5月7日(水)新国立劇場オペラ公演
新国立劇場
【演目】
ツィンマーマン/「軍人たち」
【配役】
ヴェーゼナー:鹿野由之/マリー:ヴィクトリア・ルキアネッツ/シャルロッテ:山下牧子/ヴェーゼナーの老母:寺谷千枝子/シュトルツィウス:クラウディオ・オテッリ/シュトルツィウスの母:村松 桂子/フォン・シュパンハイム伯爵 大佐:斉木健詞/デポルト:ピーター・ホーレ 他
【演出】ウィリー・デッカー
【美術・衣装】ヴォルフガング・グスマン
【演奏】
若杉 弘指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団
「20世紀音楽を集大成した傑作オペラ。破格に長期の準備期間を要し、日本オペラ上演史に大きな意味を持つ上演。若杉弘はこのオペラを上演する為に新国立劇場の芸術監督を引き受けた…」
こんなキャッチフレーズを目にしたら「これは行かなきゃ」という気持ちになる。
オーケストラのチューニングが終わり指揮者の登場を待っていたら、いきなり衝撃的なオープニングの情景が不協和音の音の塊とともに出現!このときの印象は場面がいろいろに変わっても常にこのオペラの定旋律として存在し続けた。
このオペラの筋書きはつかみどころがないが、つまるところ「マリー」という商人の娘にまつわる肉欲、愛憎、破局がテーマ。音楽も舞台も非常に刺激的な上演だった。
まず音楽。前衛真っ盛りの時代に生まれたこのオペラから聞こえる音は、人間の生々しい愛欲や激しい憎しみ、怒り、絶望、享楽といった様々な感情を、クラスター的な塊や軋み、摩擦、リズムを駆使してリアルに伝えてくる。焦げ臭さが漂ってくるような燃焼度。
ツィンマーマンのこれほどまでに濃密な妥協のない音楽そのものに感嘆すると同時に、若杉/東フィルの演奏にも感服。不協和音なので間違ってもわからないところもあるが、この切羽詰まった緊張度や密度の高さ、リアルな響きや熱気は、意気込みと技量を備え、アンサンブルがかみ合わなければ成し得ない代物。
それからマリー役のルキアネッツをはじめ充実した歌手陣。見事にコントロールされた迫真の歌唱で、登場人物たちの心の奥底のドロドロしたものが吐き出されるようなリアルな存在感を示した。PAを客席に配した音響効果もなかなかのものだが、前触れ込みである程度想像していた範囲内の凄さだった。
次に舞台。これは前衛の演劇とかバレエを観ているようで壮観だった。赤、黒、白っぽい色の3色が基本色。なかでも赤は照明効果でどぎつさのトーンが変化する。そんな中で現れる緑や黄色が強烈なアクセントとして働く。群衆の動きや舞台の傾き、壁が倒れたり、黒の壁に突如真紅の窓が開いたり… 様々な暗示的な動きや変化が見られたがそれらを読み解くのは難しい。しかし、このオペラを見終わった後の気分を思い出すと、オペラのテーマについて観る者の感覚を強烈に喚起したことは間違いない。そうでなくても、この視覚的なメッセージは「1つの現代芸術」を体験するという意味だけでも大きい。とにかく刺激的だった。
終演後、劇場は大きな拍手喝采とブラボーに包まれた。僕もすごいと思った。でもこうした強烈な性的なメッセージに支配されたグロテスクと言えるほどの舞台は(全裸シーンなどは皆無だがもしかするとそれ以上にメッセージ性は強い)、上演中はそれにのめり込んでも終わると何とも言えない倦怠感に襲われる。家に帰ってからもなんだか体中がだるく、わけもなく不安感に襲われたのはこのオペラを観たせい。
こうした挑戦的、挑発的な現代オペラをこれまでどちらかと言えば保守的な新国立劇場が取り上げた意味は大きい。今回は外国のプロダクションを持ち込んだものだったが、更に進んで新国立劇場がオリジナルでこうした現代オペラを世界に発信することを期待したい。
★ブログ紹介★
今回の「軍人たち」に関するブログを後日いろいろ読んでいたなかで二期会のテノール歌手、高田正人さんのレビューが大変参考になりました。この上演を深く読み取ってとても的確な言葉で解き明かしていらっしゃいます。
新国立劇場
【演目】
ツィンマーマン/「軍人たち」

【配役】
ヴェーゼナー:鹿野由之/マリー:ヴィクトリア・ルキアネッツ/シャルロッテ:山下牧子/ヴェーゼナーの老母:寺谷千枝子/シュトルツィウス:クラウディオ・オテッリ/シュトルツィウスの母:村松 桂子/フォン・シュパンハイム伯爵 大佐:斉木健詞/デポルト:ピーター・ホーレ 他
【演出】ウィリー・デッカー
【美術・衣装】ヴォルフガング・グスマン
【演奏】
若杉 弘指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団
「20世紀音楽を集大成した傑作オペラ。破格に長期の準備期間を要し、日本オペラ上演史に大きな意味を持つ上演。若杉弘はこのオペラを上演する為に新国立劇場の芸術監督を引き受けた…」
こんなキャッチフレーズを目にしたら「これは行かなきゃ」という気持ちになる。
オーケストラのチューニングが終わり指揮者の登場を待っていたら、いきなり衝撃的なオープニングの情景が不協和音の音の塊とともに出現!このときの印象は場面がいろいろに変わっても常にこのオペラの定旋律として存在し続けた。
このオペラの筋書きはつかみどころがないが、つまるところ「マリー」という商人の娘にまつわる肉欲、愛憎、破局がテーマ。音楽も舞台も非常に刺激的な上演だった。
まず音楽。前衛真っ盛りの時代に生まれたこのオペラから聞こえる音は、人間の生々しい愛欲や激しい憎しみ、怒り、絶望、享楽といった様々な感情を、クラスター的な塊や軋み、摩擦、リズムを駆使してリアルに伝えてくる。焦げ臭さが漂ってくるような燃焼度。
ツィンマーマンのこれほどまでに濃密な妥協のない音楽そのものに感嘆すると同時に、若杉/東フィルの演奏にも感服。不協和音なので間違ってもわからないところもあるが、この切羽詰まった緊張度や密度の高さ、リアルな響きや熱気は、意気込みと技量を備え、アンサンブルがかみ合わなければ成し得ない代物。
それからマリー役のルキアネッツをはじめ充実した歌手陣。見事にコントロールされた迫真の歌唱で、登場人物たちの心の奥底のドロドロしたものが吐き出されるようなリアルな存在感を示した。PAを客席に配した音響効果もなかなかのものだが、前触れ込みである程度想像していた範囲内の凄さだった。
次に舞台。これは前衛の演劇とかバレエを観ているようで壮観だった。赤、黒、白っぽい色の3色が基本色。なかでも赤は照明効果でどぎつさのトーンが変化する。そんな中で現れる緑や黄色が強烈なアクセントとして働く。群衆の動きや舞台の傾き、壁が倒れたり、黒の壁に突如真紅の窓が開いたり… 様々な暗示的な動きや変化が見られたがそれらを読み解くのは難しい。しかし、このオペラを見終わった後の気分を思い出すと、オペラのテーマについて観る者の感覚を強烈に喚起したことは間違いない。そうでなくても、この視覚的なメッセージは「1つの現代芸術」を体験するという意味だけでも大きい。とにかく刺激的だった。
終演後、劇場は大きな拍手喝采とブラボーに包まれた。僕もすごいと思った。でもこうした強烈な性的なメッセージに支配されたグロテスクと言えるほどの舞台は(全裸シーンなどは皆無だがもしかするとそれ以上にメッセージ性は強い)、上演中はそれにのめり込んでも終わると何とも言えない倦怠感に襲われる。家に帰ってからもなんだか体中がだるく、わけもなく不安感に襲われたのはこのオペラを観たせい。
こうした挑戦的、挑発的な現代オペラをこれまでどちらかと言えば保守的な新国立劇場が取り上げた意味は大きい。今回は外国のプロダクションを持ち込んだものだったが、更に進んで新国立劇場がオリジナルでこうした現代オペラを世界に発信することを期待したい。
★ブログ紹介★
今回の「軍人たち」に関するブログを後日いろいろ読んでいたなかで二期会のテノール歌手、高田正人さんのレビューが大変参考になりました。この上演を深く読み取ってとても的確な言葉で解き明かしていらっしゃいます。
リズム感があるオペラでしたよね、変拍子だけれども。軍人たちが酒場でスプーンを机に打ちつけるところも、きびきびしていました。
稀にしか上演されないオペラでしょうから、充分楽しんでおきました♪
それにもまして新国立劇場の舞台をほぼ半分に切り取ってしまったような閉塞空間の心理的圧迫はカタルシス。時折ステージ奥に開かれることはあっても、上下左右に仕切られた枠が邪魔をして、心理的開放を許さない。第3幕まではそのステージの緊張にフラストレーションが溜まりまくってましたが、第4幕ではその室内的空間がまるで地獄にそのまま飲み込まれるかのように傾斜して、ついに上官の毒殺が果たされて、自らも杯をあおって自殺するところの劇的なカタストロフには息を呑みました。全てはこの一点に収斂することを意図していたとしか思われないグレアム・ヴィックの物凄い読みの深さ!これが演出家の仕事と、改めて痛感した次第。
おそらく、僕が70年大阪万博の頃、レコード芸術誌の特集記事でこの作品を知り、その後いろいろな記事でこの作品の内容を断片的に得た知識からすれば、ヴィックの演出は、作曲者ツィンマーマンのト書きをだいぶ自由に解釈していたようですが(指定されたマルチ・スクリーンは遂に登場しませんでしたね)、この演出で、コラージュの音楽=舞台が求心力を増すことに大きく貢献していたと思います。
しかし圧巻は、漆黒の闇の中、マルチ・スピーカによって流されたミュージック・コンクレートの音響でした。軍人たちの行進、悲鳴、爆音が不条理で絶対的圧倒的な力を聴くものにイメージさせずにはおかないものだったと思います。漆黒の闇の中、絶望的で苛烈なテープ音楽の威力!CDなどで聴くテープ音楽はとてもつまらないものですが、このようにところを得れば何にもまして強大な衝撃を与えるのですね。
そういえば、第2幕の酒場のシーンで軍人たちがスプーンでテーブルを叩くのもスコアに書いてあるそうです。第1幕の過剰で抑制がきかない咆哮には辟易としましたが(その不協和音の必然性を僕は「ホロス」や「キヤニア」ほどには感じない)、そのような「作曲」に贅を注ぎ込んだ音楽より、場内に流されたテープやスプーンが刻むリズムのほうが印象に強く残ったことによって、逆説的にツィンマーマンの音楽の限界が感じられたように思います。
歌手たちは困難なパートをよく歌っていたと思いました。ほとんどの登場人物たちが顔を白く塗っていたため、結果として日本人歌手と外国組が遠目には区別がつかず、それゆえか、日本人歌手たちの力量の高さを知ることができたのも収穫でした。
若杉指揮東フィル、舞台初演のこのオペラの音楽を良く弾きこんでいたと思いました。でも、この音楽のレベルであればNHK交響楽団だったらもっと上手く弾くことができたのでは?
例えばタマヨ=ルクセンブルク・フィルのクセナキスのCDを聴くと、今はとてもクラシックな音楽に聴こえます。60年代までの音楽の古典化が進み始めた現在、このオペラを「クラシック」なものとして再評価できるような、余裕がほしかったと思うのです。一生懸命なのは分かるけれど、CDで聴いていたら、もっと多様な演奏も可能ではないのかな・・・。
とはいえ、新国立劇場のレゾン・デートルが存分に発揮された演目ではなかったでしょうか。
なんだかんだいっても、とても感動しました。