最近はお手軽にフェイスブックにさらっと書いて終わってるけど、できるだけこちらに書いて残しておこうと思う。
たばこと塩の博物館へ、明日まで開催の塩袋と伝統のギャッベ展を見に行く。
西アジア地域の染織品の収集家である丸山繁氏のコレクションから、すべて初公開の貴重な塩袋、ギャッベ、絨毯が90点。
それを100円の入場料で見れるなんて、たばこと塩の博物館、何と素晴らしいのだろう!
ギャッベは絨毯と作り方は同じだが、交易物として作られた絨毯とは違って自家用の日用具であり、
売ったり鑑賞されることなどさらさら考えずに作られているので、私的な思いが詰まっている。
中には子供が親に教わりながら作ったと見られる稚拙でいびつなものもあったが、家庭内だけで使われるからこそ。
子供の成長を温かく見守る家族の思い出の品でもあるのだ。作り手のプライベートが透けて見えるようなギャッベたち。
天然染料の経年変化やデザインも素敵で目の保養になった。写真撮影NGだったので写真はないが、、、
お気に入りは1930年代のアフシャール族の黄色いギャッベ、1960年代のカシュガイ族の櫛模様のキリム。
生命の樹、羊の角、狼の口、孔雀・・・魔除けや吉祥を表す数々の模様を見ていると、20年ほど前に友人と
トルコへ行って山ほどキリムを買ってきたことを思い出す(笑)。絨毯屋を見るたびにあれこれ欲しくなり
次々買っているうちに膨大な量になり・・・当時はまだ荷物の重量制限とかおおらかで、自分の体重と同じ
くらいの荷物を持ち帰った。あの頃は物欲の塊だった・・・(爆)
それらは実家の片隅で袋に入って積まれているが、一枚だけ今の部屋に持ってきて敷いている。
1200x3000と大きいもので、お気に入りの一枚。
この博物館は墨田区にあり本所吾妻橋から歩いて行った。杉浦非水展の時にも通ったが、こちらは
北十間川と小名木川をつないでいた大横川に掛かっていたワーレントラス橋、平川橋の名残のモニュメント。
2011(平成23)年に撤去された。
大横川は埋め立てられたあと公園として整備され、一部釣り堀になっている。川の水面をイメージできて面白い。
大きな鳥がゆうゆうと水面に佇んでいて笑った。
無料だがちゃんと管理されていて、17時になったら柵が閉められ水面にネットが掛けられる。
こんなまちなかの小さな無料の施設にも管理人がいてきっちり管理されているなんて、東京へ来てびっくりした
ことのひとつでもある。
橋のたもとに祀られていた石像。都会の片隅で土着の信仰が息づいているように感じた。
たばこと塩の博物館へ、明日まで開催の塩袋と伝統のギャッベ展を見に行く。
西アジア地域の染織品の収集家である丸山繁氏のコレクションから、すべて初公開の貴重な塩袋、ギャッベ、絨毯が90点。
それを100円の入場料で見れるなんて、たばこと塩の博物館、何と素晴らしいのだろう!
ギャッベは絨毯と作り方は同じだが、交易物として作られた絨毯とは違って自家用の日用具であり、
売ったり鑑賞されることなどさらさら考えずに作られているので、私的な思いが詰まっている。
中には子供が親に教わりながら作ったと見られる稚拙でいびつなものもあったが、家庭内だけで使われるからこそ。
子供の成長を温かく見守る家族の思い出の品でもあるのだ。作り手のプライベートが透けて見えるようなギャッベたち。
天然染料の経年変化やデザインも素敵で目の保養になった。写真撮影NGだったので写真はないが、、、
お気に入りは1930年代のアフシャール族の黄色いギャッベ、1960年代のカシュガイ族の櫛模様のキリム。
生命の樹、羊の角、狼の口、孔雀・・・魔除けや吉祥を表す数々の模様を見ていると、20年ほど前に友人と
トルコへ行って山ほどキリムを買ってきたことを思い出す(笑)。絨毯屋を見るたびにあれこれ欲しくなり
次々買っているうちに膨大な量になり・・・当時はまだ荷物の重量制限とかおおらかで、自分の体重と同じ
くらいの荷物を持ち帰った。あの頃は物欲の塊だった・・・(爆)
それらは実家の片隅で袋に入って積まれているが、一枚だけ今の部屋に持ってきて敷いている。
1200x3000と大きいもので、お気に入りの一枚。
この博物館は墨田区にあり本所吾妻橋から歩いて行った。杉浦非水展の時にも通ったが、こちらは
北十間川と小名木川をつないでいた大横川に掛かっていたワーレントラス橋、平川橋の名残のモニュメント。
2011(平成23)年に撤去された。
大横川は埋め立てられたあと公園として整備され、一部釣り堀になっている。川の水面をイメージできて面白い。
大きな鳥がゆうゆうと水面に佇んでいて笑った。
無料だがちゃんと管理されていて、17時になったら柵が閉められ水面にネットが掛けられる。
こんなまちなかの小さな無料の施設にも管理人がいてきっちり管理されているなんて、東京へ来てびっくりした
ことのひとつでもある。
橋のたもとに祀られていた石像。都会の片隅で土着の信仰が息づいているように感じた。
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