大阪歴史博物館で開催されている水都大阪と淀川展を見てきた。
圧巻の展示だった!
一通り古代からの地形の変遷や近世までの舟運を利用した都市の暮らしについての解説は
水都大阪に関わって近年よく目にするもの。
今回は新淀川100年という節目で、放水路としての新淀川に関する展示がメインである。
それまでも部分的に改良が繰り返されてきた淀川であるが、明治18年の大水害の被害の甚大さに
ついに、流路を変更するという本気の大改修が行われる。
オランダ人技術者を招いての調査・計画が行われ、いくつかの案を検討の末、中津川の河床と
既存の堤防を最大限利用した、現在の流路に決定された。
展示で私が一番衝撃を受けたのは、淀川改良に伴い買収対象となった用地のすべてが記された
巨大な「買収地図」!
大縮尺の地図上でルートをなぞってみても、田んぼやいくつかの集落がなくなったのだな、
ということは頭で理解できるが、マクロで見ることにより、誰々の家と誰々の畑が、という
生々しい感情が湧いてくる。
自分たちの住む地が川底に沈んでしまう人々のやるせなさ、そして同時に、この大事業を成功
させるためにここに描かれたすべての地主と交渉し換地手続した末端の担当者の苦労!!
壁一面に張られた地図を見ていると、ひしひしと迫ってくる当時の人々の治水への執念が
皮膚で感じられるような気がする。
新淀川開削工事中の写真や、完成後に廃川となった旧中津川の河川敷の様子を写した写真には
思わず見入ってしまう。廃川跡地の住宅地開発に関する資料もわずかだが展示されていた。
また旧流路に面して立地していた工場の状況について調べた資料など、こういった間接的な
影響についてもとても興味深く、もっと詳しく知りたいものである。
大河川の河口の砂州に興った他の都市でも、ほぼ同じような事情であったが、他の地に先駆けて
こういった革新的な治水事業が大阪で行われたことは実に誇らしいことである。
一番最後に展示してあった、ワークショップによって作成した淀川歴史マップは、
まさに私のやってる廃川跡めぐりじゃないの!私も前々から歩いてみようと思っていた
姫島~十三の旧中津川の蛇行跡の痕跡もすでに一昨年調査したようで、先を越された!
触発されてさっそく明日歩いてみようと思っていたら、雨の予報。あらら・・・また今度。
圧巻の展示だった!
一通り古代からの地形の変遷や近世までの舟運を利用した都市の暮らしについての解説は
水都大阪に関わって近年よく目にするもの。
今回は新淀川100年という節目で、放水路としての新淀川に関する展示がメインである。
それまでも部分的に改良が繰り返されてきた淀川であるが、明治18年の大水害の被害の甚大さに
ついに、流路を変更するという本気の大改修が行われる。
オランダ人技術者を招いての調査・計画が行われ、いくつかの案を検討の末、中津川の河床と
既存の堤防を最大限利用した、現在の流路に決定された。
展示で私が一番衝撃を受けたのは、淀川改良に伴い買収対象となった用地のすべてが記された
巨大な「買収地図」!
大縮尺の地図上でルートをなぞってみても、田んぼやいくつかの集落がなくなったのだな、
ということは頭で理解できるが、マクロで見ることにより、誰々の家と誰々の畑が、という
生々しい感情が湧いてくる。
自分たちの住む地が川底に沈んでしまう人々のやるせなさ、そして同時に、この大事業を成功
させるためにここに描かれたすべての地主と交渉し換地手続した末端の担当者の苦労!!
壁一面に張られた地図を見ていると、ひしひしと迫ってくる当時の人々の治水への執念が
皮膚で感じられるような気がする。
新淀川開削工事中の写真や、完成後に廃川となった旧中津川の河川敷の様子を写した写真には
思わず見入ってしまう。廃川跡地の住宅地開発に関する資料もわずかだが展示されていた。
また旧流路に面して立地していた工場の状況について調べた資料など、こういった間接的な
影響についてもとても興味深く、もっと詳しく知りたいものである。
大河川の河口の砂州に興った他の都市でも、ほぼ同じような事情であったが、他の地に先駆けて
こういった革新的な治水事業が大阪で行われたことは実に誇らしいことである。
一番最後に展示してあった、ワークショップによって作成した淀川歴史マップは、
まさに私のやってる廃川跡めぐりじゃないの!私も前々から歩いてみようと思っていた
姫島~十三の旧中津川の蛇行跡の痕跡もすでに一昨年調査したようで、先を越された!
触発されてさっそく明日歩いてみようと思っていたら、雨の予報。あらら・・・また今度。
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