4月14日(木)仲道郁代 (Pf)
~ピアノ爛漫~
東京文化会館小ホール
【曲目】
(献奏)ショパン/夜想曲第20番(レント・コン・グラン・エスプレシオーネ)
シューマン/リスト編曲/歌曲集《ミルテの花》op.25-1より「献呈」S.566
リスト/
愛の夢第3番 変イ長調
超絶技巧練習曲第10番 ヘ短調
森のざわめき 変ニ長調
小人の踊り 嬰ヘ短調
3つの演奏会用練習曲より第3番「ため息」変ニ長調
メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」S.514
ショパン/
ポロネーズ第3番 イ長調「軍隊」op.41-1
スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31
12の練習曲op.10第5番 変ト長調「黒鍵」
12の練習曲op.25第1番 変イ長調「エオリアンハープ」
12の練習曲op.10第3番 ホ長調「別れの曲」
バラード第4番 ヘ短調 op.52
ポロネーズ第6番 変イ長調「英雄」op.53
【アンコール】
1.シューマン/トロイメライ
2.エルガー/愛の挨拶
約1年振りに聴く郁代さんのリサイタルは、郁代さんがレジデントアーティストを務めているという、石巻市に近い七ヶ浜国際村ホールのスタッフの話で始まった。大変な状況の中でも前向きに生きよう力が伝わってきた、というエピソード。献奏としていつもアンコールでやるショパンの遺作のノクターンが演奏された。
それからは予定通りのプログラムで、リストとショパンの名曲の数々を味わった。このリサイタルでは去年同様に、郁代さんは殆んど1曲ずつ、演奏する曲についてのエピソードを紹介しながら進んでいった。どれもとても興味深い話で、曲へのイメージがよりつかめる、というポイントがある半面、今夜のような小品ばかりの曲目では、プログラムの進行につれて盛り上がってくる聴く側としてのテンションが途切れてしまうようにも感じた。しかし、郁代さんの演奏はいつもにも増して親密で、心に染みてくるシーンをいくつも味わった。
今年生誕200年を迎えたリストと去年生誕200年だったショパンをそれぞれ前半と後半にまとめ、それぞれの音楽の特徴を聴き分けられるプログラミングも面白い。郁代さんの演奏でこれだけまとめてリストを聴くのは初めてのように思うが、その演奏は想像していた以上に郁代さんらしいものだった。どんなに超絶技巧の曲でも、それを超絶技巧と思わせない、流麗さで弾いてしまう腕前の見事さもさることながら、派手やかさや強靭さが際立ったリストではなく、常に肌の感触と温もりを感じる、滑らかで優しい表情を湛えたリスト。トークで「こんな派手に編曲されてしまい、この歌をとても大切にしているシューマン夫妻の怒りを買った」と紹介したリスト編曲のシューマン「献呈」も、郁代さんが弾けば、原曲の憧れを歌う気持ちがこぼれるように伝わってくるし、「メフィストワルツ」だって何やら優雅な舞曲に聴こえる。
後半のショパン、最初の「軍隊ポロネーズ」では、この曲が、勇ましさではなくこれほど優雅に香り高く演奏されるのを聴いたことはない。「スケルツォ」や「バラード」、「別れの曲」からは、更に静かで深い情感が加わり、演奏者と聴き手の心の距離がまたぐっと近づいたのを感じた。
最近の郁代さん弾くショパンは、苦しいほどに切なく、深いところへと向かっているのを感じていたが、今夜のショパンはもう少し打ち解けた親密感が伝わってきたのは、小品だけによる打ち解けたコンサートの雰囲気が反映されたのか、それとも郁代さんの更なる変化の兆しだろうか。それと、今夜の演奏からは、いつもはここぞというときには聞かせるフォルティッシモの大音量が殆んど影を潜め、音楽の流れを大切にしているように感じられた。ショパン時代の歴史的なピアノ(プレイエル)に出会い、ショパンのコンチェルトをプレイエルでレコーディングするほどこの楽器に魅了されていることと関係あるのかも知れない。
仲道郁代 ピアノ・リサイタル(2010.2.6)
~ピアノ爛漫~
東京文化会館小ホール
【曲目】
(献奏)ショパン/夜想曲第20番(レント・コン・グラン・エスプレシオーネ)
シューマン/リスト編曲/歌曲集《ミルテの花》op.25-1より「献呈」S.566
リスト/
愛の夢第3番 変イ長調
超絶技巧練習曲第10番 ヘ短調
森のざわめき 変ニ長調
小人の踊り 嬰ヘ短調
3つの演奏会用練習曲より第3番「ため息」変ニ長調
メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」S.514
ショパン/
ポロネーズ第3番 イ長調「軍隊」op.41-1
スケルツォ第2番 変ロ短調 op.31
12の練習曲op.10第5番 変ト長調「黒鍵」
12の練習曲op.25第1番 変イ長調「エオリアンハープ」
12の練習曲op.10第3番 ホ長調「別れの曲」
バラード第4番 ヘ短調 op.52
ポロネーズ第6番 変イ長調「英雄」op.53
【アンコール】
1.シューマン/トロイメライ
2.エルガー/愛の挨拶
約1年振りに聴く郁代さんのリサイタルは、郁代さんがレジデントアーティストを務めているという、石巻市に近い七ヶ浜国際村ホールのスタッフの話で始まった。大変な状況の中でも前向きに生きよう力が伝わってきた、というエピソード。献奏としていつもアンコールでやるショパンの遺作のノクターンが演奏された。
それからは予定通りのプログラムで、リストとショパンの名曲の数々を味わった。このリサイタルでは去年同様に、郁代さんは殆んど1曲ずつ、演奏する曲についてのエピソードを紹介しながら進んでいった。どれもとても興味深い話で、曲へのイメージがよりつかめる、というポイントがある半面、今夜のような小品ばかりの曲目では、プログラムの進行につれて盛り上がってくる聴く側としてのテンションが途切れてしまうようにも感じた。しかし、郁代さんの演奏はいつもにも増して親密で、心に染みてくるシーンをいくつも味わった。
今年生誕200年を迎えたリストと去年生誕200年だったショパンをそれぞれ前半と後半にまとめ、それぞれの音楽の特徴を聴き分けられるプログラミングも面白い。郁代さんの演奏でこれだけまとめてリストを聴くのは初めてのように思うが、その演奏は想像していた以上に郁代さんらしいものだった。どんなに超絶技巧の曲でも、それを超絶技巧と思わせない、流麗さで弾いてしまう腕前の見事さもさることながら、派手やかさや強靭さが際立ったリストではなく、常に肌の感触と温もりを感じる、滑らかで優しい表情を湛えたリスト。トークで「こんな派手に編曲されてしまい、この歌をとても大切にしているシューマン夫妻の怒りを買った」と紹介したリスト編曲のシューマン「献呈」も、郁代さんが弾けば、原曲の憧れを歌う気持ちがこぼれるように伝わってくるし、「メフィストワルツ」だって何やら優雅な舞曲に聴こえる。
後半のショパン、最初の「軍隊ポロネーズ」では、この曲が、勇ましさではなくこれほど優雅に香り高く演奏されるのを聴いたことはない。「スケルツォ」や「バラード」、「別れの曲」からは、更に静かで深い情感が加わり、演奏者と聴き手の心の距離がまたぐっと近づいたのを感じた。
最近の郁代さん弾くショパンは、苦しいほどに切なく、深いところへと向かっているのを感じていたが、今夜のショパンはもう少し打ち解けた親密感が伝わってきたのは、小品だけによる打ち解けたコンサートの雰囲気が反映されたのか、それとも郁代さんの更なる変化の兆しだろうか。それと、今夜の演奏からは、いつもはここぞというときには聞かせるフォルティッシモの大音量が殆んど影を潜め、音楽の流れを大切にしているように感じられた。ショパン時代の歴史的なピアノ(プレイエル)に出会い、ショパンのコンチェルトをプレイエルでレコーディングするほどこの楽器に魅了されていることと関係あるのかも知れない。
仲道郁代 ピアノ・リサイタル(2010.2.6)