ベートーヴェン作曲 交響曲第9番ニ短調 作品125 「合唱付き」 L.v.Beethoven / Symphonie Nr.9 d-moll Op.125 "Choral" 今から200年近く遡る1824年にウィーンで初演されて以来、この交響曲は後世の作曲家達に計り知れない影響を与え、世界中の人々の人生観や価値観を変える原動力となり、ある時は人々を勇気づけ、またある時は癒しを与えてきました。第九は、オリンピックの開会式やドイツ統一の式典、また大災害で人々が打ちひしがれている時など、大きな出来事や節目に、人類の融和や協調を呼びかけ、絆を強めるために演奏されてきました。 人類にとっての理想の世界を訴えたベートーヴェンの音楽の力の賜物ですが、ベートーヴェンが生きた時代は、作曲家が自らの意志や思想を音楽で訴える時代ではなく、貴族や教会等の注文に合わせて作曲する時代でした。ベートーヴェンは、作曲を自らの思想の表現手段とした元祖と言えるでしょう。 中期の作品あたりから、ベートーヴェンは自らの意志をストレートに表現し、聴く人の感情を大きく動かす音楽を書くようになります。熱心に歴史や哲学を学びつつ世の中を観ていたベートーヴェンは、世の無常や不条理を感じ、真理に貫かれた崇高で理想の世界を求めるようになります。その姿勢・思いが、天賦の作曲の技を以て第九交響曲へと結実させました。そこでもう一つ欠かせなかったのがシラーの詩との出会いです。 第九の歌詞に使われているシラーの「歓喜に寄せて」は、歌われることを想定して1786年に発表されました。大げさな表現でひたすら「歓び」を連呼したこの詩は、発表当時から民衆の間で爆発的な人気を博し、多くの作曲家が歌をつけ、主に「集いの歌」、「飲み歌」として盛んに歌われました。しかしベートーヴェンは、この詩からシラーが託した普遍的な真理を読み取り、全108行の詩から30行だけを選び出して再構成し、自らの共感を交響曲という形にしたのです*。 常に型破りな音楽で世に問うてきたベートーヴェンですが、壮大で崇高な世界を謳い上げる第九では、更なる型破りに挑みました。交響曲に合唱を取り入れるというアイディア、尋常とは思えない音楽の爆発力や攻撃性、様々なリズムやテンポ、形式の混在、長大な演奏時間… 型破り尽くしの音楽は、やがて偉大な人類の遺産として不動の地位を得たのです。 第1楽章 最弱音の空虚な響きが次第に膨張して破壊的に炸裂する冒頭は、「無」からビッグバンによる宇宙誕生のシーンにも例えられます。ベートーヴェンは、maestoso(マエストーソ)「荘厳に」という発想標語を付して、宇宙的な壮大さを描いていますが、そこには「厳しさ」も同居しています。曲の中間部(展開部)では、モチーフを執拗に繰り返して畳み掛け、何かを求めて闘う姿を感じさせます。 第1楽章の構想をメモしたスケッチ帳には「絶望」と記されていて、絶望のどん底、怒り、そしてそこから光を見出そうと必死にもがく姿が見えるようです。楽章の最終盤、地の底から湧き上がるような強大なエネルギーの噴出の描写からは、光を求める強い意志が伝わります。 第2楽章 意を決して飛びかかる付点の大きなオクターブの跳躍の連続で始まります。楽章全体で繰り返されるオクターブのモチーフを、荒馬慣らしの様子に例えてみましょう。傍からは滑稽にも見えますが、馬も騎手も実は必死で、見た目と現実のギャップを、世の中の矛盾になぞらえて嘲笑しているようにも聴こえます。 中間部では一転して、管楽器と弦楽器が楽しげに呼び交わす夢見る調べが聴こえます。矛盾に満ちた世の中で、「楽園」を夢見ているようです。再び「荒馬慣らし」に戻ったあとに、また「楽園」が現れたと思いきや、「夢見てる場合じゃない!」という一喝で楽章は閉じられます。 第3楽章 ファゴットとクラリネットが音を重ね、弦が加わる出だしから、打って変わって穏やかな空気が支配します。「楽園」を探し求めて疲れ切った心と身体を、天使が自らの柔らかな翼で優しく包み込むような音楽です。管楽器と弦楽器がお互いに歌を交わし、変奏しつつ穏やかに進みます。 やがて音楽に動きが生じ、ヴァイオリンの旋律が軽やかで優雅なダンスを始めます。徐々に高揚してきて、それまで沈黙していたトランペットが高らかに奏でるファンファーレは、「楽園は近い」と天から告げる光のようです。そして音楽は再びまどろみの中へと落ちて行きます。しかし、ここは探し求めていた「楽園」ではありませんでした。 第4楽章 第3楽章の幸せなまどろみを蹴散らすような、「恐怖の和音」とも呼ばれる強烈な一撃で最終楽章が始まります。それに続いて現れるチェロとコントラバスのユニゾンによる語り風の朗唱(レチタティーヴォ)と他のパートの対話によって、この交響曲が何を求めているかが示されます。レチタティーヴォから有名な「歓びの歌」のメロディーに行きつく対話に耳を傾け、この音楽が伝えようとしているものを感じてみてください。 「歓びの歌」が最高潮に達した時、再び冒頭の「恐怖の和音」が現れ、ベートーヴェン自身が書いた「おお友らよ、これらの調べではなく、もっと心地よい、もっと歓びに満ちた調べに声を合わせよう!」という言葉がバリトンのソロで歌われます。この第一声によって、これまでの音楽に別れを告げ、新たな音楽、求め続けていた理想の世界を、シラーの詩に乗せて歌い始めます。 「全ての人々は兄弟になる Alle Menschen werden Brüder」 「抱き合え、幾百万の民よ! Seid umschlungen, Millionen!」 「この口づけを全世界へ! Diesen Kuss der ganzen Welt!」 「星空の彼方に愛しい父が住まう Überm Sternenzelt muss ein lieber Vater wohnen.」 これこそ、ベートーヴェンが生涯追い求めた「楽園」です。ベートーヴェンはあらゆる手法を用いて、パワフルに聴衆をこの楽園へと招き入れるのです。 私達、Musikfreunde “燦”は、シラーの詩が意味することを考え、ベートーヴェンが伝えようとしたメッセージを、今を生きる自分達の問題として受けとめ、それを私達の言葉として伝えようと心がけてきました。合唱団も最初からステージに上り、第1~第3楽章を共有した上でフィナーレの合唱に臨みます。私達の演奏がステージと客席を一体にして、共に「歓び」を謳歌できることを願っています。 (解説:「燦」合唱団員 高島豊) * シラーの「歓喜に寄せて」と「第九」の関係については、以下の書籍で詳しく述べられています。 『「歓喜に寄せて」の物語 シラーとベートーヴェンの「第九」』 矢羽々 崇 著 現代書館, 2007 ※本解説は、2017年1月12日にミューザ川崎シンフォニーホールで行われた、Musikfreunde 燦 第1回演奏会のプログラムから転載しました。 第九を歌う ~Musikfreunde "燦" 旗揚げ公演~ モーツァルト「レクイエム」曲目解説 ~Musikfreunde "燦" 第2回演奏会~ |
♪ブログ管理人の作曲♪
金子みすゞ作詞「積もった雪」
MS:小泉詠子/Pf:田中梢
金子みすゞ作詞「私と小鳥と鈴と」
S:薗田真木子/Pf:梅田朋子
「子守歌」~チェロとピアノのための~
Vc:山口徳花/Pf:奥村志緒美
合唱曲「野ばら」
中村雅夫指揮 ベーレンコール
金子みすゞ作詞「さびしいとき」
金子みすゞ作詞「鯨法会」
以上2曲 MS:小泉詠子/Pf:田中梢
「森の詩」~ヴォカリーズ、チェロ、ピアノのためのトリオ~
MS:小泉詠子/Vc:山口徳花/Pf:奥村志緒美
拡散希望記事!やめよう!エスカレーターの片側空け