I am NOBODY! Who are YOU? ~ ぽーぽー的ACIMブログ『エセー』 ~

“ひとのフリ見て我が(ego)フリ直せ” ナマケモノ系acimerの
『NO』奇跡のコース×奇跡講座×奇跡の道なエセー

「全て キのせいです」

2024-07-02 | homeworks
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Cetanāhaṃ bhikkhave kammaṃ vadāmi,
cetayitvā kammaṃ karoti kāyena vācāya manasā




ニシハイラ

夏至 が過ぎ 「ひ」 短くナレば


ハイニシラ

ヒみずの 「マ」ヒルコが お出ましぞ


アシトゥンシャン

セイ「イ」の 無為法は 旨かろう


ピィシャトゥンシャン

セイ「ギ」の 有為法を 繰り返そう


アラビ アラカン スイサアサ






しと しと しと しと


今日も 電車が 遅れた。

人身事故。
また 誰か列車に 飛び込んだ 

この路線
死にたいひとには
ずい分 魅力的な 聖域パワースポットのようだ。


「死んだら 楽になれる」

生き死に 意味のある かなしい信仰に
身も心も 捧げられる 不幸なひとは 幸せ だ。





「生きたくない くるしい」

そう思う「自分」
そう思える「自分」が あるからこそ

不幸せ な「自分」 
幸せ な「自分」で
いま ここ に いられる 「自分」が いる。

ここの 貴方じぶん を わたしは
しんじつ 肯定する事も 否定する事も かなわない

この内実せいは しあわせな えいえんを夢みるよう つくられているモノだ


   す ま な い。

 貴方という その「自分モノ」を
 私は 貴方と 同じように 生きて死ねないもの


 しと しと ひと しと しと しと しと 


24 Preludes, Op. 28: No. 15 in D-Flat Major " Raindrop "



われはいま虚無にかたりて
風吹くと父には告げよ 黒き翁よ


「見性」「ワンネス」
「空性」「垂直上昇」
「覚醒」「真相真理」を とくトクと 

スイ へい りーべ ボクの 言葉ふで

また ぞろ 

シタり キタりて
また する また きた シにキタきたキタきた



得々 かんじたことを言うこと 為すこと

特々 Vāk-karman を イイつのられし
大いなる バビロンとやらを 嬲る 語るの キタ「ない」せいしんばかり






まぼろしを語れるまでに
心病みプラネタリウムに星祭るとぞ


よく ある「自分」ならば よく イきられる
よく シなせることも よく できる

よく ある「自分」を ミせたがる
よいひとの サイシン量子力学では サイアクは 当然 起こるまい


Kāya-karman に対する 客観を ミ棄てた

よい主観の イイなりの果ては 
分離逸脱の業 ヨクひとを 無尽蔵に シタがえうる

ふしあわせなひとの イない ゼッタイ的 妄執者の 

    シあわせ である。




ひと シト ヒト しと

私の目覚めのためにしか
ものごとは 展開してないと 陶然 イイはれるや


勾玉のかたちに露のしづくする
月山に来てすさぶむらぎも

あゝ ドウカ

ヨク「ある」
ヨク「ない」意味の「自分」を  




だまして下さい言葉やさしく
よろこばせて下さいあたたかい声で。
世慣れぬわたしの心いれをも
受けて下さい、ほめて下さい。
あああなたには誰よりもわたしが要ると
感謝のほほえみでだまして下さい。

その時わたしは
思いあがつて傲慢になるでしようか
いえいえわたしは
やわらかい蔓草のようにそれを捕えて
それを力に立ちがりましょう。

もつともつとやさしくなりましよう
もつともつと美しく
心ききたる女子になりましよう。



全てあなたの所似です。「 空見とか、」

しと
しと
しとしと
 あめふる 

ひとやの
列車に 身を投げた 君よ

しぬことができて よかったかい?


かなしい 自分せい を 生き 
かなしい 自分セイ に しぬ「君」と おなじ

「言葉なんかおぼえるんじゃなかつた」






誰もが いい 言葉エそらごと を 信じる
    信じたい 信じさせてほしい

   シンじているから


まったき の 夢だとか 覚醒だ
       神だ、 愛だと 真理真実なる 言葉モノごと で 全て

      よくいえる 自分せい 
      よくいわなくては イられぬ 自分セイ に あるイイだ

 
よくする 
よくなれる Manas-karman真言マこと

   嗚呼 ヒいずる カイに イミあれかし。




青葉市子 「 いきのこり●ぼくら 」



しと しと しと しと 

走りゆく電車に 
自分自身を かえりみることなく 投じた 

かなしいにんげんの 最後に見るものは  なのだろう


しと
しと
しとしと
 

私は かつて 空を飛んだことがある。

小あめの降る夜
期せず 車に はねられた

そのとき 私は はねられたことすら わからなかった。 




しと しと しと しと しと しと しと 


気づけば 私の躰は 
ざらつく 濡れた 黒いアスファルトの地面と 化していた

動かない 意識だけの私は かなしい

  からだ 私の躰 おもい 「なぜ?」
  動けない身体 動かない 「なぜ?」


自分のことなのに 
ヒトゴトのような 眼前のげんじつに しはない かいもない

終わらない しねない しなないのだ。


 おしまいのない
 わたしは このいきものでは

   ス マ ナ イ

私という「自分」を
貴方と同じように 生きてシねたら


   ひと ひと しと ひと ひと ひと




エルッキ・メラルティン 「悲しみの園」より「雨」 Op.52-4


あやまちのごとく花散る
きららかに星の光にあやまたぬ身を


「イエスキリスト」「釈迦牟尼」
「老子」「荘子」「道元」「親鸞」
「出口王仁三郎」「谷口雅春」「五井昌久」
「クリシュナムルティ」「Osho」のごときイイの

貪のRāga は ソの様に「かた」れる 

自分ワレよし の 未だ 此処にある因子を 問わず 
カイ「ヒ」の コーギコーシャク あめ在られ

イけぬ御前ごときが
覚者、聖者らに ひとしい 内実ゲダツとやらを カイく ソの 因果律 とは


「 私はクリシュナ 」
「 アイアム ザ サン 」なる シコウ形式 を  ただ 繰り「かい」しただけ


瞋のDveṣa よ 何故に その解を「せい」とするのだ?


    業因 なくば 「せい」も「かい」もない
    原因 なくして ソレは イけない ワカらぬワケられぬモノ


癡のMoha よ 何故に 御前は 

   しこしこ シコ シコ しこしこ

        未だ ソの「自分」の 基因妄信いい 執着よくして イるのだ?




ロゴズこのいつくしきものもたらして
蛇ありここに月山は顕つ


    「A = ○○」

コの公式テンカイによる まったきの言葉せいカイ
自身を よくミ明かす コトのバの カガミ

  Mais si je t'aime,
  si je t'aime, prends garde à toi!


或るきたの作曲家は
イセイ者の交響曲に 秘密のおとを しのばせた

  Правду говорят только те,
  у кого нет остроумия.


或るきたの作家は かなしい にんげんの物語を 書きつづけた。




昏れおちて蒼き石群いはむら水走り
肉にて聴きしことばあかるむ


Aargh どうか

よく「ある」
よく「ない」 - archy 的言葉 に ハメられた 

 あまがはらに

しと
しと
しとしと
 ヒのあめがふるまでは



全て騙り手の所為です。「ルトロヴァイユ」


ああわたしはあまりにも荒地にそだちました。
飢えた心にせめて一つほしいものは
わたしがあなたによろこばれると
そう考えるよろこびです。
あけがたの露やそよかぜほどにも
あなたにそれが判つて下されば
わたしの瞳はいきいきと若くなりましよう。
うれしさに涙をいつぱいためながら
だまされだまされてゆたかになりましよう。
目かくしの鬼を導くように
ああわたしをやさしい拍手で導いて下さい。

               永瀬清子「だましてください言葉やさしく」
 






かたん ことん かたん ことん

  遅れた電車の車内には

  スマホに向う 真っ赤な唇を尖らせた 女の瞬き
  日に焼け 皺のよった 首筋に流れる営業マンの汗と
  あわい柔毛のひかる少年と少女の ま白い歯 ま新しい破顔が


かたん ことん かたん ことん

  ついを見つめあう 車窓の先
  あらぬ世のあめとひは たくさんの体をあおって

  まんいんの 列車は 揺れる

かたん ことん かたん ことん






となりの貴方 むこうの貴方
昨日のあなた 未来のあなた

もし 言葉がなかったら

「ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう」 

   誰かの存在が 
   私のからだに 支えられ
   誰かのからだに 私の存在を預けた

「ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる」     

   せかいが 揺れる たび 
   訪れる 落下した生辰と 君のせいめい

「ぼくはきみの血のなかにたつたひとりで帰つてくる」






    しと しと しと しと

     (ある)
     (ない)を 識り
      分かちあいの言葉を 所有した

     まったきひとの シあわせは 
     いまわのミしるし 昏きワレの幻影の


ヒとヒト シとシト ヒとシトしと


  しらず 幾何学的笑みが こぼれる

      なるほど。

  みな 好き勝手の「ほんとう」で
  誰でも イイ 何でも ヨイ「うそ」である





かたん ことん かたん ことん

ハイドランジアのゆれる

ひのいけがきになずんだ
貴方のひとりヰを よんだ

日ののちの秘色青磁をまもりゐつ
こころほろぼすことばを生きて


     「あがり」

つてごとに いる 
あのヒのうちうのあなたを かならず 迎えにゆく
 



Cocco「樹海の糸」



分け入つても分け入つても青い山  山頭火





本文 緑字の和歌は 「現代の巫女」と評される 歌人 山中 智恵子さんの和歌 
桃字文は「現代詩の母」と評される 詩人 永瀬清子さんの詩「だまして下さい 言葉 やさしく。」 からです♡




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