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Cetanāhaṃ bhikkhave kammaṃ vadāmi,
cetayitvā kammaṃ karoti kāyena vācāya manasā
cetayitvā kammaṃ karoti kāyena vācāya manasā
ニシハイラ
夏至 が過ぎ 「ひ」 短くナレば
ハイニシラ
ヒみずの 「マ」ヒルコが お出ましぞ
アシトゥンシャン
セイ「イ」の 無為法は 旨かろう
ピィシャトゥンシャン
セイ「ギ」の 有為法を 繰り返そう
アラビ アラカン スイサアサ
夏至 が過ぎ 「ひ」 短くナレば
ハイニシラ
ヒみずの 「マ」ヒルコが お出ましぞ
アシトゥンシャン
セイ「イ」の 無為法は 旨かろう
ピィシャトゥンシャン
セイ「ギ」の 有為法を 繰り返そう
アラビ アラカン スイサアサ
しと しと しと しと
今日も 電車が 遅れた。
人身事故。
また 誰か列車に 飛び込んだ
この路線
死にたいひとには
ずい分 魅力的な聖域 のようだ。
「死んだら 楽になれる」
生き死に 意味のある かなしい信仰に
身も心も 捧げられる 不幸なひとは 幸せ だ。
人身事故。
また 誰か列車に 飛び込んだ
この路線
死にたいひとには
ずい分 魅力的な
「死んだら 楽になれる」
生き死に 意味のある かなしい信仰に
身も心も 捧げられる 不幸なひとは 幸せ だ。
「生きたくない くるしい」
しと しと ひと しと しと しと しと
そう思う「自分」
そう思える「自分」が あるからこそ
不幸せ な「自分」
幸せ な「自分」で
いま ここ に いられる 「自分」が いる。
ここの貴方 を わたしは
しんじつ 肯定する事も 否定する事も かなわない
この内実 は しあわせな えいえんを夢みるよう つくられているモノだ
そう思える「自分」が あるからこそ
不幸せ な「自分」
幸せ な「自分」で
いま ここ に いられる 「自分」が いる。
ここの
しんじつ 肯定する事も 否定する事も かなわない
この
す ま な い。
貴方という その「自分 」を
私は 貴方と 同じように 生きて死ねないもの
私は 貴方と 同じように 生きて死ねないもの
しと しと ひと しと しと しと しと
24 Preludes, Op. 28: No. 15 in D-Flat Major " Raindrop "
われはいま虚無にかたりて
風吹くと父には告げよ 黒き翁よ
「見性」「ワンネス」
「空性」「垂直上昇」
「覚醒」「真相真理」を とくトクと
スイ へい りーべ ボクの言葉 は
また ぞろ
シタり キタりて
また する また きた シにキタきたキタきた
得々と かんじたことを言うこと 為すこと
特々と Vāk-karman を イイつのられし
大いなる バビロンとやらを 嬲る 語るの キタ「ない」せいしんばかり
「空性」「垂直上昇」
「覚醒」「真相真理」を とくトクと
スイ へい りーべ ボクの
また ぞろ
シタり キタりて
また する また きた シにキタきたキタきた
得々と かんじたことを言うこと 為すこと
特々と Vāk-karman を イイつのられし
大いなる バビロンとやらを 嬲る 語るの キタ「ない」せいしんばかり
まぼろしを語れるまでに
心病みプラネタリウムに星祭るとぞ
心病みプラネタリウムに星祭るとぞ
よく ある「自分」ならば よく イきられる
よく シなせることも よく できる
よく ある「自分」を ミせたがる
よいひとの サイシン量子力学では サイアクは 当然 起こるまい
Kāya-karman に対する 客観を ミ棄てた
よい主観の イイなりの果ては
分離逸脱の業 ヨクひとを 無尽蔵に シタがえうる
ふしあわせなひとの イない ゼッタイ的 妄執者の
シあわせ である。
よく シなせることも よく できる
よく ある「自分」を ミせたがる
よいひとの サイシン量子力学では サイアクは 当然 起こるまい
Kāya-karman に対する 客観を ミ棄てた
よい主観の イイなりの果ては
分離逸脱の業 ヨクひとを 無尽蔵に シタがえうる
ふしあわせなひとの イない ゼッタイ的 妄執者の
シあわせ である。
ひと シト ヒト しと
私の目覚めのためにしか
ものごとは 展開してないと 陶然 イイはれるや
勾玉のかたちに露のしづくする
月山に来て荒 ぶむらぎも
私の目覚めのためにしか
ものごとは 展開してないと 陶然 イイはれるや
勾玉のかたちに露のしづくする
月山に来て
あゝ ドウカ
ヨク「ある」
ヨク「ない」意味の「自分」を
ヨク「ある」
ヨク「ない」意味の「自分」を
だまして下さい言葉やさしく
よろこばせて下さいあたたかい声で。
世慣れぬわたしの心いれをも
受けて下さい、ほめて下さい。
あああなたには誰よりもわたしが要ると
感謝のほほえみでだまして下さい。
その時わたしは
思いあがつて傲慢になるでしようか
いえいえわたしは
やわらかい蔓草のようにそれを捕えて
それを力に立ちがりましょう。
もつともつとやさしくなりましよう
もつともつと美しく
心ききたる女子になりましよう。
よろこばせて下さいあたたかい声で。
世慣れぬわたしの心いれをも
受けて下さい、ほめて下さい。
あああなたには誰よりもわたしが要ると
感謝のほほえみでだまして下さい。
その時わたしは
思いあがつて傲慢になるでしようか
いえいえわたしは
やわらかい蔓草のようにそれを捕えて
それを力に立ちがりましょう。
もつともつとやさしくなりましよう
もつともつと美しく
心ききたる女子になりましよう。
全てあなたの所似です。「 空見とか、」