12月16日(土)鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン
さいたま芸術劇場音楽ホール
【曲目】
1.モーツァルト/ 証聖者の荘厳な晩課「ヴェスペレ」ハ長調 K.339
2. モーツァルト/レクイエム ニ短調 K.626
【アンコール】
モーツァルト/アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618
【独唱】
S:森 麻季/A:マリアンネ・ベアーテ・キーラント/T:アンドレアス・ヴェラー/B:ドミニク・ヴェルナー
バッハコレギウムジャパンがモーツァルトをやるのは初めてとのこと。これはちょっと意外だったが、このバッハのスペシャルアンサンブルはモーツァルトにおいても素晴らしい実力を発揮した。
久々に聴いたBCJの演奏会だったが、合唱に3年前の音コンで優勝した臼木あいさんが入っていたり、オルガンに鈴木雅明氏の息子さんが出ていたりというところにも注目!
「レクイエム」の前にザルツブルク時代の大曲で演奏機会の少ない「ヴェスペレ」をやったが、それぞれの楽曲の前にグレゴリオ聖歌のアンティフォナを入れ、しかもバス独唱のヴェルナーがわざわざ合唱団の間に移動してこれを歌うという、典礼を意識したこだわり。演奏にもそのこだわりが如実に表れたようで、端正で厳格。しかしそれは硬いということではなく、モーツァルトならではの歌と生命力にも溢れた素敵な演奏。「ラウダーテ・ドミヌム」での森麻季の透明感のある美しい歌唱など印象に残る場面がたくさんあった。
「レクイエム」では、BCJは益々の冴えを見せた。音と響きの澄み切った深い透明度!倍音がびんびんと聞こえてくるようなピタリとはまったハーモニーの持つ力は、全てを分け隔てなく浮かび上がらせ真実を伝えてくるようだ。そうしたピュアな音でBCJが表現しようとするものは焦点が一点にピタリと当てられる。生半可な芝居を許さず、普段光の当たらないところまで照らし出し、また虚飾を剥ぎ取り、この音楽の純粋な美しさや厳しさを心にストレートに届けてくた。
感情に任せてドラマティックに表情付けするやり方とは正反対の、ストイックな中で本物のドラマを描こうとするBCJのアプローチにはごまかしが許されない。その分音楽を徹底的に読み込む必要もあるだろうし、音楽だけでなく鈴木雅明はこのレクイエムをキリスト教と不可分のものとして宗教的な意味づけをしっかりと行っているはずで、そうして得た表現すべきもののイメージを、全てイメージ通りに演奏し、響かせ、聴き手に届けるだけの演奏上の力量が求めらる。それを実現できるからこそBCJは世界で高く評価されているのだろう。
12月13日の日経の文化面に「モーツァルト新解釈」という記事が載っていたが、ここで編集委員の池田卓夫氏は「日本がクラシック音楽の輸入国である事実は永遠に変わらない」などと断じていたが、BCJは紛れもなく日本が発信し世界が注目する演奏団体だ。その他にもこの記事には疑問なことだらけだが…。
アンコールで演奏されたアヴェ・ヴェルム・コルプスの静謐さもこの世のものとは思えない美しさを呈していた。そしてただ美しいというだけではない、この曲がテーマにしている「死」を正面から見据えた上での厳しく、しかし深い慈愛の込められた演奏に、先ほど聞いた「レクイエム」の印象も重なり、妥協しない鈴木雅明/BCJの姿勢に感じ入り、襟を正す思いで帰路についた。
さいたま芸術劇場音楽ホール
【曲目】
1.モーツァルト/ 証聖者の荘厳な晩課「ヴェスペレ」ハ長調 K.339
2. モーツァルト/レクイエム ニ短調 K.626
【アンコール】
モーツァルト/アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618
【独唱】
S:森 麻季/A:マリアンネ・ベアーテ・キーラント/T:アンドレアス・ヴェラー/B:ドミニク・ヴェルナー
バッハコレギウムジャパンがモーツァルトをやるのは初めてとのこと。これはちょっと意外だったが、このバッハのスペシャルアンサンブルはモーツァルトにおいても素晴らしい実力を発揮した。
久々に聴いたBCJの演奏会だったが、合唱に3年前の音コンで優勝した臼木あいさんが入っていたり、オルガンに鈴木雅明氏の息子さんが出ていたりというところにも注目!
「レクイエム」の前にザルツブルク時代の大曲で演奏機会の少ない「ヴェスペレ」をやったが、それぞれの楽曲の前にグレゴリオ聖歌のアンティフォナを入れ、しかもバス独唱のヴェルナーがわざわざ合唱団の間に移動してこれを歌うという、典礼を意識したこだわり。演奏にもそのこだわりが如実に表れたようで、端正で厳格。しかしそれは硬いということではなく、モーツァルトならではの歌と生命力にも溢れた素敵な演奏。「ラウダーテ・ドミヌム」での森麻季の透明感のある美しい歌唱など印象に残る場面がたくさんあった。
「レクイエム」では、BCJは益々の冴えを見せた。音と響きの澄み切った深い透明度!倍音がびんびんと聞こえてくるようなピタリとはまったハーモニーの持つ力は、全てを分け隔てなく浮かび上がらせ真実を伝えてくるようだ。そうしたピュアな音でBCJが表現しようとするものは焦点が一点にピタリと当てられる。生半可な芝居を許さず、普段光の当たらないところまで照らし出し、また虚飾を剥ぎ取り、この音楽の純粋な美しさや厳しさを心にストレートに届けてくた。
感情に任せてドラマティックに表情付けするやり方とは正反対の、ストイックな中で本物のドラマを描こうとするBCJのアプローチにはごまかしが許されない。その分音楽を徹底的に読み込む必要もあるだろうし、音楽だけでなく鈴木雅明はこのレクイエムをキリスト教と不可分のものとして宗教的な意味づけをしっかりと行っているはずで、そうして得た表現すべきもののイメージを、全てイメージ通りに演奏し、響かせ、聴き手に届けるだけの演奏上の力量が求めらる。それを実現できるからこそBCJは世界で高く評価されているのだろう。
12月13日の日経の文化面に「モーツァルト新解釈」という記事が載っていたが、ここで編集委員の池田卓夫氏は「日本がクラシック音楽の輸入国である事実は永遠に変わらない」などと断じていたが、BCJは紛れもなく日本が発信し世界が注目する演奏団体だ。その他にもこの記事には疑問なことだらけだが…。
アンコールで演奏されたアヴェ・ヴェルム・コルプスの静謐さもこの世のものとは思えない美しさを呈していた。そしてただ美しいというだけではない、この曲がテーマにしている「死」を正面から見据えた上での厳しく、しかし深い慈愛の込められた演奏に、先ほど聞いた「レクイエム」の印象も重なり、妥協しない鈴木雅明/BCJの姿勢に感じ入り、襟を正す思いで帰路についた。