いつもの思い出話を。
20代前半から半ばはよくバンコクにいた感じがする。まだ成田からユナイテッド航空が以遠権フライトをバンコクまで飛ばしていた頃で、知り合いに紹介されてユナイテッド航空の「マイレージプラス」に入会し、バンコク便でせっせとマイルをためていた。コンチネンタル航空と合併したときに会員番号は違うものに変わったが、それまでは旅行会社にマイレージプラスの会員番号を伝えると「めちゃくちゃ初期のメンバーじゃないですか!」といつも言われた。
知っている人は知っている「沈没」という言葉がある。バンコクあたりの安宿に巣くって、何をするでもなく一日を過ごし長期滞在している日本人(の主に若者)を指す言葉だ。今ではそんな人がいれば大体がバンコクから日本に住む人相手に特殊詐欺をはたらく悪人と相場が決まっているが(笑)、あの頃、30年前は本当にただ単にそこにいて日々を暮らしているだけの人ばかりだったと思う。
ある時いつものように一泊50バーツの大部屋に2週間ほど滞在していたことがあった。あってないような部屋の定員は8人ほどで、8つのマットレスが並んでいる部屋だった。欧米人、日本人の学生に加えて、下の24時間営業の食堂で料理人をしているタイ人のオジサンもそこに住んでいた。オジサンは仕事が休み時間になると僕の真向かいのマットレスの上で、大きなマリファナの塊を削って「販売用」に小袋に入れる作業にいそしんでいた(笑)。
「お前も買わないか?」とよく言われたが「ありがとう、でも、オレやらないんだよ。興味なくて。」といつも答えていた。
本当に興味がないのだ。
僕は煙草を若い頃から始めて26歳まで吸った。ヘビースモーカーで一日3パック(60本)強。そのせいか、ある時禁煙をしようと決意したあと挫けて3日ぶりに吸ったら頭がくらくらして気持ちよかったので、どうせ麻薬もこんな感じなんだろうと(笑)、実際のモノには手を付けることはなかったのだ。
その時はちょうど年に一度の水かけ祭り(ソンクラーン)で、町中が浮足立っていたので自分もワクワクして階下の食堂でビールを飲んでいたら、いつも顔を合わせる日本人も数人ワクワク顔で集まってきて4人で何をするでもなくビールを飲んでいた。
時はUNCTADの明石康さん、自衛隊PKOなどの単語がニュースを賑わす数年前のまだポルポトが元気な頃で、話題は「昨日もカンボジアに陸路入国を試みたオーストラリア人とフランス人がクメールルージュ(ポルポト派)に捕まって処刑されたらしいよ」などの噂話ばかりだった。今となっては懐かしい話だけど。
「処刑された」のくだりが噂に生えた尾ひれなのか、本当のことなのかはいまだにわからない。だって「キリングフィールド」ですからね(汗)。
そんな風に宿の一階の食堂にたむろしてみんなで飲んでいたら、明らかにラリった日本人と欧米人のガールフレンドのカップルが入ってきて、僕の大部屋の上の階の個室にチェックインした。尋常じゃない「ラリりっぷり」(日本語がおかしいな(笑))だったので、みんなで「マリファナだろ。あいつ大丈夫か?」と話していたら、上階から何やら叫び声やドスドス大きな騒音。まもなく宿の人間が呼んだ警官がやってきて連行して行った。
頭の中で金八先生第2シリーズの加藤優と沖田浩之が連行されるシーンがフラッシュバックし、中島みゆきの「世情」が流れた(笑)。
バッドトリップ(悪酔い?)だったようだった。そういうのをちょくちょく見ていたので、大麻は煙草より中毒性もないし安全だと解禁を求めている人を見ても(本当かなぁ)という疑念しかない。僕はかなり酒を飲んでも酔わないが、新橋あたりでビール数杯飲んだくらいで奇声を発して走り回っているサラリーマンを見ていると、大麻を解禁したら酒と同じで効きまくって溺れる若い人が多くなるだろうなと思うのだ。旅をしていて同じ大部屋にアヘン中毒末期の人がいたこともあったが、もはや人間ではなかった。
そのあとみんなと別れて、ソンクラーンの水かけに気を付けながら、いつも道端に椅子を出してメコンウイスキー(米で作ったタイのウイスキー)を飲んでいるタイ人のグループのところに炭酸水の差し入れを持って行って夕方まで一緒に飲んで、また宿に帰ってオジサンがマリファナを削るのを見ながら朝までぐっすり寝た。大体その繰り返し。
非常に無為だけど、楽しい日々だった。ああいうのは若いときじゃないとできないですね。
というか、楽しいとは思いつつも一方で(30代半ば過ぎてやってたらダメだな)と思っていたので、26歳の時に煙草をきっぱりやめたのに続いて、無為ななんちゃってバックパッカーも30代になって数年後にキッパリやめた(笑)。
20代前半から半ばはよくバンコクにいた感じがする。まだ成田からユナイテッド航空が以遠権フライトをバンコクまで飛ばしていた頃で、知り合いに紹介されてユナイテッド航空の「マイレージプラス」に入会し、バンコク便でせっせとマイルをためていた。コンチネンタル航空と合併したときに会員番号は違うものに変わったが、それまでは旅行会社にマイレージプラスの会員番号を伝えると「めちゃくちゃ初期のメンバーじゃないですか!」といつも言われた。
知っている人は知っている「沈没」という言葉がある。バンコクあたりの安宿に巣くって、何をするでもなく一日を過ごし長期滞在している日本人(の主に若者)を指す言葉だ。今ではそんな人がいれば大体がバンコクから日本に住む人相手に特殊詐欺をはたらく悪人と相場が決まっているが(笑)、あの頃、30年前は本当にただ単にそこにいて日々を暮らしているだけの人ばかりだったと思う。
ある時いつものように一泊50バーツの大部屋に2週間ほど滞在していたことがあった。あってないような部屋の定員は8人ほどで、8つのマットレスが並んでいる部屋だった。欧米人、日本人の学生に加えて、下の24時間営業の食堂で料理人をしているタイ人のオジサンもそこに住んでいた。オジサンは仕事が休み時間になると僕の真向かいのマットレスの上で、大きなマリファナの塊を削って「販売用」に小袋に入れる作業にいそしんでいた(笑)。
「お前も買わないか?」とよく言われたが「ありがとう、でも、オレやらないんだよ。興味なくて。」といつも答えていた。
本当に興味がないのだ。
僕は煙草を若い頃から始めて26歳まで吸った。ヘビースモーカーで一日3パック(60本)強。そのせいか、ある時禁煙をしようと決意したあと挫けて3日ぶりに吸ったら頭がくらくらして気持ちよかったので、どうせ麻薬もこんな感じなんだろうと(笑)、実際のモノには手を付けることはなかったのだ。
その時はちょうど年に一度の水かけ祭り(ソンクラーン)で、町中が浮足立っていたので自分もワクワクして階下の食堂でビールを飲んでいたら、いつも顔を合わせる日本人も数人ワクワク顔で集まってきて4人で何をするでもなくビールを飲んでいた。
時はUNCTADの明石康さん、自衛隊PKOなどの単語がニュースを賑わす数年前のまだポルポトが元気な頃で、話題は「昨日もカンボジアに陸路入国を試みたオーストラリア人とフランス人がクメールルージュ(ポルポト派)に捕まって処刑されたらしいよ」などの噂話ばかりだった。今となっては懐かしい話だけど。
「処刑された」のくだりが噂に生えた尾ひれなのか、本当のことなのかはいまだにわからない。だって「キリングフィールド」ですからね(汗)。
そんな風に宿の一階の食堂にたむろしてみんなで飲んでいたら、明らかにラリった日本人と欧米人のガールフレンドのカップルが入ってきて、僕の大部屋の上の階の個室にチェックインした。尋常じゃない「ラリりっぷり」(日本語がおかしいな(笑))だったので、みんなで「マリファナだろ。あいつ大丈夫か?」と話していたら、上階から何やら叫び声やドスドス大きな騒音。まもなく宿の人間が呼んだ警官がやってきて連行して行った。
頭の中で金八先生第2シリーズの加藤優と沖田浩之が連行されるシーンがフラッシュバックし、中島みゆきの「世情」が流れた(笑)。
バッドトリップ(悪酔い?)だったようだった。そういうのをちょくちょく見ていたので、大麻は煙草より中毒性もないし安全だと解禁を求めている人を見ても(本当かなぁ)という疑念しかない。僕はかなり酒を飲んでも酔わないが、新橋あたりでビール数杯飲んだくらいで奇声を発して走り回っているサラリーマンを見ていると、大麻を解禁したら酒と同じで効きまくって溺れる若い人が多くなるだろうなと思うのだ。旅をしていて同じ大部屋にアヘン中毒末期の人がいたこともあったが、もはや人間ではなかった。
そのあとみんなと別れて、ソンクラーンの水かけに気を付けながら、いつも道端に椅子を出してメコンウイスキー(米で作ったタイのウイスキー)を飲んでいるタイ人のグループのところに炭酸水の差し入れを持って行って夕方まで一緒に飲んで、また宿に帰ってオジサンがマリファナを削るのを見ながら朝までぐっすり寝た。大体その繰り返し。
非常に無為だけど、楽しい日々だった。ああいうのは若いときじゃないとできないですね。
というか、楽しいとは思いつつも一方で(30代半ば過ぎてやってたらダメだな)と思っていたので、26歳の時に煙草をきっぱりやめたのに続いて、無為ななんちゃってバックパッカーも30代になって数年後にキッパリやめた(笑)。