ルビリアナさんから、冷たい視線を全身で受けた後。
私達を、頭上の位置にある屋敷へ乗せてくれるだろうかと内心穏やかでは居られなかったが。
湿気た森から突き刺さるような敵意を感じなくなったのは、逆立った白い毛が元に戻ったと気付いた後だった。
「ニャ!(フンッ)」
ルビリアナさんからの許可も貰えたことだし、自分の右手を勇ましく上げてみた。
前方にある木の枝がガウラの足元に近付き、柔軟な動きを見せつつ、絡みながらも一緒に浮上してくれた。
私達三匹は屋敷の前部分に降ろされ、固い地面にそれぞれ足を下ろし、灰色の石を研磨した階段をポテポテよじ登り、木製の茶色い大きな扉を視界に入れた。でも・・・
「ニャアアア~(あ、あれ。と、扉しかない??)」
遠くから眺めたルビリアナさんのお屋敷は、森の上にでっかく建てられていて、外からも確認出来ていた。その瞬間を捉えていないけど、私達が屋敷に近づいた途端、扉以外の壁を消したという事なのだろうか。
空中に浮かんだ要塞・紫鉱城(ラドギール)にある謁見の間の扉は、透明だったけど中が見えない様に仕組まれていて、ルビリアナさんが住む屋敷の玄関扉は、表面は見えるけど前者と同じく中の様子が全く見えない。覗き見る事が出来ない様子から、どちらも同じ不明瞭な意図を感じさせられてしまった。
「チュウウウゥッ(クロウ家の屋敷には、招かざる客人が侵入出来ないように呪いを施してんだよ~。他者に反応して、即座に壁が消えるように仕掛けられてんだ。レット・クロウ家の屋敷内限定だけど、立ち入れない様に呪いを施すなんて、クロウ家当主でもあるお嬢にはお茶の子サイサイだよ!)」
「ニャアアァー(ふへえ、呪いって・・・まあ、それくらいしないと、強い魔物さん達に壁を壊される可能性ってあるかもしれないしね――)」
「リオ――、オレ達の愛の巣も、強固なモノにしような」
KY<空気読めない>ガウラの言葉をスルーし、興味深々でそこかしらを調べてみた。
扉の後ろ側に回ってみても、内部にはかすりもしないらしい。毛むくじゃらの手で猫パンチを繰り返しても、空ぶるだけだった。
ボウ・・・
左右に設置されている、水晶柱の上に乗せられたカボチャに似たランタンが、くり抜かれた両目の穴からオレンジ色を発光し始める。
両脇に釣り下げられたすずらんに似た紫色の花は、微風(そよかぜ)が吹く度に甘い香りをそこかしらに漂わせていた。
「フニャ~~ン、ウニャァァ(あ、甘い香りがするぅ~~)」
花を手折(たお)って、口に含みたい衝動に駆られる。
口からは既に涎が流れ、花にむしゃぶり付きそうになった時、ガウラに慌てて抱き上げられた。
「リオ、不用意にそこらにある物を食べるな。毒があったらどうするんだ」
「チュウウゥ!(この花、香りは良いけどすんごいマズいんだよ。毒は無いけど、止めといた方がイイなっ)」
「フフッ、綺麗な花にはトゲがあるってね。リオちゃん、ガウラ、ここが私の屋敷よ、さあ、中へ入りましょうか」
扉の前で、一足先に私達を待っていてくれたルビリアナさん。
先ほどの突き刺さすような眼差しが綺麗になくなっていると知り、内心ほっとする。
重厚な扉に彼女が細腕を添えると、難なく扉は開く。中で迎えられたのは、ずらりと並んだ召使いの人達だった。
「お帰りなさいませ、ルビリアナお嬢様!」
眼鏡を掛けた年配らしき男の人が頭を下げる。すると、メイドさんらしき人達も同じく頭を低くしてこちらへ挨拶をしてくれた。
「「「「「お帰りなさいませ、ルビリアナお嬢様!! 」」」」」
「ただいま、みんな」
開口一番、喜びの出迎えをルビリアナさんは受けていた。それぞれ縦に二つ列になり、どの人も深く頭を下げて屋敷の主を迎えている。
ルビリアナさんが労う合図をすると、召使の人達は頭を上げて喜びを露わにしていた。
「悪いけどこのボレロを預かってくれる? かわりに紫色のストールが欲しいわ」
「仰せのままに」
天井から吊り下げられたオレンジ色のたわわに育った温かな実が、部屋の中とその場に居る人物を分かりやすく照らし出す。
黒い髪、尖った耳と、紫色の瞳。さらに特徴的なのが・・・盛大に迎え入れられた人達の肌の色。濃い褐色だ。
どの人も黒い上下の服を着て、凛々しく佇んでいる。
「お嬢様、この中からお気に召した物がありますか」
「ええ、これを。あら、ありがとね、キャンティス」
「いいえ、勿体無いお言葉です、お嬢様」
ルビリアナさんが今まで着ていた黒色のボレロを執事風の男の人に手渡して、代わりとなる掛け布を・・・キャンティスさんという眼鏡を掛けたメイドさんが広げて見せている。黒の上下服に、紺のフリフリエプロンを着こなしている、おさげの女の子。
五色くらいある濃淡の違いのある紫色のストールの中から、二番目に濃い色の紫色のストールを選んで手にして、恭しくルビリアナさんの肩に掛けていた。
「ソルトス殿下は応接間に居られるのかしら?」
腰まである髪の毛を両手でふわりとなびかせると、香水のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。優雅な仕草に、男の給仕さんや女の人のメイドさんまでうっとりとしていた。
「いえ。御来訪されて、すぐに六階へと上がりました。その際、覇者を連れて “炎舞(えんぶ)の間”まで来いと、ルビリアナお嬢様へと言伝を承りました」
「そう、分かった。殿下のご命令なら行くしかないのね」
溜息を吐いて、視線を私の方へ寄こすルビリアナさん。すると居並んだメイドさん達と、執事さんはこちらに視線を移してきた。複数の紫色の瞳が私達をじっくりと見つめる。
「白い猫・・・お嬢様、この方が?」
執事風の男の人が訊ねる。メイドさん達も息を呑んで、私の全身をくまなく眺めて来た。
「覇者のリオちゃんよ。パンナロットと女神に唯一愛された、この世界では稀有(けう)な存在のね」
「ニャ、ニャアアッ(は、初めまして、猫のリオでっす! 出身地は日本で、特技は肩たたきでっす)」
「リオの守護獣ガウラ。リオは俺の女で、妻でもある。三度の飯より、リオが好きだ」
「チュウゥゥ(腹が減ったらどーするんだよ・・・猫の嬢ちゃんを食べるんじゃないだろーな)」
ガウラからの台詞(せりふ)にどこかデジャブを感じながらも、執事さんとメイドさんにそれぞれ挨拶した。
私の頭の上に乗っかった灰色ネズミのハンスが、おどけながら物騒な言葉の意味を答えた本人に問いかける。ガウラは邪(よこしま)な顔で「物の例えだ――」と、ガウラは答えていた。
「ニャッ、ニャッ、ニャオッ、ニャオオッ(三度のメシって、どっかで、聴いたコト、あるんだけど、なぁー?)」
はて、どこでだったか思い出せない。猫になって脳みそまで小さくなったようだ。自分の将来が不安でならない。ガウラに頬ずりを延々されながら、悶々と一匹で思い悩んでるといつの間にか階段を上っていた。
「ニャニャッッ(あ、あれれ?)」
間抜けな声を出してる間に、執事さん達といつの間にか別れていたらしい。紫色の階段を、ガウラに抱かれたまま皆で進んでいた。
「まず、ソルトス殿下が居られる“炎舞の間”まで行きましょうか」
「ニャ!(うん!)」
****
【六階・炎舞の間】
通路の端にある階段を上り、最上階に着いた猫の私とガウラ、灰色ネズミのハンス、この屋敷の当主であるルビリアナさん。紫色の広い通路を歩く度に、両壁に取り付けられているオレンジ色の鉱物が勢いよく点灯し始める。
通路を少し歩いた所で、ある部屋の前に一同は立った。茶色の扉の前には、不思議な文様が浮かび上がっている。
「この封印術(オルガセプト)は、上級魔族でも王族と一握りの者にしか開く事が出来ないのよ。ていうか、ここの封印術(オルガセプト)を普段解除してたら、この屋敷内が火の海になっちゃうけどね」
「ニャニャニャッ!(へ、へぇ~~)」
「おるがせぷと・・・確かファインシャートでは、ディッセントの国王は打ち破る事が出来ると聴いた事がある」
「力任せに破れば何とでもなると思ってるのかしら、あの野蛮王・・・忌々しい事に、本当の事だからしょうがないけどね。炎舞の間を封じせし紋扉(もんひ)よ、ルビリアナの名の許に封印術(オルガセプト)を解き放て・・・」
精密な図柄の紋様が、ルビリアナさんの言葉によって少しずつ解きほどかれて行く。
中央から上へ、中央から下へ、続いて左、右。卍形だった模様が四角形に変わっていく。
「――解除術(グエンセプト)!――」
次の瞬間、眩い光が放出したかと思うと、浮かび上がっていた透明の文様は砕け散ってしまった。
「ニャ、ニャアアッ(ふへぇ~~、凄すぎる・・・)」
「っ?・・・ぐあっ・・・!」
「チュウゥゥゥ~~!(あ、あっづ~~!!)」
「ニャ、ニャアァァ~(ガウラ、大丈夫なの?)」
呆けてぼうっとしていると、自分の顔に雫がかかった。何だろうと思って見上げると、私を抱き上げてくれているガウラの顔から流れ出た汗だった。汗は噴き出て、呼吸がしづらそうに咳き込んでいる。
何も無いと思っていただけに、苦しそうな二人の反応を見て驚いてしまった。
ガウラは体中から汗を滴らせ息苦しそうに、私の頭に居る灰色ネズミのハンスは、跳び上がってぐったりしている。
「リオちゃんにはピリマウムがあるから大丈夫ね。さて、これから“炎舞の間”に入るから、ガウラとハンスはこの鉱石を肌身離さず持っててちょうだい」
スカートのポケットから赤い鉱石を二つ、手で握ったルビリアナさんがガウラとハンスに差し出していた。息も絶えたえに、彼らは震える手で鉱石を受け取っていた。
「はぁ、はぁ・・・っ、はあ・・・」
「チュウウ・・・(死ぬかと思ったぁ・・・)」
ガウラを心配して見上げるとやっと落ち着いたのか、呼吸が正常に戻っていた。
ハンスは、私の頭からルビリアナさんの肩までよたつきながら移動して座り出す。準備の出来た私達は、彼女のあとに続いて炎がひしめく灼熱の部屋へと入った。
ゴオオオッ
「ニャアアッ(溶岩部屋? ひ、火が舞ってるぅぅ~~!)」
「な、何なんだ」
「チュウゥ~(オイラも、中には初めて入ったよ。ルビお嬢ここは・・・)」
「ここはクロウ家秘蔵の場所なんだけど。はぁ、殿下ったら何故こんな時に?」
ゴツゴツした岩の内壁の中を、ルビリアナさんを先頭にして中を進む。すると、強面(こわもて)の銅像が見えた。
顔は魔人の様で、阿修羅像を思わす6本の豪腕な腕。その6本の手の平から流れ出す溶岩。下で受け止めるプールの様な受け皿に、トロトロと落ちていく様を塩王子は眺めていた。
「ニャ、ニャアァァ?(し、塩王子、何をしてるの?)」
「まぁ見てろ」
「ソルトス殿下、それはまだリオちゃん達には・・・」
「王族命令だ」
「御意・・・」
しぶしぶと了解するルビリアナさんを尻目に、自分の腕を自らの剣で傷つける塩王子。
紅い血がポタポタと流れ出て、溶岩に合わさった刹那――ジュワッと音がすると、部屋いっぱいに一瞬の閃光が走った。
「ニャ!(これはっ!)」
「チュウゥゥ!(マッ、マジでぇ~~!)」
「一瞬にして固まった・・・一体これは?」
「精霊・ヴォムドフレイムによる恩恵像。さらに王族の血を混ぜることで、ある魔力を付与した最上級の炎核も作る事が出来る特殊精霊技巧だな」
“お前達魔族にしか作り出す事が出来ない魔石だ――”
ファインシャートの王様の言葉を思い出した。
もしかして、この世界共通語・ハヌマ語を話せる様になる魔石の事だろうか。
「鉱石と魔石のおかげで、デルモントは太陽がなくても十分生活出来るようにはなった。しかし、これで終わりにはしない」
「ニャ?」
炎核を握りしめ、こちらを見据える塩王子。迷いなどない、力強い瞳が私達を射抜いた。
「ふっ、ゼルとハーティスを迎えに行くぞ。今度は俺がファインシャートの奴らにひと泡吹かせる番だ――準備は良いか、ルビリアナ」
「御意に御座います――黒石に宿りし深淵(しんえん)、言霊に乗せて転移の力を開放せよ・・・――闇属性転移魔法(バレディス)――!」
気付くと、私達は三頭の犬・ケルベロスの待つ門まで来ていた。
そして、アビスロード(地底トンネル)を通る事になる。向かうは、ファインシャートの王宮へ――
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