またしばらく何も書かなくなった。
自分が 自分で なかったわけだ。
久しぶりで 日記に立ち返って見ると、
ずい分 ながいこと 空家になっていた家に 帰って来たような気がする。
( 1957.8.9 )自分が 自分で なかったわけだ。
久しぶりで 日記に立ち返って見ると、
ずい分 ながいこと 空家になっていた家に 帰って来たような気がする。
谷口崇「走れ!トーマス」
山陽本線
宮島口岩国方面
いつもの列車に乗り いつもの駅に着く。
久方ぶりの訪問だった。
なじみ深い いつものひなびた駅舎が
いつの間にか 真新しく 建て替えられていた。
知らず 知らずのうち
世界は 私を追い越してゆく。
さながら 竜宮城から戻った 令和のウラシマタロウ
真新しいバス乗降場に停まっていた
いつものバスを見つけ あわてて乗り込んだ。
バスは一時間に 数本もない
かの人の家は 山の中腹、峠に あった。
宮島口岩国方面
いつもの列車に乗り いつもの駅に着く。
久方ぶりの訪問だった。
なじみ深い いつものひなびた駅舎が
いつの間にか 真新しく 建て替えられていた。
知らず 知らずのうち
世界は 私を追い越してゆく。
さながら 竜宮城から戻った 令和のウラシマタロウ
真新しいバス乗降場に停まっていた
いつものバスを見つけ あわてて乗り込んだ。
バスは一時間に 数本もない
かの人の家は 山の中腹、峠に あった。
目の前を なにかの実態か
黄煙がクルクルクルと 急速に過ぎる
くねりくねり バスが 細い山道を登る。
なつかしい稜線
かわらない風景に 安堵する。
しんりょくの在所は
都会のひとでなしを ひとりの人間に かえしてくれる
空蝉の慕情よ まだ みちなかだ。
群青めぐる なつ空も
やるせない をりふしも
二度とない この私とともに いずれ さめる景色だろう
あおあお茂る このむねの郷愁は 未だ このわれよしを おのぞみだ。
なつかしい稜線
かわらない風景に 安堵する。
「あかのまんまの咲いてゐる
どろ路にふみ迷ふ
新しい神曲の初め」・・・か
どろ路にふみ迷ふ
新しい神曲の初め」・・・か
しんりょくの在所は
都会のひとでなしを ひとりの人間に かえしてくれる
空蝉の慕情よ まだ みちなかだ。
群青めぐる なつ空も
やるせない をりふしも
二度とない この私とともに いずれ さめる景色だろう
あおあお茂る このむねの郷愁は 未だ このわれよしを おのぞみだ。
ピカッドンと一瞬の間のあの
修羅と化するときのあの静寂
のどかだった風景が かすかに逸れ
ふと、違和を覚える 刹那
車窓の外を よく観ると バスは 見慣れない道を登っていた。
しまった。 また間違えたらしい。
同じ路線を走る 行き先違いのバスの事を すっかり失念していた。
慌てて下車する
外は 燃え盛る真夏の 真昼間。
仕方ない。 私は のろのろ 急な峠道を 登った。
そこは まさに「危険な暑さ」という 言葉そのものだった。
フィンセント・ファン・ゴッホ《 2本の切ったひまわり 》
以前 うたの先生に教わった。
「 雨という言葉を使うなら
雨に濡れるような言葉 で なければ ほんとうの言葉では ない」と。
空調の効いた屋内に い続けると 成 程
ひとは 「危険」も「暑い」も 口先の言葉になるのも 頷けた。
白熱するさか道に 自分がどろどろとけてなくなると
私の世界を うつしとった 「危険な暑さ」という ただの言葉が 熱 を 帯びる。
「 自分が雨に濡れるようなときに ふと 出た言葉でなければいけないよ」
「 自分が 書いては 駄目だ
自分が 有っては 駄目だ 」
「 雨という言葉を使うなら
雨に濡れるような言葉 で なければ ほんとうの言葉では ない」と。
空調の効いた屋内に い続けると 成 程
ひとは 「危険」も「暑い」も 口先の言葉になるのも 頷けた。
白熱するさか道に 自分がどろどろとけてなくなると
私の世界を うつしとった 「危険な暑さ」という ただの言葉が 熱 を 帯びる。
「 自分が雨に濡れるようなときに ふと 出た言葉でなければいけないよ」
「 自分が 書いては 駄目だ
自分が 有っては 駄目だ 」
Mili「world.execute(me);」
「 言葉に 聞いて はじめて
人間は 語ることができる。 うたえるようになるんだ。」
・・・ヒに むかう
ものかきをするようになって 痛感する。
言葉に
言霊という現象は ひとの作為を 受け入れない。
ジブンが ゆるされない。これは 苦行だ。
みな 自分が 分かりたいように分かった
そんなジブンの言葉の共有 「わかる」
イイあいに ナレた ジシンの
鈴なりの満員電車 宙に飛び
落ちてつぶれぬ 地にペシャンコに
「危険な暑さ」という
雨に濡れる
自分が 分かりたいように 分かるタグイの
饒舌な
いのちも たましいも「ない」から
名ばかりの神仏をカタり、形だけの理智を イイワケに せざるを得ない。
口先の人間には 自分の
そんな
自分と同じ 名ばかりの 言葉
自分と同じ 美々しい 価値感を 言いつのられ
自分と同じ 中身のない「ひとつ」のヨイを 共有し得る
自分と同じ アイの
ズロースもつけず 黒焦の人は
乳房たらして 泣きめき行く
自分以外 誰もわからない 寝物語 に 夢中の
お悟りあそばされたカクセイ者殿、愛の化身と称すヒロイン然り
ミロクだか 絶対神が 人間サマに ヘリくだる
よき神話 が 大手を振ってまかり通るのも 無理はない。
みな 自分勝手
ミ勝手な言葉、ひとり善がりの言葉 に 過ぎぬ。
人の数だけ
その人ナリの真実 が 成り立っておる。
ジシンのうちに かがミがない
此処はよいチに イイなりの 自分 が 「善い」と されるところだ。
お悟りあそばされたカクセイ者殿、愛の化身と称すヒロイン然り
ミロクだか 絶対神が 人間サマに ヘリくだる
よき
みな 自分勝手
ミ勝手な言葉、ひとり善がりの
人の数だけ
その人ナリの
ジシンのうちに かがミがない
此処は
シン化なされた
頭のない 自我ニンゲン にゃ アリ難い 高尚な教えや
感動ビルドゥングスロマン なんぞ 腹の足しにもなりゃしない。
小生 安くて旨い
自分のケツが拭ける カミ が ありゃ 十分コト足りる。
「 すべて よくしたい 」
人間の あまりに 人間ゆえのあり様は
それぞれが それぞれの あり方でイかされ みな イきているのだ。
ひとはひと。 私は私だ。
己のみちを のぼり
己のみちを くだればよい
要は それだけのコト。
Moderat - Rusty Nails -
一日中 死骸をあつめ 火に焼きて
處理せし男 酒酒とうめく
ほうほうのていで
辿りついた かのひとの家で
ふるまわれた 酒を 一気に飲んだ。
うまい。
汗をかいた後のビールは 格別である。
家庭菜園の甘長とうがらし、
なす、かぼちゃの揚げびたしに
細切りの新ショウガ入り きゅうりの浅漬け
ニンニク、ハーブを たっぷり使い
塩こしょうとオリーブオイルを 回しかけただけの
肉と夏野菜の シンプルなグリルを ぺろりと 平らげた。
普段とは 違う ひととき
普段は 観ない テレビを観ながら
普段 あえないひとと 同じじかんを 過ごす
こんな 非日常 は いい。
ヒルもヨルもない
しらず知らず イジョウの自分に 成ってしまう。
目と耳ばかり肥大した 高踏の人間は イヤだ。
世の中の 悲惨な出来事でさえ
「アセンション」だの「ワンネス」だのと サケの肴にする。
ヒトゴト ではない。
ここで 言葉を重ねれば 重ねるほど
イジョウな自分でなければ よくイきられないところだ。
天上で 悪鬼どもが
毒槽を くつがへせしか 黒き雨降る
その日は 日航機墜落事故の あった日だった。
いたましい事故だった。
だが、当事者でない人間にとって 所詮 ヒトゴトの悲劇で あろう。
ヒトゴトは おそろしい。
昔、富士山上空で 旅客機墜落事故が あった。
乱気流が 原因とされる
その事故は 神に義を尽くさない 人間達に対する
太郎坊の怒りだと 修験者だった しじんさんが 言っていた。
富士山の太郎坊は、頭上を飛んだ旅客機を
墜落させる程の 強烈なパワーを 持っているそうだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ《 ひまわり(12本)》
その怨念は 太郎坊の掛け軸を見ただけで 狂死者が続出し、
掛け軸の写真だけで 死ぬ人も出たと言う。
撮影したカメラすら 破壊する 神威 で ある。
こういうものが
この先 どんどん表に出てくる
霊的世界に通じていた 彼のひとは そう言った。
神事について 正直 私は 殆ど 知らない。
掛け軸の写真だけで 死ぬ人も出たと言う。
撮影したカメラすら 破壊する 神威 で ある。
こういうものが
この先 どんどん表に出てくる
霊的世界に通じていた 彼のひとは そう言った。
神事について 正直 私は 殆ど 知らない。
だが しかし、この仮想現実空間内に 充満する
ジョウタイ化した 神仏の如き 万能・絶対感、多幸のすぎる ヨイ に
私は 名状しがたい イジョウ を ずっと かんじ続けている。
ジョウタイ化した 神仏の如き 万能・絶対感、多幸のすぎる ヨイ に
私は 名状しがたい イジョウ を ずっと かんじ続けている。
La Casa Lobo - 「 オオカミの家 」 - The Wolf House
命欲し つひに結びめ 解けば
はらっと 届かぬ 底に落ちてゆきたり
しじんさんの使命に
かかわった人間は 短命 に なるという。
神に告げられたソレは 彼に課された 残酷な運命 だったそうだ。
しじんさんは 大切な ひとたちを たくさん 亡くした。
彼が亡くなった後も 彼の代理人たちが 立て続けに 亡くなっている。
いまだ その神威 が 続いている。
彼の
あなたは まだ いきている。
「 貴方が 死んでも、
無限 に 近い苦しみが 待ってるだけです。
自分の魂の役割・約束を 果たさないまま
死ぬのは、宇宙や 地球に対する 裏切り です。
自分の命は 自分の命であり、
他人の命は 他人の命です。
他者と 異なるからこそ、
個々の命の尊厳 が 成立するのです。
貴方は、ご自分の命のみならず、死んだ その人の命も 冒涜 しています。
貴方は その人を 愛していたのではない。
それは 貴方の 偽善的愛着、自己憐憫に 過ぎない。
どんなに キレイな言葉を使っても、
貴方の心には 自己中心の 汚い欲望・執着しかありません。
亡くなった方は 生前、
貴方を 楽しませたり、喜ばせたり、優しくしてくれたのかも知れません。
非常に 大切な存在 だった。
しかし その人は 消えた。
喜ばせてくれた対象は もう存在しない。
執着していた対象が 消えてしまった。
貴方はずっと、
自分のエゴのために 相手を 利用し続けていた。
そして死後においても、同じく 利用し続けようと 悪掻きしているのです。
死んだ者は 生き返らない。
これが 現実 です。
この現実を 腹の底から認め、
受け入れ、執着を 断ち切る必要があります。
貴方に 必要なのは、愛着の正体 を 見極めることです。
徹底的に 自分を見つめること です。 R K」
自分のエゴのために 相手を 利用し続けていた。
そして死後においても、同じく 利用し続けようと 悪掻きしているのです。
死んだ者は 生き返らない。
これが 現実 です。
この現実を 腹の底から認め、
受け入れ、執着を 断ち切る必要があります。
貴方に 必要なのは、愛着の正体 を 見極めることです。
徹底的に 自分を見つめること です。 R K」