「増山修 水彩画集」という画集の
「はじめに」の文章に目が止まったので
書き写してみるね。
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スケッチの際、無限にあるアングルの中から
風景を切り取って描くという行為は、
たくさんいる雀の中の一羽に目を留めるような
ものだと思います。
どれも同じ雀にしか見えない中で、
どれか一羽に目を留めた途端、それはもはや
大勢の中のひとつでなくなります。
そこに唯一無二の存在の美しさを見出すことが
できるのです。
そのようにスケッチで風景と向き合った時に、
自然の美しさはどこから来るのだろうかと
つくづく考えさせられます。
聖書の中で、野の百合を見てイエスが
「栄華を極めたソロモンでさえ、
このような花の一つほどにも着飾っては
いませんでした」
と語る有名な一節があります。
自然は、今という時間の中に生きていて、
明日のことを心配していません。
のびやかに伸びる樹、風になびく草、人でいえば
ちょうど赤ん坊と同じではないでしょうか。
そのピュアな姿が私たちの心を打つのかもしれません。
明日という日は、いつも歴史上初めて訪れる日です。
そこには常に無限の可能性、希望があります。
この明日の与え手のことを神と呼ぶのであれば、
そこから与えらえていないものは何ひとつありません。
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とても味わいのある言葉でしょ。
無限にあるアングルの中から風景を切り取るのは、
写真も同じだと思うけど、自然はどんな風な切り
取り方をしても美しさを感じるよね。
「自然は、今という時間の中に生きていて、
明日のことを心配していません」
自然と同じような生き方をしたいよね。
(11月24日 ベルク記)