ニューヨーク市長のクオモ知事が辞任、とのニュースが飛び込んできたので連投で投稿します。
新型コロナで名を上げ、その後色々な話のあったクオモ知事ですが、「過去、部下の女性11人にセクハラがあった」としてバイデン大統領からも辞任を促されていたそうです。
このニュースについて、総じて「クオモ知事にガッカリした」という評価になっているようですが、私はそうは思いませんでした。
「セクハラの責任をとって辞任」するのではなく、「行政に混乱をもたらす」から辞任する、というスタンスが批判されているようですが、これは大枠だけでの判断と感じます。
クオモ知事の発言を以下に書きます。
「自分自身の考えでは(セクハラの)一線を越えたことはない。ただ、その線が引かれる場所がどれだけ変わっていたかということを認識していなかった。世代的、文化的な変化があり、私はそれを完全に理解していなかった。」
と言っています。つまりクオモ知事自身は「セクハラではない」というスタンスを一貫していますが、「世代的、文化的に変化している」ことは認めており、女性に不快な思いをさせた事は認めています。
その上で、「女性に対して完全に責任を取る」とともに、「自分が反論することで行政に混乱をもたらし、コロナの危機への対策も含め税金が無駄に使われている」ことを配慮しての辞任、としています。
このクオモ知事の発言を盲信するつもりはありません。この辞任には政治的な意図なども感じられますし、単純な話ではないと思います。
けれど、このクオモ知事の説明は筋が通っています。
「自分はセクハラをしたつもりはない」
「けれど、社会が変化している。それを認識していなかった所に自分に非がある」
というのは私にとって理解できる話です。
もちろんセクハラは絶対に☓なのは確かです。
けれど、「女性が不快な思いをしたらセクハラ」という、相手の捉え方次第で変わってしまう線引きに、多くの男性が戸惑い苦慮しているのではないでしょうか?(これは「女性が決める」と言っているのではなく、「異性が決める」という意味です。「男のくせに!」と男性がセクハラ被害を受ける事も多々あります)
クオモ知事の説明は、このデリケートな問題に1石を投じる意味のあるものに私は感じます。
また、どこかの国の政治家の常套句、
「誤解を招いたのならば謝罪します」
という発言と似てはいますが、完全に別物です。
このどこかの国の政治家は、「自分の行為(誤解を招いたこと)」に対してなんの責任もとっていません。(そもそも、大体の場合は国民が「正確に理解」しているのに勝手に「誤解」と定義してます)
クオモ知事は
「誤解を招いた」のは 自分が社会の変化を認識していなかった事が原因
と、自分の責任であることを明確にしています。
その上で辞任を選んでいる。
「職務を続ける事が責任を取ることだ」 などという身勝手な理由で地位にしがみつく、どこかの国の政治家と比べたらどんなに潔いことか。。
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