7月17日(火)仲道郁代(Pf)/パーヴォ・ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団
紀尾井ホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.19
2.ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調Op.93
3.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73「皇帝」
【アンコール】
1.エルガー/愛の挨拶
2.シベリウス/悲しきワルツOp.44
Pf:仲道郁代(1,3,アンコール1)
仲道さんがドイツのオケとベートーヴェンのコンチェルトをやり値段もそんなに張らない… ということでドイツ・カンマー・フィルというオケについては何も知らずにチケットを買った。そして今夜初めて聴いたこのオケの第一声を聴いて、そのピリオドな響きにびっくり。弦は普通にヴィヴラートをかけているし、ホルンやフルートも今の楽器。でもトランペットやティンパニは古楽器風…
最初のベートーヴェンの若い時代のコンチェルトのオケを聴いていて、まず浮かんだ印象は「かしましい」という言葉。とにかくよく大きな声でしゃべりかけてくる。開けっ広げで少々大味。仲道さんの内面から優美さが湧き出てくるような美しいピアノの演奏とはあまり合わないような気がした。3楽章は仲道さんのイメージからいくと嬉々として軽やかな舞曲風なピアノを期待したのだが、かなりのアジタート気味でたたみかけてくるのはヤルヴィの影響か…? ヤルヴィのセンスに疑問が残った。
続く8番を聴いてしかしそのヤルヴィへの印象は好転。明快でエネルギッシュ、ここでは全力投球の演奏が功を奏する。1楽章の展開部の押せ押せの推進力など鮮烈でみなぎるエネルギーを随所に感じる好演。ん~、でもこの手の演奏なら例えば紀尾井シンフォニエッタにやらせたほうがもっといいかも… それに、やたらと活きはいいけれどピリオド奏法ってそれだけ? ピリオド奏法のもう1つの魅力であるデリケートな表情があまり聴こえてこない(この演奏をピリオド演奏と断言はできないが…)。
再び仲道さんを迎えての「皇帝」は2番の時とは打って変わってオケとピアノが共鳴し合う充実した演奏になった。しなやかで自然な仲道さんのピアノは、いつもながらその磨き抜かれた音色の美しさが映える。枝葉末端まで神経が行き届き、みなぎる生命力も素晴らしい。オケの音が温まり、しっとりと潤ってきたように感じたのは、この音を聴きなれてきたからだけではないように思う。メリハリとパワーを随所に聴かせながらも「かしましい」のではなくとても雄弁で柔軟な表情を得て、仲道さんとの瑞々しく華やかな協演を繰り広げ、理想的な「皇帝」となった。
仲道さんの十八番の「愛の挨拶」を聴けたのも幸せだったが、アンコールとしてヤルヴィ/カンマーフィルが演奏したシベリウスがまた素晴らしかった。これ以上あり得ないような微弱音のピアニッシモや、誇張に誇張を重ねたような「溜め」やテンポの揺らしを多用した演奏が、全く不自然さを感じずに体に乗り移ってきたような気分になった。これはヤルヴィマジックか? 音楽のチャームポイントを的確に捉えてそれをアンコールらしく大袈裟に表現して厭味にならないのは、やはりヤルヴィのセンスと実力の賜物なのだろう。
紀尾井ホール
【曲目】
1.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.19
2.ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調Op.93
3.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73「皇帝」
【アンコール】
1.エルガー/愛の挨拶
2.シベリウス/悲しきワルツOp.44
Pf:仲道郁代(1,3,アンコール1)
仲道さんがドイツのオケとベートーヴェンのコンチェルトをやり値段もそんなに張らない… ということでドイツ・カンマー・フィルというオケについては何も知らずにチケットを買った。そして今夜初めて聴いたこのオケの第一声を聴いて、そのピリオドな響きにびっくり。弦は普通にヴィヴラートをかけているし、ホルンやフルートも今の楽器。でもトランペットやティンパニは古楽器風…
最初のベートーヴェンの若い時代のコンチェルトのオケを聴いていて、まず浮かんだ印象は「かしましい」という言葉。とにかくよく大きな声でしゃべりかけてくる。開けっ広げで少々大味。仲道さんの内面から優美さが湧き出てくるような美しいピアノの演奏とはあまり合わないような気がした。3楽章は仲道さんのイメージからいくと嬉々として軽やかな舞曲風なピアノを期待したのだが、かなりのアジタート気味でたたみかけてくるのはヤルヴィの影響か…? ヤルヴィのセンスに疑問が残った。
続く8番を聴いてしかしそのヤルヴィへの印象は好転。明快でエネルギッシュ、ここでは全力投球の演奏が功を奏する。1楽章の展開部の押せ押せの推進力など鮮烈でみなぎるエネルギーを随所に感じる好演。ん~、でもこの手の演奏なら例えば紀尾井シンフォニエッタにやらせたほうがもっといいかも… それに、やたらと活きはいいけれどピリオド奏法ってそれだけ? ピリオド奏法のもう1つの魅力であるデリケートな表情があまり聴こえてこない(この演奏をピリオド演奏と断言はできないが…)。
再び仲道さんを迎えての「皇帝」は2番の時とは打って変わってオケとピアノが共鳴し合う充実した演奏になった。しなやかで自然な仲道さんのピアノは、いつもながらその磨き抜かれた音色の美しさが映える。枝葉末端まで神経が行き届き、みなぎる生命力も素晴らしい。オケの音が温まり、しっとりと潤ってきたように感じたのは、この音を聴きなれてきたからだけではないように思う。メリハリとパワーを随所に聴かせながらも「かしましい」のではなくとても雄弁で柔軟な表情を得て、仲道さんとの瑞々しく華やかな協演を繰り広げ、理想的な「皇帝」となった。
仲道さんの十八番の「愛の挨拶」を聴けたのも幸せだったが、アンコールとしてヤルヴィ/カンマーフィルが演奏したシベリウスがまた素晴らしかった。これ以上あり得ないような微弱音のピアニッシモや、誇張に誇張を重ねたような「溜め」やテンポの揺らしを多用した演奏が、全く不自然さを感じずに体に乗り移ってきたような気分になった。これはヤルヴィマジックか? 音楽のチャームポイントを的確に捉えてそれをアンコールらしく大袈裟に表現して厭味にならないのは、やはりヤルヴィのセンスと実力の賜物なのだろう。