「私達オーストリア人はドイツ人のように何でもずけずけとものを言ったりせず、相手の気持ちを気遣うんですよ。」
これは私が何人かのオーストリア人から聞いた共通する言葉だ。相手の気持ちを気遣う手段として、オーストリア人はドイツ人より会話でも頻繁に接続法Ⅱ式を使うのだそうだ。
接続法Ⅱ式というのは、例の "Ich würde mich sehr freuen, wenn Sie vielleicht dazu kommen würden, dass ~." (もし~していただけるようならとっても嬉しいのですが・・・)という類の婉曲表現だ。彼らは「ドイツ人のストレートなものの言い方」に日頃から少なからぬショックを受けているに違いない。
概してオーストリアの人達は自分たちはドイツ人と比べて奥ゆかしく遠慮深い集団と思っている人が多い。ハプスブルク家の伝統と面影が今も色濃く残るウィーンなどでは、人々の多くは王朝社会から受け継がれている品格を誇りに感じている。そういえばオーストリア人のしゃべる、母音がいくぶん鼻にかかる京ことばのようなドイツ語の響きは、ドイツ人の弾丸のようにまくしたてるメリハリの効いたドイツ語と比べてどことなく優雅な感じがする。
一方ドイツ人はオーストリア人をどう見ているのだろう。「薔薇の騎士」をはじめとする数々のオペラ名作を生んだコンビとして名高い、ミュンヘン出身の作曲家R.シュトラウスとウィーン出身の詩人ホーフマンスタールの間に交わされた往復書簡集に興味深い下りがある。
ホーフマンスタールがシュトラウスの滞在地に出向いた際、シュトラウスが≪ヨーゼフ≫という新曲をピアノで披露してくれることを心待ちにしていたのに、それがかなわなかったことに落胆したホーフマンスタールが後日手紙で、「口には出せなかったけれど新曲を聞くのをとても楽しみにしていたのに」といったことを訴えると、シュトラウスがすかさず、
『あなたもまた正真正銘のウィーン人ですね。あっさり「先生、≪ヨーゼフ≫から何か弾いて聞かせてください」とおっしゃればいいのに、会話の進展を窺って、そうならなかったものだから、今度はあとから手紙でおっしゃるなんて。これは全くあなたが悪いのですぞ。』(色分けは引用者による)
と手厳しく反論する。(「リヒャルト・シュトラウス ホーフマンスタール往復書簡全集 ヴィリー・シュー編/中島悠爾訳」音楽之友社より)
日本人ならこんな時
「気がつかなくてごめんなさい。今度会ったときに是非ともお聞かせします。」
などと反応するのが一般的だろうが、シュトラウスのように
「なぜ思ったことをはっきり言わないのですか?言わなければわからないでしょ!?」
と反応するのがいかにもドイツ人といえるところかも知れない。そんなドイツ人達にはオーストリア人や、なお更のこと日本人の態度はまどろっこしく、じれったく、わかりにくいと映っていることだろう。
議論をしても、威勢のいいドイツ人を前にオーストリア人がたじたじになってしまうことも多い。オーストリア人は日頃のそうしたうっぷんをどこかで晴らしたいと考えている。
2002年のサッカー・ワールドカップ、ドイツ対韓国戦がウィーンの街頭で放映されていたとき、テレビの前に集まった人達は韓国を「それ行け!」という感じで応援していた。
「みんな韓国ファンなんですか?」と聞いたら
「そういうわけでもないんだけれど、オーストリア人は1人残らずアンチ・ドイツなのさ。」
という返答。ここら辺にもドイツ人とオーストリア人の間の微妙な心の関係が現れているように感じた。
ステレオタイプ的意見との批判を覚悟のうえで、ドイツ人とオーストリア人について触れてみたが、奥ゆかしいドイツ人やずけずけものを言うオーストリア人だっていっぱいいることは言うまでもない。