Pixysのポジティブライフ

困難に立ち向かうアラフィフの日常
働いて働いて働いて働いて、たまに旅に出る

2009-06-16 00:36:50 | 病気や健康の話
ひどく雷がなっている。昨日の夜もそうだった。子供の頃から雷がなると不吉な予感がした。祖父が亡くなる前、弟が腸閉塞で救急車に運ばれる時、いつも何か良くないときに雷雨があった。だから私は雷が嫌いだ。
しかも今日の雷は強烈だった。

母が今朝40度の熱を出した。それで先生から説明があるという事で病院に向かう。思いのほか母は元気だった。立って普通に歩いていたし、口元のヘルペスが痛そうだったがストローで野菜ジュースを飲みながら「熱はお昼には36.5度に下がったのよ」と笑っていう。「どこか痛いとことか辛いことはないの?」熱があったときも目まいもないし頭痛もないしクラクラもしなかったと不思議がっていた。
それなのに、母の命はあと1~2週間だそうだ。

本人にはまだ自覚症状はないが、体の中で血管が切れ始めた。今回は持ちこたえる事ができないかもしれない。雷のせいか、そんな気がする。
そんな話を聞いても、母は元気に歩いてる、むしろ快方に向かっているかのように楽しそうにしゃべって笑っている。

「出血が始まると早いので、もしもの時連絡しても間に合わないかもしれない。死にめに会えないかもしれません。」
そんな話を聞きながら、生きてる時に人に優しくしたりよいことをした人は、気がつかずにあっという間に逝けるのかもしれないと変な事を考えてしまう。

帰りの車の中で考えた。覚悟は何年も前から出来ている。だから自分の心の整理は容易いことだ。じゃあ、私はこの後何をすればいいんだろう・・・?
一応誰かに伝えなきゃ、最後に顔をみたい人がいる・・・そう思いながら家に帰ると子供が「おばあちゃん、元気だった?」と聞く。「うん、熱下がったって。」
うそじゃない、でもほんとでもない。子供に言うべきか言わないべきか・・・。
今まで子供には悩みでも何でも相談してきた。母の事も一緒に考えてきた。だからきっと友達のような関係だった。でも彼はまだ私が祖父を亡くした時と同じ年齢。おばあちゃんがいなくなったらすごく悲しむだろう。しばらく泣いて過ごすかもしれない。まだ生きているうちから日を数え過ごさせるのは、子供の心には深いキズをつける事になるかもしれない。どうしよう・・・。
本当のお母さんを亡くしているから話にくいけど旦那には一応報告する。ちょっとショックはあるだろうけど大人だから大丈夫だろう。
ああ、弟に電話しなきゃいけないのか・・・・。じいちゃんは「遠いからどうせ間に合わない、わざわざ心配させなくていい。」って言ってたけど。
あとは、何をすればいいんだろう。

これまで、もし自分がガンで死ぬのがわかっていたら告知してほしいとずっと思っていた。自分の人生だから。でも今の母の笑顔を見てると、何もこの笑顔をわざわざ悲しみに変えようとは思えない。最後まで気がつかないまま幸せを感じながらの方がいいのかもしれない、知らないほうがいいってこういう事なんだ。周りの人から見たら、こういう事なんだ。

「みんな順番だから。」母の口癖だった。
「しょうがないよな。」父が今日はいた言葉。
「孫が先にいくよりは、みんないっぺんにいくよりは、ずっと自然なことだ。」
今日、私が自分に言い聞かせた言葉。
それでも、母の元気な姿しか見ていないから、何かの間違いなんじゃないだろうかと今まだ不思議でならない。間違いなのかもしれない、もしかしたら良くなっちゃうのかもしれない、もう一度奇跡が起こるのかもしれない。

家のすぐ近くに大きな雷が落ちた。
あと1週間、私はいったい何をすればいいんだろう・・・。