22年ぶりに年末から正月にかけて、完全に日本で過ごしたが、日本の年末、正月も随分と変わったものだと思う。かつて元旦は多くの店が休業していたが、今は百貨店、大型ショッピングモール、スーパーを含め、すべて元旦から初売りがスタートし、かつての繁華街、商店街にあった元旦(三が日)独特の静寂はない。昔は多くの人が「元旦(或いは三が日)ぐらいはゆっくりしたい」などと言っていたものだが元旦はむしろ、大型小売店を営業するものにとっては営業戦略上、大変重要な日であり、悠長に休んでなどいられないというわけだ。
正月料理の準備も随分変わったのだと思う。自ら作る人が減ったから既製品が増えたのか、既製品が増えたから作る人が減ったのかは分からない(たぶん、両方の理由からだろう)が、年末の大型スーパーにはあふれんばかりのおせち料理が並んでおり、これならわざわざ主婦が家で苦労して作る必要もあるまいと思う。年末も年始も多くの店が平気で開いているため、昔のように食料品を買いだめしておく必要もない。
初売りのベンチマークであった福袋のかなりが年末から売られているのにも驚いた。昔は福袋と言えば、デバートと一部小売店の専売特許のようなものだったが、これほどたくさんの店が福袋を扱っていては有難味がなくなるのではないかと思う。ただ、中身が確認できる福袋が出てきている点は、消費者に対して良心的だ。昔は中身が見れないものしかなく、福袋を買ったものの服のサイズが全然合っていないなんてことは良くあった。年賀状も久方ぶりに復活してみたが、今は若者を中心にメールでの年賀挨拶も多いため、昔のようにポストの中の年賀はがきを見て正月をことさら感じることもなくなっているのかもしれない。
初詣とお年玉の習慣ぐらいはさほど変わっていないと思うが、とにかく日本の年末年始がかつての非日常的な世界とは打って変わって随分と日常化したものだと思う。
それでも少しはこの時期特有の非日常世界を体験したく、紅白歌合戦も無理して見たが、吉高由里子のメリハリのない司会、(知らない多くの)へたくそな歌手、トリの松田聖子の歌にもがっかりさせられ(高音部分が出ていなかった)、昔の紅白歌合戦のようには楽しめなかった。年をくったせいかもしれないが何だかとても寂しい気持ちだ。
正月料理の準備も随分変わったのだと思う。自ら作る人が減ったから既製品が増えたのか、既製品が増えたから作る人が減ったのかは分からない(たぶん、両方の理由からだろう)が、年末の大型スーパーにはあふれんばかりのおせち料理が並んでおり、これならわざわざ主婦が家で苦労して作る必要もあるまいと思う。年末も年始も多くの店が平気で開いているため、昔のように食料品を買いだめしておく必要もない。
初売りのベンチマークであった福袋のかなりが年末から売られているのにも驚いた。昔は福袋と言えば、デバートと一部小売店の専売特許のようなものだったが、これほどたくさんの店が福袋を扱っていては有難味がなくなるのではないかと思う。ただ、中身が確認できる福袋が出てきている点は、消費者に対して良心的だ。昔は中身が見れないものしかなく、福袋を買ったものの服のサイズが全然合っていないなんてことは良くあった。年賀状も久方ぶりに復活してみたが、今は若者を中心にメールでの年賀挨拶も多いため、昔のようにポストの中の年賀はがきを見て正月をことさら感じることもなくなっているのかもしれない。
初詣とお年玉の習慣ぐらいはさほど変わっていないと思うが、とにかく日本の年末年始がかつての非日常的な世界とは打って変わって随分と日常化したものだと思う。
それでも少しはこの時期特有の非日常世界を体験したく、紅白歌合戦も無理して見たが、吉高由里子のメリハリのない司会、(知らない多くの)へたくそな歌手、トリの松田聖子の歌にもがっかりさせられ(高音部分が出ていなかった)、昔の紅白歌合戦のようには楽しめなかった。年をくったせいかもしれないが何だかとても寂しい気持ちだ。
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