太陽王の歴史的背景を調べれば調べるほど・・・
この作品は宝塚でやる意味があるな~とつくづく感じる今日この頃です。
話題性とか動員数とかそういうことではなく・・・
今まで、「ベルサイユのばら」や「スカーレットピンパーネル」「眠らない男・ナポレオン」「ジャンルイ・ファージョン」などなど・・・
革命後の世界を描いてきた宝塚だからこそ、この作品をやる意味があると思うんですよね~
歴史好きなものでw、
調べれば調べるほど、これはここでつながってるのか?と、
妄想を掻き立てられるのが、宝塚の舞台を見るもう一つの私の楽しみです♪
てわけで、私の勝手な解釈(妄想?)をつらつら書いてみました。
例えば、ボーフォール公のこの作品での存在意義・・・
正直、太陽王の人物像や、女性関係、王としての葛藤などを描くのが目的であれば・・・
ボーフォール公が出るのはフロンドの乱と最後の鉄仮面くらいでいいはず…(真風っちごめんよw)
もちろん、原作のフランス版で重要な役どころだからっていうのもあるだろうけど、
どうしてもボーフォール公が出てるシーン、つまりは圧政に耐える平民を描くところは
その後のフランスを示唆してる気がするんだな。
この作品のようにボーフォール公がほんとにフランスの未来の姿が見えていたかどうかは別としても・・・
当時からすでに革命を想起させるものがあったんじゃないかなって。
で、調べてみると・・・
面白いことに、ルイ14世の時代に起っていたこと…
それは、イギリス革命。
清教徒革命(広義では1638~1660年)と名誉革命(1688~1689年)を合わせてイギリス革命と呼ぶらしいんですが…
これがつまりは王政打倒、民主主義の始まりであり、市民革命の始まりってこと。
隣国で革命が起こっているのに、フランスではルイ14世の絶頂期・・・
おもしろいですよね~今ならTwitterとかですぐ波及しそうだけど。
それでも、やっぱり少しは影響があったようで・・・
1709年(まだルイ14世の治世)には「イギリス人を見習え」という小唄が流行ったらしい。(Wikipediaより)
ってことは、ルイ14世の時代でも少なからずこういう思いを抱いていた人がいたってことなのかな~
でも結局、フランスが革命に至るのはイギリスの名誉革命から約100年後の1789年(バスティーユ襲撃)です。
ちなみに、この間に何があったかというと…
思想家たちが地道にイギリスの進んだ思想をフランスに広めていたみたいです。
(興味がある方はジョン=ロック、ヴォルテール、モンテスキューなどを調べると面白いですよ♪)
思想が広がって、平民が自分たちにも権利があるんだ!って目覚めるのに100年かかったってことですよね。
しかも、最終的にイギリスに王は残ったけど、フランスから王はいなくなった・・・
国によって革命後の世界がこうも違うのは、
これまた興味深い。
ちなみに、フランス革命の思想が日本に入ってきて、フランス民法典(ナポレオン法典)を模範とした
最初の民法草案が作られたのも約100年後の1890年。(Wikipediaより)
う~ん・・・これだけ揃うと宝塚が100周年っていうのもなんか意味があるような・・・( ̄▽ ̄)
まぁ、何にでも意味があると思うのは女性の癖らしいですけど(某アメリカドラマよりw)
こういう風に考え出すとやっぱり歴史は面白い。。偶然なのか・・・必然なのか・・・
そしてこれらの市民革命で何が変わったか・・・
その一つは自由・平等・友愛の「平等」の部分。
つまりは「全ての人間は生まれながらにして平等であり、法の下で平等である。」ということ。
これを見たとき、リーガルハイの古美門先生の名言を思い出してしまいました。
ステキだったので載せておきます♪(1期 第11話より)
「われわれは神ではありません。
この私も含め、愚かで感情的で間違えてばかりのちっぽけな生き物です。
そんな人間に人間を裁くことはできるのでしょうか?
いいえ。できません。
だから人間に成り代わり法が裁くのです。
どんなに怪しかろうとどんなに憎かろうと、一切の感情を排除し、法と証拠によってのみ人を裁く。
それこそが我々人類が長い歴史の中で手に入れた法治国家という大切な大切な財産なのです!」
長い歴史というところでフランス革命やナポレオンを連想してしまうあたり、やっぱり私はヅカオタですかねw
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