ご訪問ありがとうございます。
最近・・・いやっ
うちのAgが自閉症スペクトラム(広汎性発達障害)と診断された頃から
漠然と気になっていたこと
果たしてこの子の未来はどうなのか?ってことを漠然と考える日々の中
どうしても避けては通れない
「社会適応」 というキーポイント
大人になった自閉症の人たちはいったいどう生きているのか?
という、なんのけない検索から
たどり着いたのがこの本です。
2001年、浅草で起きた事件・・・
レッサーパンダ帽をかぶった知的障害を持つ男性による女性殺害事件についてのルポルタージュ本。
長く重くなるかもしれません
でも、関係のある人もない人も知って欲しい
それでレビューを書くことにしました
これからは追記・・・
その前にクリックお願い致します。
みなさんはこの事件のこと、覚えてらっしゃいますか?
私も正直・・・レッサーパンダ帽だけ覚えていて
女の子のストーカーが犯人だと、間違った記憶・認識でした。
旦那に聞いても、そんな事件あったかいねぇ~?と全く覚えておらず
時と共に風化していっているんだなぁ~と
それが一般的なんでしょうが・・・。
さて・・・内容的には、本の名前で検索していただければお分かりいただけると思います。
私も色々と検索しました。
この方の意見が一番、私に近かった・・・
こちら
まだ司法に自閉症の特性とか診断とか、全く分かってもらえない時代?
先進的な都会でも一般的に認知度が低かったことが覗えます。
この犯人は知能の比較的高い(言葉も話せるし、生活スキルも人並み)高機能自閉症
でも知能が高いゆえに、プライドも高く、自分のことをそれとは認めません
明らかに人とのコミニケーションが取れない・受け答えの妙
少しカジっただけの私でも、読んでいると
この犯人が自閉症だと判別できます(印象ではなく・診断基準に照らし合わせ)
著書は・・・自閉症の人の裁判は
きちんと配慮をしながら裁かれるべきだと語っています。
もちろん・・・
罪は罪として裁かれること
どんな人でも、人を殺した事実というのは消しがたい重罪であり
たとえ障害を持っていても、それを許すことはできません・・・
被害者や遺族のやりきれない思いや無念を思うと言葉にできません・・・
著者と私も同じ意見です。
では・・・どうしてそのような事件が起こったのか?
行政や福祉・・・家庭の事情など
色々と複雑なことが混ざり合った上の不運というか
そんな背景が読み取れます。
一気に読みましたが
犯人の家族の紹介部分・・・特に妹さんのことが
ほんとうに家族の犠牲になり、25歳という若さで亡くなるくだり
一番泣けてきました。
奇しくも私自身と妹さんを重ね合わせてしまいました・・・私も家族(親)の犠牲になった過去を持つので・・・
(まぁ~私は死ぬような病気ではなく軽いほうですけど・・・)
著者が「この本は被害者の女性と加害者の妹・・・2人の女性に捧げる」と言うのも分かります。
ほんとうに・・罪もない人の命を奪い
それはどうしても許すことは出来ません。
ただ・・・福祉や行政は出来ることがあったはずです。
犯人の家庭は極度の貧困に喘いでいました
母親が亡くなってから、犯人には心休まる場所がなかったのではないでしょうか?
色々とこの事件が起きないですんだ配慮は至る所であったはずなのに・・・
女性と仲良くしてもらいたくて、包丁をチラつかせ
言うことを聞いてもらうという行為(裁判では認めれれていない状況ですが)
人との距離感が分からない・・・それ以上に間違った接し方を覚えてしまっている点
以前・・・オモチャのピストルを見せた時、女の人が言うとおりになったことを学習して(覚えて)しまっているのです。
ちなみに・・・裁判上では
殺意を持って、女の人を自分の物にしようと近づいて殺したことになっています。
ただ友達になりたかった・・・という内容は裁判で一切棄却されています。
強引な取調べが採用され、また明確な誘導・調書も書かされたもの・・・
そのことも弁護士が指摘していますが
犯人は合理的に何一つ証明できない・・・たぶん年月をかけ
自分が発した言葉なのか?他人に誘導された言葉なのか?
知能は比較的高いとはいえ(高等養護学校卒です)
やはり頭の中で組み立てて説明するという能力にも障害があります。
そして・・・人の気持ちが読み取れないという障害も
司法で理解されず
反省の色なし・・・的に見られていきました。
一般的に自閉症の特性をご存知ない人ならば
ただ単に、この犯人はふざけていて(発言も二転三転しどこか他人ごとのよう)
卑劣な凶悪犯人・・・もしくは猟奇殺人などど思うでしょう
実際に当時の新聞各社はそのように騒ぎ立てていました。
でも、ただ・・・仲良くなろうと、間違った方法で近づいてはいれど
それは本人に全く悪気がなく
それに対し被害者の女性の当たり前の行動(防御や拒否・豹変)にパニックをおこしたのだとしたら
持っていた包丁で刺してしまう(パニック)という結果になったのだとしたら・・・
障害が全く無関係だとは思えません。
本人が罪の重さが分かっていないのだという点もあります。
それを分からすために弁護士たちは尽力するのですが
コミニケーションの取り辛さから、弁護も困難を極め
最終的には、裁判で無期懲役が確定しました。
おそらく・・・今の療育の流れは
この事件のことを最大限に省みるところから始まっていると思われます。
全国的に10年前ぐらいから
一昔前の、ただ受容するだけの療育
ただ楽しく遊びましょう~的な療育への限界を感じ
TEACCH (構造化)などで、自閉の特徴を理解し
社会的に許されないことはさせない!など
間違った認識のまま成長させない配慮(視覚支援他で)を周りが行うこと
社会と障害者が共存できるような療育の軸が主体で行われるようになったのだと思います。
とはいえ、まだまだ昔ながらの療育方法を行う施設がたくさんありますが・・・
私が、より良い療育・・・とは何か?と試行錯誤し
色んな臨床結果に基づいた著書を読み知り
心を振るわせたのが TEACCH (構造化)です。
この犯人にも触れられる機会があったのなら
少し、いや・・・このような痛ましい事件は起こっていなかったと思います。
また母親が亡くなったことにより
心の拠り所をなくし帰る場所をなくし、荒んでいきます。
母親とは人間の根本を司る存在なのだなぁ~と
いつものように、母という偉大な存在に自分がなっていることにプレッシャーを感じつつ
いろんなことを考えさせられるルポでした。
今までも自閉症の人が社会に適応できず軽犯罪を繰り返すことは多くあったのだと思います。
ただそれは、障害ゆえのタブー視?
誰も事実を把握できず報道もされず
起こったら即「隔離」的処置が取られてきた背景
また一部の人を、あたかも障害者全体として疎外する風潮
適切なかかわりを持てば、自閉症の人ほど実直でピュアな心を持った人はいないのに・・・
捻くれず心豊かに
社会と共存できるように・・・Agを育てなければと
また兜の緒を締めます(表現が変?笑)
事件後・・・余命いくばくもない妹の救済に乗り出した
福祉団体の長が言った言葉・・・
「車椅子で末期がんだから、いろいろと気を遣ってもらえたのかもな。いつも連れて歩く自閉症の連中には、誰も近寄ってこない。遠くから恐る恐る眺めているだけだ。車椅子の力なんだろうな」
犯人の妹の、最後の人生をやりたいことをして終わらせるという支援の中で
伊勢の高級リゾートホテルを予約した時に
一番安い部屋が、ホテル側の配慮で海眺めの良いコテージに厚意で変わっていた・・・という事実を
世の中捨てたもんじゃないな・・・という感想の後に語っていました。
私も軽度の障害者なので、それはすごく感じるし
Agも、今のところ
パッと見、障害があるようには見えないし
見る人が見ると、紛れもない自閉っ子なんだけど(笑)
周りの理解・・・これは難しいけれどすごく大事なこと。
私が5年前、障害者になった時にも感じてましたが
杖をついてないと、やっぱり分かってもらえない部分があります。
そして・・・忘れてしまうっていう部分も・・・
人ごみの中で、杖をついていても
全く人のことに無関心で、杖を蹴飛ばしていく人さえ居ましたから
謝りもせず・・・気付きもしないで通り過ぎる人に
この国のノーマライゼーションはあるのか?と疑問に思ったことがありました。
ないんだろうなと思いました・・・
当初はよく街中で「足どしたん?」と見ず知らずに年配の方に言われたり
当時は、ちょっとデリカシーがないなぁ~と思っていましたが
今思うと、それぐらい聞いてくれた方が説明しやすいかな?と思ったり
いちいち全ての人に説明する面倒さもあったり(笑)
でも主張しないと分からないでしょうから
私は、自分のこと
Agのこと・・・どんどん発信していきたいと思っています。
あっ、また話が反れてしまった
とにかく・・・この事件をきっかけに(それだけじゃないかもしれませんが)
福祉支援の観点から、早期療育の有効性や
大きく広く診断するスペクトラム(連続体)=広汎性発達障害
の流れになったのだと思います。
また・・・司法での透明性のある取調べや
障害を考慮した取調べをするように
警察・検察の態勢自体、見直すことが必要だと思いました。
親として・・・子供を犯罪者にしないよう育てる努力はします。
でも、もしかして巻き添えになってしまう冤罪とか起こっても
この子たちには、明快明瞭に証言することなど出来ないのですから・・・
そのことが一番不安です。
この犯罪が起きた時の犯人の年齢は30歳
Agが30歳になるころまで、私は生きることができるでしょうか?
私が死んだら、Agはどうなるのだろう??
兄弟も作ってあげられなかった今
頼るべきものに何があるでしょうか?
やはり福祉や社会の手助けは必要となるでしょう・・・
世の中が少しでも万人に優しい社会になりますように・・・
願わずにはいられません・・・
最後まで読んでくだすって、ありがとうございます。
こんな拙い文章・・・言葉が足らない部分もあるやもしれませんが
至らないところは、ただの老婆心ゆえお許しあれ・・・