雲多めで気温もさほど高くならなかったけれど湿度は高め。
長かった息子のGWも終わり、今日は勤務地へ戻る日です。午前中、自分は洗濯、息子は荷造り。見せていなかったTV録画なども見せ、昼を少し回ってから家を出ました。
まずクルマで駅前まで行き、お昼にラーメンを食べたり買い物したりした後、自分はまた家の前まで送ってもらい、息子はそのまま帰って行きました。これでまた暫くは、気楽だけどちょっと寂しい一人の日々が続きます。
帰宅後は、また洗濯したり本を読んだり昼寝したり。昼食が重めだったし、明日は健康診断があるので、夕食は軽くすませました。
録画しておいた【土曜スタジオパーク】の菅田将暉さんゲスト回を観てから、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』視聴。サブタイトル「壇ノ浦で舞った男」。
いよいよ源平最終決戦です。が、屋島の戦いも壇ノ浦も、合戦の描写自体はあっさりダイジェスト。先日の一ノ谷の戦いでも熊谷直実と敦盛のエピソードはなく、屋島でも那須与一は出番なし。ただ、義経と梶原景時のいわゆる「逆櫓論争」は描かれます。言い争った後、景時にひどい言葉を投げつけたことを反省する義経と、そんな義経を理解する景時という関係性の描き方が新鮮かつ絶妙です。
壇ノ浦決戦も、水夫楫取(かこかんどり)即ち非戦闘員を真っ先に射殺す義経のバーサーカーっぷりは描かれますが、二位尼の「波の下にも都のさぶらふぞ」も、新中納言知盛の「見るべき程の事は見つ」もなし。この二つの言葉がなければ壇ノ浦は終われないと思いますが、あくまでも源氏軍主体に描くなら、彼らや義経の知るところではないですからね。
しかし草薙剣は海中に失われ、幼い安徳帝の入水にはさすがの義経も狼狽、動揺します。対岸(九州側)で静かに合掌する和田義盛、船上で同じように手を合わせる畠山重忠コンビも良かったです。
全てが終わった後、戦場でしか生きられない自分はこのさき誰と戦えばいいのかと、血しぶきを浴びた顔に寂しい笑みを浮かべる義経——
そののち鎌倉では、頼朝に義経の戦果を報告しつつ、いきなり「讒言」攻勢に入る景時が……義経と理解し合っていたはずなのになぜ?と驚く義時と視聴者。それは、景時が兄弟どちらをもリスペクトするがゆえ、両雄並び立たずと考えてのこと、また兄弟それぞれの「天命」を見定めたいとの思いからでもあったようですが、現時点ではちょっとわかりにくいですね。
しかし皆の前では義経に厳しいことを言う頼朝ですが、政子と二人きりになった時はじめて「平家が滅んだ」「九郎がやってくれた」と滂沱の涙を流すのでした。この人にも弟への想いは確かにあるはずなのに……
その九郎義経は検非違使に任じられ、後白河院に引き止められてなかなか鎌倉に戻れず、捕縛された平家の総大将・宗盛を護送するという名目で、やっと帰ることを許されます。
小泉孝太郎さん演じる宗盛、よくある無能な棟梁や愚将としての描かれ方ではなく、かつてないほど潔く鷹揚で気品ある御曹司として描かれていました。腰越で足止めされた義経のために、頼朝への手紙を代筆までしてくれるほど——いわゆる「腰越状」は偽書説が濃厚ですが、それをこう取り扱ったかと感心します。
しかし、本人が書いたものではないことを頼朝はすぐ見抜き、更に義経への疑心を募らせるのでした。宗盛はあくまでも善意でしたことだと思いますが、それが兄弟の仲を裂き、「結果として」一族の仇に一矢報いたことになるのが皮肉でもあり切なくもあります。宗盛その人に対しては、頼朝は今更恨みも怒りもないと語っていただけに尚更。
また今回は、亡き兄・宗時に思いを馳せる義時や、同じく亡き兄・重盛について「心を開くことは少なかったが信頼し合っていた」と語る宗盛と、兄に喜んでほしいと願いつつ受け入れてもらえない義経が対比的に描かれ、切なさが増します。
その一方で義経は、宗盛を息子の清宗と会わせてやったり、かつて鎌倉への旅の途中、腰越で芋鍋を振る舞ってくれた地元の百姓たちに恩返ししたりと、情に厚い面も見せます。壇ノ浦で容赦なく殺戮した漕ぎ手たちについても「手厚く葬ってやれ」と言ったり、バーサーカーではあっても冷血漢ではなく、ましてやツイッターなどで囁かれていたような「サイコパス」などではないとここに来て示すことで、却って先が長くないことが暗示されるようで、やはり切なくなります。
兄に受け入れられない以上、都で院のために働くしかないと決めたかのような「九郎判官」の笑顔が悲しかったです。
大河の後はEテレ【クラシック音楽館】で辻井伸行特集。いつもながら温かみある演奏で、失礼な言い方ですが「うまくなったなぁ」と思いました。