大好きな、大好きなフォルクローレの歌手、メルセデス・ソーサが亡くなりました。
メルセデス・ソーサさんは、1935年、アルゼンチンの貧しい労働者の家庭に生まれました。15歳の時にラジオ局のコンテストに優勝して、出演契約を得るのですが、ディレクターが民俗音楽であるフォルクローレを馬鹿にしていたために、怒って、そのまま帰ってきたという話が伝説のようになっています。
その後、ブエノスアイレスでいろいろな仕事をしたあと、30才ごろになって歌手として活躍するようになったそうです。
1973年、アルゼンチンの大事な8人の女性を歌ったアルバム『アルヘンティーナの女(Mujeres argentinas)』(フェリックス・ルナ作詞、アリエル・ラミレス作曲)は、ほんとうに命がこもった作品。
そのなかで、『アルフォンシーナと海』は、ほんとうにすごかった。アルゼンチンの女流詩人アルフォンシーナ・ストルニが、海で入水自殺をする直前に書いた最後の詩を引用して作られた詩につけられた曲ですが、南米の風や海のにおいがする、心にしみる曲でした。
その後、たくさんの作品を歌いつづけたのですが、もともと大きなカラダで、健康の問題から、海外での公演は晩年はなかなか実現しなかったようです。
2009年10月4日、多臓器不全のためブエノスアイレスで死去。残念です。
『アルフォンシーナと海(Alfonsina y el Mar)』や『ミサ・クリオージャ(Misa Criolla)』(南米大陸のミサ)は、ほんとうに毎日、起きて、おはようと言って、ご飯を食べて…ということさえつらかったとき、給油をするみたいに、元気をくれた作品です。
彼女の声のおかげで、今、生きています。ほんとうに、文字通り。
入院中、ずっと抱いていたぬいぐるみ、とか、お箸とか、苦しかったときにいっしょにいてくれたものって、それぞれあるんだろうな。
そんなことに思いを馳せながら、心からご冥福をお祈りいたします。
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メルセデス・ソーサさんは、1935年、アルゼンチンの貧しい労働者の家庭に生まれました。15歳の時にラジオ局のコンテストに優勝して、出演契約を得るのですが、ディレクターが民俗音楽であるフォルクローレを馬鹿にしていたために、怒って、そのまま帰ってきたという話が伝説のようになっています。
その後、ブエノスアイレスでいろいろな仕事をしたあと、30才ごろになって歌手として活躍するようになったそうです。
1973年、アルゼンチンの大事な8人の女性を歌ったアルバム『アルヘンティーナの女(Mujeres argentinas)』(フェリックス・ルナ作詞、アリエル・ラミレス作曲)は、ほんとうに命がこもった作品。
そのなかで、『アルフォンシーナと海』は、ほんとうにすごかった。アルゼンチンの女流詩人アルフォンシーナ・ストルニが、海で入水自殺をする直前に書いた最後の詩を引用して作られた詩につけられた曲ですが、南米の風や海のにおいがする、心にしみる曲でした。
その後、たくさんの作品を歌いつづけたのですが、もともと大きなカラダで、健康の問題から、海外での公演は晩年はなかなか実現しなかったようです。
2009年10月4日、多臓器不全のためブエノスアイレスで死去。残念です。
『アルフォンシーナと海(Alfonsina y el Mar)』や『ミサ・クリオージャ(Misa Criolla)』(南米大陸のミサ)は、ほんとうに毎日、起きて、おはようと言って、ご飯を食べて…ということさえつらかったとき、給油をするみたいに、元気をくれた作品です。
彼女の声のおかげで、今、生きています。ほんとうに、文字通り。
入院中、ずっと抱いていたぬいぐるみ、とか、お箸とか、苦しかったときにいっしょにいてくれたものって、それぞれあるんだろうな。
そんなことに思いを馳せながら、心からご冥福をお祈りいたします。
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ゴメンナサイ、私、ぷろぱさんの今回の記事で初めて知った方でした。
機会がありましたら、CDを聞いてみたいと思います。
私にとっても入院中や辛かった時の物ってあります。
変ですが、ハンドタオルとか、毎日シャワーが浴びられないので、お気に入りのウェットティシュー、愛知万博のキャラクターの「もりぞーとキッコロ」のミニぬいぐるみ、それになぜか母親が買ってきてくれたお菓子の「ビスコ」。
2・3日前におうちにたまたまあった「ビスコ」を食べて、思い出して涙がポロリしちゃいました。
ちょっと心が疲れているのか、寂しいのかも。
ぷろぱさんの大好きな方の、ご冥福をお祈りします。
このところ、ちょっと大変で、心配してます。
スヌーピーに出てくるライナスのタオルみたいに、大事なものってありますよね!
わたしも、つらかったときのものだけど、「相棒」みたいに捨てられなくて、置いているものありますー。
ビスコも、すてきですね!
そういえば、たまごボーロは、わたしが好きだと祖母が思い込んでいて、いつも用意していてくれた「元気のための魔法の薬」だったりもしました。
メルセデス・ソーサさんは、ずっと体調が優れないと聞いていたので、覚悟はしていたものの、やはり残念です。