「鎌倉殿の13人」とわたし
先の日曜日に第61作目のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が終了してしまった。
直後は、放心、感動、考察、などの多種の感情が入り乱れうまく整理できなかったがようやく総括できそうになってきた。
当初は、特に入れ上げることもなく、今までの習慣のようになんとなく初回から数回を観ていた。
役者も源頼朝に大泉洋、政子に小池栄子という画面から、コミカルなシーンを交えたアットホームな時代劇なのだな・・・・とある意味、安心・油断して観ていたのだと思う。
これが、後々は、放送前に前回の放送を復習し、各種SNSや解説動画をチェックし、日曜日は早めの5時台には風呂にお湯を張り入浴したのち、まずBSで1回目を拝聴し、その後夕食採り乍らツイッターで同輩の反応を確認し、その後8時の地上波デジで2回目を確認するという、世に言うカマクラ組というものに自分もなるとは思いもよらなかった。
きっかけはやはり、あのアサシン善児である。
怖くない風貌のターミネーター。
無表情でしかも最小の動作で殺気も見せずに、躊躇せず子どもでも主要キャラでも殺してのける人物造形。明らかに、あの初期鎌倉、の中で異質な磁場を生み出していた。
そして徐々に教科書や史実で知った部分が出てくる源平合戦のパート、
菅田将暉義経、中村獅子堂梶原景時、山本耕司三浦、西田敏行後白河法皇、・・・と実際に本人たちが
このように行動し、喋っていたのだろうな、と確信させる脚本の妙。
逆に、史実でつじつまが合わずモヤモヤといままでしていたものが、「おお やっぱり本当は、こうだったんだよな----」と(ある意味、ミスリードさせる)
毎回、霧が晴れるような快感を味わった。
ドラマ中盤26話で大泉頼朝が死に、27話でようやく大河タイトル「鎌倉殿と十三人」(微妙に同一ワードじゃない処が憎い)が示され、ここから一気にドラマは、シリアスで緊張感あふれる身内仲間間のサバイバルデスゲームに様相を変える。
もうこうなってくるとドラマから一時も目が離せない、セリフ一つ聞き逃せない・・・・
気をそらした瞬間のあれ、が命取りや、重大な伏線になったりしていて、トラップが三重四重に張られている敵地行軍のようだった。
終盤からラストはその緊張感がMaxに達し、生き残りレースは御家人間から一族間に絞られてくる。
もはや初回のコメディな北条家ホームドラマの雰囲気は見る影もなく、スターウオーズ父子の闇落ちの葛藤やシェークスピアの孤独な王の悲劇に変貌していった。
賛否、(当然、賛が多いが・・)溢れるラストシーンも、これぞ三谷脚本の真骨頂!とでも言うべきもので、安易なハッピーエンドでも、後味悪いバッドエンドでもなく、
悲しみと後悔、希望と救済といった数多の感情を、ある男の人生の最期の時に暗転させるという、今までの大河のラストが、なんて・お気楽だったんだ、と嘆息した。数日間は放心である。
改めて凄いエンデイングであったと思う。
ここまでハードルが上がると、次に作る側は、さぞキツかろうな、と同情しつつ、「どうした家康」に期待したい。