幻想小説周辺の 覚書

写真付きで日記や趣味を書く

つめたいコンクリート階段に寄せたアツい思い 建築ブログ

2022-12-02 17:27:00 | アートコラム
とある建築業界のブログ掲載にコンクリート階段についての記事があり、大きく共感した。

冷たいはずのコンクリートの階段、この狭い場所に型枠大工、鉄筋、コンクリート打設、そして現場監督の熱い想いが詰まっている。 




















この写真は、まぎれもない自分と仲間の手による作品であり、
数年前になるが こんな仕事ができたのだといいう自分への碑文でもある。
(いささか気取りすぎた文章で大変恐縮です)

アートレビュー ハマスホイ沈黙の絵画 と コロナ愚策について

2022-11-30 07:40:00 | アートコラム
ヴィルヘルム・ハマスホイ沈黙の絵画 監修佐藤直樹

2020年のコロナウィルス・バカヤロー事件(コイケ・バカヤロー事件ともいう)
の中の一つがこの東京都美術館の会期途中で閉幕に追い込まれたヴィルヘルム・ハマスホイ展である。
1/21から3/26という長い会期だったのにも関わらず3/13に何の事前告知もなく打ち切られたのだった。 あのコロナと緊急事態宣言とかの愚行の結果である。

行こうとして行けなかった私を含めた多くのアートファンにとっては、あの絵画の後ろ姿の女性のように、永遠に(永久ではないが、しばらくは再来日の見通しもなく、永遠のようなものだ)去ってしまった失われた宝玉のような存在である。

全く、今となって思い返せば、一部の激混み人気展を除く閑散とした美術館での鑑賞などという行為は、
飛沫まき散らすおしゃべりな客もおらず、皆が礼儀正しく黙って絵画を静かに鑑賞しているだけであって、感染予防に閉幕や自粛するなんて愚の骨頂、過敏過剰対応であったことがわかる。
逆におそらくは、コロナ下における最も安全で、推奨されるべき文化体験行事が美術鑑賞であったといえるぐらいだ。
泣く泣く中止してしまった卒業式や入学式と同じくらい、文化的、人生的愚行を為政者たちはしたものだし、それを許した我々も同じく同罪だ。
本当に忘却の彼方にしまい込むことなく、今年の記憶すべき愚行は、これらにとどまらず、きちんと残さねばならない。






前置き長いのは自分の常だが、本書は、その胸の痛みを繰り返しえぐるような、いい絵が沢山掲載されている。
有名な後ろ姿の女性だけでなく、その前の絵、そのあとの絵、もきちんと掲載されている。
ハマスホイや彼のモデルの歩んだ人生もまた失意と諦念と、その先に見つけたかすかな希望や幸福がしっかりと感じられる。
絵の変遷や生い立ちを知るとより鮮やかに実感できるのだ。

返す返すも、本物を見てこの感慨をより深いものにしたかった。
そして、その会では自分はきっと、序から、幕まで順序通り観たあとで、きっと中期の後ろ姿の絵の群に戻ることだろう。
そして時を忘れて絵の中の世界と一体化するのだ。至福と共に。

後ろ姿を描くということは、その画題の表情を隠すことにより、読者の想像を誘発するとともに、その読者の為だけのオンリーワンの絵画を、読者の手による
想像の絵筆を加えることにより生み出すことが出来る。
そのメカニズムにより、一群の絵は完成品でありながら未完成であり、普遍性を保ちながら唯一性を持つという、見事な価値のバランスと同在性を成立させる。 

つまり、後ろ姿の肖像画というハマスホイの発明であり、発明を完成形にさせた、というド偉い画家がハマスホイなのだと私は思っている。

ううう ホンモノが見たかった   
ああぁ 叶うのなら、一枚所有したい・・・・
そんな画家なのでる、ハマスホイは

藝祭  過去の記事

2022-09-06 20:43:00 | アートコラム
東京藝術大学の藝祭に行ってきた。本当は幽霊画展うらめしや~、が目的なんだけど、丁度、藝祭の時期だったので混雑を覚悟してアサイチで出かけて見た。
さて、ここの学祭の最大の見トコロは御覧いただいている創作神輿です。
毎年、専攻学部に分かれて各1体の御神輿を作成します。今年で20年になるとかで、小さいミニュチアをまず作成し、それを基にこのような巨大オブジェにするというもの。専攻学科は芸大なので美術だけでなく、音楽や建築などの学科もあるのですが各々すごい構成力で畑違いを感じさせません。
毎年関心するのですが、この異形っぷりといい、デイテールの確かさといい、(最近問題の)オリジナリテイーといい、どれもこれも一級のアート作品となっています。
これらはオープニングの際にはチーム揃いの法被を着て学内と上野の町を練り歩くらしいです。パレードも見たいですが大変な人出なので、近づいて一品一品じっくり見るには展示のときのほうが良いですね。
あまり取り上げられてませんが、知ってると来年も楽しみになってしまう、この時期しか見れない、しかも毎回一回限りのお楽しみです。












闇のアートレビュー うらめしい絵 畜生塚

2022-08-29 15:23:00 | アートコラム
田中佳子 ❲うらめしい絵❳ から 甲斐荘楠音 [畜生塚]

大正時代の日本画家 甲斐荘楠音 かいのしょうことね
デロリの画風 ぼっけえぎょうてえ の 表紙でも有名




本作は老醜時の豊臣秀吉による甥関白秀次の処罰事件の中でも陰惨な大量処刑
三条河原での秀次の妻妾三十余人の斬殺直前の悲哀、慟哭を描く

畜生塚 とは処刑後の河原に掘られた穴にまとめて投げ捨てられた遺体に
塚土を盛られた上に秀次の梟首とともに置かれた石碑の銘 秀次悪逆塚 の別称
殺生塚 蓄妾塚 そして秀次の妻妾の中には母娘を含んでいた事から 畜生塚
と京都庶民は批難したという

四曲一双の屏風 未完成品ながら 未完成ゆえの異様な迫力と情動が迫る
日本画ながらルネサンスの宗教画のような肉体の群像 ピエタをモチーフとした
中央のマリアに一の台とキリストに一の台の娘おみやを配する








楠音の創作工程が判る まず 画面上に下絵として人物の肉体像をデッサンし
その上に衣服を重ね、貌かおを彩色するのだ 
その貌も化粧の白粉を塗り込めた上に目鼻髪の表情を載せる

逆に言えば この絵の飽満で生命感溢れる裸体 そしてその生命が数瞬後に
ばっさりと理不尽に断ち切られる不穏さと妖しさ はこの絵の未完成の状態にこそ
我々は見ることが可能なのだ
単に戦国末期の歴史の1場面を切り取ったのではない あまねく時空に共通して
存在する 世の不安と不条理を画面上に定着させ得たのがこの楠音の畜生塚である

アートの小径 というか 小宇海  海底美術館って知ってますか

2022-08-24 09:12:00 | アートコラム





海底美術館 Caribbean Underwear Museum 
ジェイソン・デカイレス・テイラー
日経ナショナルジオグラフィック社 2400円+勢

誰もがこれらの写真はどこかで見たことがあるに違いない

写真は何枚も何枚も見つかることだろう。
海中の青い光線の中に浮かび上がる裸婦や踊る少女、考え込む少年,互いに手をつなぎ輪を作る群像、海底の砂の中に頭を突っ込んで膝まづく男たち

それらの彫像は、
あるものは大理石のような滑らかな白い肌を持ち、
あるものは表面に薄く色とりどりの水草や苔をまとい、
またあるものは奇怪な珊瑚の枝を身体中から生やして異形の樹怪のように変貌している。
















共通しているのは、静謐な青い光線と、海中に存在しているための沈黙だ。
更に、集中して画像を見ていると、自分の水中の呼吸音や潮の流れを肌に感じはじめる。

いずれもが美しい、
そして奇妙な情動:エナジーを内から放射しているように見る者の視線を捉えて離さない。
SF映画のワンシーンのセットのようでもあり、
太古の海中遺跡のようでもあるが実はこれらはカリブ海の海中に実際に存在する現代アートの海底美術館なのである。

制作者は、イギリスの現代彫刻家で水中写真家でもあるジェイソン・デケアレス・テイラー(en:Jason deCaires Taylor)
2006年に西インド諸島南東部にあるグレナダ沖に世界初の海底彫刻公園を開設した。
以後、2010年にメキシコ南東部にある観光都市であるカンクンの沖にカンクン海底美術館を開設し、
2014年には、バハマ諸島にあるナッソーの海底に、高さ5.5メートル、重さ60トンの少女像を設置した。
2016年にはモロッコ沖にあるカナリア諸島のひとつ、ランサローテ島沿いにアトランティコ美術館と呼ばれる海底美術館を開設している。

作品は、テイラーによって実際のモデルを型取りし、中性のコンクリートや不活性のファイバーグラスを使って制作された。
素材は環境に優しく海の生物が発育しやすいものを考慮している。
作品の固定は海上の大型クレーンを使い、海底に台風や海潮によって転倒したり破損しないようしっかりと固定される。

最初はつるりとギリシャ神話の女神の大理石の彫像のような滑らかさを持った作品は、ジョジョに海中の環境に融和しサンゴや海藻が表面に、最初はおずおずと、そして途中からは暴力的なまでに大胆に像を覆い尽くすように繁茂する。
その繁殖経緯も素材の劣化も含めた時間的な側面を含んだアートなのだ。

作品群は海中の植物の苗床となると共に、魚や生物たちの生殖する棲み家となる。
これも含めてのアートなのだ。

更にこれらの作品群は、既存の珊瑚礁の場所から考慮深く位置を離して設置される。
観光客やダイバーによる生態系へのダメージをそらし、彼らの興味を引く新たな名所、アートスポットをこちらに持ってくることにより、珊瑚礁を守る、というコンセプトなのだ。

実に確固として、芯が通っており、環境保護とはなんぞや、という命題に毅然として答えている。
しかも美しい、最高だ。

どこぞの国の民族ヘイトトリエンナーレ、とかレジ袋ストロー廃止のポーズだけのエコロジー環境大臣とかとは遥かに次元の違う、性根の通った芸術であり、思想だ。 
まったくこの作品群の苔のひとかけでも押し頂いて煎じて飲め、といってやりたいところであります。