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メータ指揮 N響 「第9」特別演奏会

2011年04月10日 | N響公演の感想(~2016)
2011年4月10日(日)ズービン・メータ指揮 NHK交響楽団
~東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2011-被災者支援チャリティー・コンサート~
東京文化会館

【曲目】
バッハ/アリア
ベートーヴェン/交響曲 第9番 ニ短調 op.125「合唱付き」

S:並河寿美/MS:藤村実穂子/T:福井 敬/Bar:アッティラ・ユン/合唱:東京オペラシンガーズ

様々な目玉コンサートの予定が目白押しだった東京・春・音楽祭だったが、震災のためにその多くが中止となったなか、急遽新たに企画され実現したのがこのメータ指揮N響によるチャリティーコンサート。メータの強い意思により実現したとのこと。超満員の会場、ステージに合唱団が入場を始め、最後にコンマスの堀さんが挨拶をするまでずっと拍手が続いた。メータが登場すると、大喝采と共に、もうあちこちからブラボーコール。この聴衆の反応は純粋に大指揮者への敬意プラス、こんな時に来日し、震災の犠牲者のために演奏会を行ってくれるという、人間メータへの称賛が入っている。

演奏の前、メータの呼びかけで全員が起立して黙祷、続いてバッハのアリアが献奏された。16年前の1995年、小澤征爾とN響の実に32年振りの共演が実現した日、阪神大震災の犠牲者のために同じ曲が献奏されたことを思い出す。その時と同じように、柔らかく澄みきった音色が、天上から優しく魂を包み込むような「アリア」だった。

そして第9が始まった。メータ指揮N響の第9ということで並々ならぬ期待を抱いていた身としては、第1楽章から第3楽章まで聴き進めてきて、一体この演奏をどう受け止めていいのか、戸惑ってしまった。要所をカッチリ押さえつつ、過剰な表現や感情移入を一切廃したストイックな演奏と受け止めることもできるが、言い方を変えれば、ドライで無機質な演奏とも言える。いずれにしても、魂を揺さぶられるような感動は伝わって来ず、第3楽章にしても、きれいではあるがどこか素っ気ない。第4楽章で「喜びの歌」のメロディーが出てくれば… と期待を繋いだが、そのメロディーによるオケの変奏が盛り上がる場面でも変化はない。

メータが何をしたいのかが見えてこないままだったのが、バリトンソロで一転した。アッティラ・ユンのソロは力強く真っ直ぐに、揺るぎない確信に満ちて「おお友よ!」と訴えてきた。「喜びよ!」という呼び掛けに呼応する男声合唱がまた力強く輝かしい。

それから先は、それまでとは全く違う、目の覚めるような演奏が繰り広げられ、演奏にグイグイと引き込まれていった。素晴らしいソリスト達、パワーも密度も表現力も申し分ない合唱(東京オペラシンガーズの合唱はスウェーデン放送合唱団と肩を並べるレベル!)、オケも生き返ったように呼吸し、熱を帯びてきた。何の迷いもない、強く確信に満ちたメッセージが、完全燃焼してストレートに伝わってくる。そのメッセージは重く気高く黄金のように輝かしい。

「時が厳しく断ち切ったものを汝の魔力によって再び結び合わせる」「抱き合え、100万の民よ!」「全ての人々は兄弟になる」… ベートーヴェンがシラーの詩から選び抜いた言葉が、こんなにも真っ直ぐに心を突き動かしてきたのは、これらの言葉が今の状況にあまりにもぴったり、ということもあるかも知れない。

曲も終盤に入り、合唱が「全ての人々は(Alle Menschen)」と急速なテンポで3回繰り返し、一気にポコアダージョにテンポを落とし、もう1度「全ての人々は」と繰り返した後、「汝の柔らかい翼の上で兄弟になる」と内面から歌い上げるくだりの、何と人間味と強い愛に溢れた感動的な訴え… 涙が溢れ、止めることができなくなった。その後は怒涛のように力強く最後のクライマックスを歌い上げ、崇高なフィナーレを築き上げた。

第9の演奏には「気合いと勢いでやるしかないっショ」的なところがあり、「第9はスポーツだ!」なんて思っていたフシもあったが、今回の演奏はただ気合いとエネルギーで押し通すだけでは決して伝えることのできない、真摯で濃密で強く気高いメッセージを、凝縮されたスタイルで、熱く真っ直ぐに放ってきた。これこそがメータの表現したかった音楽であり、オーケストラ、合唱、ソリスト達が伝えたかったものに違いない。

「おれたちのこの思いを音楽で伝えるんだ!」といった、具体的な思いを演奏に託し、それが実際に聴き手に伝わるというセンチメンタルなアマチュアリズムは幻想でしかないと普段は思っていたが、今日のこの演奏は、メータとプレイヤー達の真摯な思いが、ピュアに昇華され、奇跡的にひとつの強い祈りとなって会場を満たし、世界へと発信されているのを感じた。

「自分達が今伝えたいものはこの第4楽章にしかない!」という思いが、この楽章をこれほどまでの演奏にし、逆に、そうした思いから遠いところにある1~3楽章では模索的な演奏になってしまった… プロの演奏家に対してこのようなコメントを述べるのは的外れと言われそうだが、そんな風にしかこのギャップは説明のしようがないではないか。

終演後会場は凄まじいほどに盛り上がった。大勢の人達が涙を流した。一階は殆んど全員が、立つスペースの狭い2階席以上の聴衆も大勢がその場に立ち、これまでに居合わせた演奏会では記憶がないほどの大規模なスタンディングオベーションが、いつまでも、ステージに誰も居なくなっても続いた。



出口ではN響団員達が自ら募金箱を抱えて募金を呼び掛けていた。この演奏会を純粋に聴きたくてチケットを買った身としては、改めて別途義援金も出したいという気持ちになり、ヴァイオリンの大宮さんに寄付を託した。

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