000円であり、この収入は
運営の人件費、出場高校の宿泊補助金に充てられる。
トータルの収支は1憶円程度であり、これはこのイベントの規模からみると微々たるものに
感じられる。
そして更に驚くべきことには昨日の熱戦でも実感できたであろう抜群の視聴率を期待できる
テレビ実況放映権の料金も新聞や熱闘甲子園のニュースのコンテンツ料金もNHKや
テレビ朝日、朝日新聞は払ってない!という事実は知られていない。
彼の社は無料で獲得しているのである。
球児たちの出演料も当然タダである。
いわゆる手弁当で全国から徴集されて来る
(まあ若干の協賛費は払っているかもしれないが放送料金は無償である)
ひと夏のトータル経済遡及効果は300憶~400憶と試算されており、放映権料だけでも、
その10%、30憶の価値はあるだろう。
二つの無償、球場利用料と試合の放映権料の無償が、この大会の存続形態を確定している。
変革も改善も阻んでいる。
文字通りの岩盤規制であり、慣習の壁、元凶なのだ。どれだけ熱中症で応援団が倒れようと、
どれだけ優秀な投手が肘を壊そうと、このスキームは変わることは決して無い。
殉教では因習は救えないのである。
では、どうすればよいのか??? 慣習と闘技場の檻の中からではなく俯瞰して、
外から自由に考えることだと僕は思う。
皆で考えようじゃないか?あの感動を与えてくれた球児たちのためにも。
まず、NHkと朝日新聞(春は毎日新聞)の独占からこの大会を自由にする。
優秀なコンテンツに見合う対価は既得権社に忖度することなく適正に払っていただく。
もちろん球場使用料も払うが、より相応しい施設があればそちらを利用することにも
躊躇しない。
そしてその対価を元に、快適に競技出来る環境をハード、ソフト共に整備する。
例えばスポンサー企業を募り炎天下の試合時間から夕刻以降の、より視聴率が
期待できる試合時間に変える。
例えば現状の既存旅館を各校が手配、借り上げる形式から恒久的なオリンピック選手村
のような相校交流施設を創設する。
例えば故郷の応援の気持ちを特定の新聞の部数の拡販に利用させず、ふるさと納税や
アフィリエイトを使い、基金を作ってより直接的に野球道具や施設整備を助成する。
特に高校生や、その保護者、応援団の皆さんにお願いしたい。
世の有識者やスポーツ省役人や朝日新聞やNHKから、これからの時代の高校球児を助けて、
ちょっとだけ手を貸してやろうと思いませんか?
ちょっと考えただけでも僕の考えだけでこれだけのネタが出てくるんだ。
もっと皆で考えて声をあげよう。
いや、自分が立ち上げてNPO団体をつくっちゃおうかな。
きっと相当既得権益者たちから命を狙われるかもしれないからセキュリティーも考えなきゃね。