4月26日(土)作曲家 尹伊桑 室内楽曲の夕べ
~東京藝術大学 第6ホール竣工記念演奏会 Vol.1~
東京藝術大学 第6ホール
【曲目】
1.尹伊桑/オーボエ、クラリネット、ファゴットのための「ロンデル」(1975)
2.尹伊桑/チェロとピアノのための「エスパスⅠ」(1992)
3.尹伊桑/ヴァイオリンとピアノのための「ガサ」(1963)
4.尹伊桑/ソプラノと室内楽のための「ひらけ 夜よ」(1980)
【演奏】
Vn:漆原朝子/Vc:中木健二/Pf:坂井千春、ローラン・テシュネ/Sop:菅英三子/指揮:湯浅卓雄/他藝大教員・学生
改修工事のため長らく使用できなかった芸大の6ホールが、見違えるほど立派に生まれ変わり、竣工記念演奏会が催された。客席後方はスロープ状に高くなって視覚的にも見やすくなった。竣工記念演奏会シリーズの初日で取り上げられたのは、尹伊桑の室内楽作品という渋い内容。
存命中は聴く機会が多かったが、その後はあまり聴くことがなくなった尹の作品をまとめて聴ける貴重なコンサートでもある。演奏に先立ち「尹伊桑が遺したもの」と題するラウンドテーブル・トークが、福中冬子氏の司会と4人のパネリストによって行われた。1時間あまりに渡るトークでは、期待していたような尹の音楽の本質や核心に迫る話にまでは発展しなかったが、一貫して一つのカラーを持っていると思っていた尹伊桑の音楽が、様々な変遷を遂げてきたという話を聞けたことは、この後の演奏を聴く上での参考になった。
今日演奏された4曲は、最初期から晩年までの幅広い年代から選ばれ、尹の音楽の様々な特徴を聴くことができた。尹伊桑といえば、濃厚な情念を内包した厳しい音楽を書く作曲家というイメージが強いが、死の3年前の作品というチェロとピアノのための「エスパスⅠ」は、ロマンチックと言えるほどの調性感を有していて、尹に持っていたイメージとは随分異なって聴こえ、戸惑いすら覚えた。
他の3曲には、それまでイメージしていた厳しさを備えてはいたが、それぞれが違った顔を持っていた。尹の音楽はメッセージ性が強烈で、全神経を集中させて向き合うことが求められ、演奏会が終わる頃には大きな充実感に満たされる一方で、かなり神経をすり減らしてしまった経験があるが、今日はそのような疲労を感じることはなかった。それどころか「エスパスⅠ」だけでなく、耳に心地よく響くことさえあった。
こうした感覚は、作品そのものがもたらしたというよりも、演奏によってもたらされた気がする。それは、今日の演奏が、作品をワンクッション置いて客観的に捉えているようなところを感じることが多かったためかも知れない。聴いていて「こういうところは、もっと前のめりになるほど直情的に訴えかけて欲しいのに」と思うことが何度かあった。尹の音楽の本質は、とても主観的でシビアなものにこそあるのではないだろうか。
そうした意味において、最後に演奏されたソプラノと室内楽のための「ひらけ 夜よ」は、菅英三子によるソプラノ独唱が鬼気迫るシビアな世界を表現し、その切迫した空気感がオケにも伝わり、全体に研ぎ澄まされた緊張感のある演奏を実現していた。尹の作品からは、やはりこうした厳しいメッセージを受け取りたい。
~東京藝術大学 第6ホール竣工記念演奏会 Vol.1~
東京藝術大学 第6ホール
【曲目】
1.尹伊桑/オーボエ、クラリネット、ファゴットのための「ロンデル」(1975)
2.尹伊桑/チェロとピアノのための「エスパスⅠ」(1992)
3.尹伊桑/ヴァイオリンとピアノのための「ガサ」(1963)
4.尹伊桑/ソプラノと室内楽のための「ひらけ 夜よ」(1980)
【演奏】
Vn:漆原朝子/Vc:中木健二/Pf:坂井千春、ローラン・テシュネ/Sop:菅英三子/指揮:湯浅卓雄/他藝大教員・学生
改修工事のため長らく使用できなかった芸大の6ホールが、見違えるほど立派に生まれ変わり、竣工記念演奏会が催された。客席後方はスロープ状に高くなって視覚的にも見やすくなった。竣工記念演奏会シリーズの初日で取り上げられたのは、尹伊桑の室内楽作品という渋い内容。
存命中は聴く機会が多かったが、その後はあまり聴くことがなくなった尹の作品をまとめて聴ける貴重なコンサートでもある。演奏に先立ち「尹伊桑が遺したもの」と題するラウンドテーブル・トークが、福中冬子氏の司会と4人のパネリストによって行われた。1時間あまりに渡るトークでは、期待していたような尹の音楽の本質や核心に迫る話にまでは発展しなかったが、一貫して一つのカラーを持っていると思っていた尹伊桑の音楽が、様々な変遷を遂げてきたという話を聞けたことは、この後の演奏を聴く上での参考になった。
今日演奏された4曲は、最初期から晩年までの幅広い年代から選ばれ、尹の音楽の様々な特徴を聴くことができた。尹伊桑といえば、濃厚な情念を内包した厳しい音楽を書く作曲家というイメージが強いが、死の3年前の作品というチェロとピアノのための「エスパスⅠ」は、ロマンチックと言えるほどの調性感を有していて、尹に持っていたイメージとは随分異なって聴こえ、戸惑いすら覚えた。
他の3曲には、それまでイメージしていた厳しさを備えてはいたが、それぞれが違った顔を持っていた。尹の音楽はメッセージ性が強烈で、全神経を集中させて向き合うことが求められ、演奏会が終わる頃には大きな充実感に満たされる一方で、かなり神経をすり減らしてしまった経験があるが、今日はそのような疲労を感じることはなかった。それどころか「エスパスⅠ」だけでなく、耳に心地よく響くことさえあった。
こうした感覚は、作品そのものがもたらしたというよりも、演奏によってもたらされた気がする。それは、今日の演奏が、作品をワンクッション置いて客観的に捉えているようなところを感じることが多かったためかも知れない。聴いていて「こういうところは、もっと前のめりになるほど直情的に訴えかけて欲しいのに」と思うことが何度かあった。尹の音楽の本質は、とても主観的でシビアなものにこそあるのではないだろうか。
そうした意味において、最後に演奏されたソプラノと室内楽のための「ひらけ 夜よ」は、菅英三子によるソプラノ独唱が鬼気迫るシビアな世界を表現し、その切迫した空気感がオケにも伝わり、全体に研ぎ澄まされた緊張感のある演奏を実現していた。尹の作品からは、やはりこうした厳しいメッセージを受け取りたい。