I am NOBODY! Who are YOU? ~ ぽーぽー的ACIMブログ『エセー』 ~

“ひとのフリ見て我が(ego)フリ直せ” ナマケモノ系acimerの
『NO』奇跡のコース×奇跡講座×奇跡の道なエセー

「Tally ho!」グレート・アーティストから

2024-08-09 | つぶつぶと
原子爆弾で 私の教室の看護婦も死んだ。

そのうちで 
山下秀子という子の印象は 
あれから 二年になるのに ちっとも淡くならない。

井上ミツネという子は
顔は 思い出すけれども 時々
その名を思い出せぬことがある。

井上は 優秀な看護婦だった。
山下は 手に負えぬ わがまま者だった。

井上を しかったことは 一度しかない。
山下は ほとんど毎日 怒鳴られ通しだった。




良い子だったミツネは 忘れられ、
悪い子の秀子が いつまでも 心に残っている。

井上は 松浦潟まつらがた の たか島の娘であり、
山下は 不知火しらぬいの 天草島の娘だった。

どちらも 人なつこい島育ちであったが、性格は まるでちがって、

一人は ひれを振りつつ 石になった佐用姫の情を 秘め、
いま一人は たしかに燃ゆる 火の国の乙女の情を 持っていた。



心法 よい事しかできないヒトの 心所有 のヨシ

     「遍大地」 「大善地」 ニンゲン の 死角カルマ が  「大煩悩地」 「小煩悩地」 チの極渦を 
    さらに 加速させる 「不定地」 の 吾を いきられぬ 頭のよいびと故 ほうら マタ「繰り返す」・・・・・・


Dominique Fils Aimé | Strange Fruit


見る はたらき、
聞く はたらき、
嗅ぐ はたらき、
味わう はたらき、
触れる はたらき、
思考作用
これらは 六つの認識能力(六根)である。
見られるもの(色、かたち)などが、こららの認識能力の対照である。


  ふそう
  カイーナ
  あだかや
  アンテノーラ


かつての私は ただ待つだけの 壁の花 だった。

            よきなわ
            トロメア
            しよりもり
            ジュデッカ


  

実に見るはたらき(視覚、眼)は、自らの自己を見ない。
自己を見ないものが、どうして 他のものを 見るのであろうか。


      踵をかえしてみる 夏の里山は 

      不思議。 


      わたしのさとは 海辺なのに とても

      「懐かしい」 この感情は・・・ 



〔火は自分を焼かないが、他のものを焼くという〕
 <火の喩え>は <見るはたらき>を 成立せしめるのに 充分ではない。

<見るはたらき>と<火の喩え>とは
 <いま現に去りつつあるもの>と <すでに去ったもの>と <未だ去らないもの>と
 によって すでに 排斥されてしまった。




・・・・・・ふつふつと ありし日の 射影あい が 胸に わき起こる

 ひかりと かげの 交差した ひと夏

     樹々の梢、絶え間ない蝉しぐれ
    あかあか 燃える陽
    草花のあおあおと緑陰
    頬をかすめる やさしい風 


何ひとつ 思い煩う事の なかった
幸せも   不幸せもない あの「光る風景」 あってこそのまコト



何ものをも 見ていないときは、<見るはたらき>ではない。
<見るはたらき>が 見るというならば、どうして このことが 理に合うであろうか。


     

身を屈め あしもとの地にふれる。

  しんしんと みな
  しゅくしゅくと このちに かえっていく 


自ずから然る この じねん

 えんえんと とこよに つかえ
 えいえんの いわれを 求め続けて いきゆきていく



ヤートーセ ヨーイワナーセッチャ


 「ゆえに」 世界宇宙の しんじつ 絶対者 かみの言葉を
ひとが イイのままに カイした途端 真 実みのり は  するりと 逃げるでしょう

しんに 自身を 生きていないものの 言葉に 真 心いのち は 宿らない。


ホラ 時勢は どうでも 世間はなんでも 踊りコ踊らんせ



<見るはたらき>が 見るのではない。
<見るはたらきでないもの>が 見るのでもない。
<見るはたらき>を〔排斥しおわったこと〕によって
<見る主体>〔の成立しえないことも〕説明されたと理解せよ。

おれは這つていた
つらなる砂丘を這いこえてゆくと
少しずつ 四肢の感覚がなくなつてゆく
這いすすむ限りない蛇動感の
或る極点に達すると
ふと管状の虫類のひとくねりで
全身の危機を探るほかはない
別の世界へ入つてゆく
目が見えない耳がきこえない ひたすら
全身で世界にふれるほかはないゲリラ兵の
執念の時に入つてゆく

             黒田喜夫 / 地中の武器「白昼の海へ」より


  得
  非得 同分 
  無想果 無想定 滅尽定





もう 次はない 
どうしようもない オシマイ の 自分である事を  

本当は 誰よりも 

  自分自身アナタ が 一番 よく シっていらっしゃる



よい ワアゲレン 癡 「 m o h a 」

 <見るはたらき>を 離れても、離れなくても、<見る主体>は 存在しない。
 <見る主体>が 存在しないから、<見られるもの>も、<見るはたらき>も、ともに存在しない。
                           龍樹「根本中頌」/中村元「龍樹」講談社学術文庫より

何故 存在しないものが 今此処に 存在ヨクしておきながら 
     愛だの 空だの 創造だの  色法 の「内実ない」を 如何様に 説けるか? 


セイレイによる 実に 笑えない 「世界の 真実ジョーク」「この世界は 夢」なるは 特別アイぜん の 関係  まったき 人非人 のイイである。




キタカサッサ キタカサッサ ドッコイナ


    「滅尽定」 も かなわぬ ソチ故に マタぞろ ウヤンマアの キ殿ら
 
    揃いも揃って いつもの 有為法 の 詭弁に 逃げる ショウ・シ 

    ひとの イイなり 兄弟と Possessionごっこアソビ  餓鬼畜生アラカン 道を 選んだ イイわけに過ぎぬ


揃うた揃うたよ 踊りコ揃うた 稲の出穂より ササなお揃うた



「命 根」
「生」
「住」
「異」
「滅」







原子爆弾が 破裂し、
崩れはてた教室に 生き残りの教室員が しばしば集まったが、
山下、井上らの看護婦たちは いつまで待っても出て来なかった。

火をくぐって つぎつぎに
飛び出してくる顔を見ては 名を呼びかけるけれども
真っ黒に 変わりはてた だれも山下でも 井上でもなかった。

来ぬはずだった。
そのとき すでに 彼女たちは 運動場で 黒こげになっていたのである。

看護婦長が死体を見つけた。
婦長に連れられて 死体のそばへ寄ったとき、一人一人の あどけない顔に涙はあふれたが、

最後に 山下秀子のそばにしゃがみ、皮は焦げてむけながら


Billie Holiday Strange Fruit 1939


おでこや 丸い鼻など 生きていた先刻の面影さながらなのを見、
ちぎれ飛んだ防空服の わずかに 胸に残った 小犬のブローチを手にしたとき、
おのずから 声に出でて 泣き出した私であった。

こんなに 早く死んでゆく子であったなら、
あんなに ひどくしかって、しかって、しかり通さねばよかったのに……

私らは 熱灰を踏んで 死体を生化学教室の横の防空ごうに 仮埋葬した。

天草には 白山茶花が多い。

  この仮墓の上に 白山茶花を植えようと思いながら、
  私は病床に伏す身となり、いまだにその願いを果たしていない。

                         永井隆「ロザリオの鎖」より





「 世界が 終わるとき、
 誰と 何をして過ごしますか? 」


わたしより
さきに 此処にいた 
あのひとは とても 美しいひとでした。


すこし はにかんで 
わたしに笑いかえす 涼やかな面立ちに 

とうめいな空気を 纏わせた うすいひの視線は 

冴え冴えひかる 月光 のような





ソラ キタカサッサ

     すうっと
     言葉のあわいから のびる
     ほそく続く ひとくだりの稜線に

     ふつふつと 
     わたしの胸はうずき 求めずにはいられない



ノリツケ ハダコデ シャッキトセ

 彼は うらがなしい 陰翳 を 匂わせるひとでしたの。



米津玄師 - RED OUT-

 


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