Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

豚のしょうが焼き

2009-04-25 23:06:27 | 事件の話
久しぶりにいっぱい雨が降った。そのためダンスのレッスン以外は家でジトッと過ごす。朝洗濯しようかどうか迷ったけど寒いし全然そんな気になれなかった。
ふとテレビを見ると「豚インフルエンザ」のニュース。「ウェッ!今度は豚かい!」とテレビに向かって叫んだ。
要するにどんな動物からでも感染する可能性があるって事でしょ。生き物だから当たり前な気もする。さすがの私もさすがに豚は生では食べないけど、人から人に感染するのはやばいね。

現在、子供の先生をはじめ、知り合いのダンサーさん達が仕事でロスに行っている。イベントなど多くの人が集まる時には感染の可能性も高くなるのは当然のこと。子供が「大丈夫かなー?」と心配しているので「何が?」と聞くと「イベント中止になったりしない?」「・・・感染しちゃうんじゃないかと心配してるんじゃないかと思ったよ。」と言ったけど、舞台人としてはそっちが先に心配で正解なのかもと後で思う。どうせ入国する際に検査をされるだろうから体の事を今心配しても始まらない。・・・出発した時にはまだメキシコでそんな被害が出ているなんて話は聞いてなかった。米国ではまだそれほどでもないようだから、本人達はまだ気づいてないのかもしれない。日本に帰ってきて初めて知ることになるのかも?
そんなニュース見ながら夕飯にアメリカ産の豚肉のしょうが焼き食べてる私と子供。「火を通せは大丈夫だよーん!おいしーね」とか言いながら・・・・・

イベント中止で思い出したけど、舞台本番中に大地震が起こったらどうする?とよく昔考えてたことがあった。この地震大国日本で二十何年もやってきて今まで一度も重なってない方が奇跡のようなもの。関東大震災も東海大地震もそろそろ来てもおかしくないのに、最近日本はわりと静かでかえって不気味。考えたって来るものは来るし防ぎようがないのだけど、心構えだけはしておかないとな。

さて明日は早いから今日は早めに寝るかなぁー。

人生はどうかね・・・?

2009-04-25 02:13:04 | 病気や健康の話
仕事は山積みだけど昼間はしばらく時間がある。今のうちにやりたいことやっておこうと思っていろいろ考えたけど、いざ時間が出来ると何も思いつかない。
そんでもってとりあえず母の病院にいく。今回の入院での治療は終了して、あと検査したら退院できるので、来週頭くらいには家に戻れるかな。でも今、家の中は引越しの準備でめちゃくちゃな状態。退院しない方がいいかも?
「前髪伸びて白髪交じりでダンサーみたいになってるよ。」というとかなりウケた。退院する日には家に帰る前に美容院に寄りたいと言っていた。

この病気は骨髄移植しか完治させる方法はない病気だけど、母は高齢で体力もないのでできない。病気と仲良くしながらどれだけ長生きできるか・・という戦いなのである。母は「血液の病気なのよ」としか言わないから他の病室の人達は母を不思議がる。2ヶ月もの間入院していて治療はたったの2回、2時間点滴をうつのみ。特に具合が悪いこともなく朝は一番に起きてカーテンを開ける。目が見えない人、歩けない人、右手が使えない人等他の患者の世話をする。病院食のほかに売店でおいなりさんとか買ってきてモクモク食べる。何も治療せずに長い時間を過ごすとさすがに退屈らしく、本や雑誌を読んだりラジオを聴いて時間をつぶす。一体どこが悪いのか見た目にはわからないのだろう。
母と病院内の喫茶でお茶して病室に戻る途中、母が以前入院していた時にベッドが近かったガンを患っている患者に会う。今日は通院での点滴の日らしい。3週間に一度これを行いにやってくるのだが、朝9時から夕方4時頃まで一日がかりで大変そうだ。母は大きな声で笑いながらそのおばさんと話している。どちらも病気だなんて思えない明るさ、ただの主婦同士の立ち話のような感じ。病気であっても暗さはみじんも感じられない。そんな光景を見た後、ある本を読んで考えた。

小説の内容は心に病を持つ小学4年生の話だから、直接的に何のつながりもないようだけど、最後まで読むと人間の危うさのようなものに共感する。一歩間違ってたら自分も子供の時に同じだったかもしれない、そんな気がした。壊れ具合がよく似ていたのだ。私は無事生還して乗り越えたわけで。子供が今あの頃の私と同じ年代にいる。未熟で自分勝手で優しくて謙虚でもあり傲慢でもあり残酷であり浅はかでもある。友達や親のたった一言が心に深く影響して明るく壊れていってしまう危険な時期にいる。
あるキッカケが子供を壊そうとした時、自分は正せるだろうかと考えると全く無理と思う。たぶん愛情があったからって直せるものではないんだと思う。直せるのは産まれてからそれまで学んできた経験とか考え方とか生き方とか、子ども自身の中にしかないような気がしたのだ。

母に「人生はいいものかね?」と聞いてみると「ここまで生きられればまあまあだね。」と言った。最初は病気にはなってもある程度楽しく長く生きた事だと思ってたけど、言いたかったのはきっと自分の事じゃない。私が壊れそうなとき母は何もできなかったけど、人生の終わりが近づいた今、そんなに間違っていない私を見て出てきた言葉なのだろうと思った。