#山本淳子 新着一覧
D3 彰子と息子たち、彰子は女院「上東門院」に
彰子のその後 彰子はどうしていただろう。彼女は平安時代には珍しい、実に八十七歳という長寿を生ききった。一条が死んだときはまだ二十四歳。名実ともに、その人生の本番は一条が死んでから始...
D2 彰子と息子たち、清少納言と人々のその後
清少納言は都にいた。 清少納言が月の輪にかへり住む頃― ありつつも雲間にすめる月...
D1 彰子と息子たち、紫式部、人々のその後
(参考図書が変わったので、今までの内容と一部重複することをご容赦ください) 一条天皇の死から二年後の1013...
B19 紫式部日記 エピソード編 藤原道長の女房からかい
『源氏の物語』には光源氏の数々の恋の逸話が盛り込まれています。帝(桐壺)の愛妃藤壺(義母)...
B18 紫式部日記 終章 到達―憂しと見つつも永らふるかな
賢后のもとで 紫式部の日常は続きました。中宮彰子のもとで宮仕えを続け、淡々と仕事を...
B17 紫式部日記 一条天皇不予(喜ばないこと=病気 予は喜び)
1011年やにわに都は慌ただしい空気に包まれました。一条天皇が御不予となり、譲位が決ま...
B16 紫式部日記 故定子とその後宮が愛され続けるのは、『枕草子』の力
紫式部には分かっていました。故定子が亡くなられてもう十年の歳月が流れるのに、一条天...
B15 紫式部日記 一条天皇の長男(母親は故定子)の後ろ盾、伊周(これちか)死亡
1009年十一月二十五日、中宮彰子は第二子の親王をお産みになりました。前年に引く続いて...
B14 紫式部日記 中宮彰子が一条天皇に捧げる新作追加の『源氏の物語』豪華本を制作
1008年は『源氏の物語』にとって特別な年でした。あの藤原公任(きんとう 小倉百人一首で...
B13 紫式部日記 内裏の盗賊事件と変わってゆく紫式部
実を言えば、中宮彰子のもとで能力を認められていると感じ、中宮彰子を支えたいという気...
B12 紫式部日記 中宮彰子無事に皇子を出産
道長は中宮彰子の頭頂部の髪を少しだけ削ぎ、形ばかりだが出家の儀式を施しました。万が...