楽謝 Mikiの覚え書き

サウンドヒーラー 楽謝 美紀です♪
世に出ている情報の中で、いいな!って 思った記事を書き留めています

心の平和

2009-05-31 | これ 知っとこ!!
溝口あゆかさんのブログより

ヒーリング・カウンセラー溝口あゆかイギリス便り


ガンガジ、バイロン・ケイティ、クリシュナムルティなどなど、真のマスターたちは、 「あなたが真の自分(神と自分は一体であると真に分かれば)になれば、どんなことが起きても心は平和ですよ」と説いています。

ですから、私にとってのスピリチュアルとは、悪いことが起きなくなる魔よけ(?)ではなく、「状況や状態に関係なく、心の平和をもたらしてくれる教え」です。ので、どうしても心が乱れるとき、私は、守護霊さまに「この状況で、私が心平和でいられる気づきをください」とお願いします。また、ショックを感じているさなかでは、「なぐさめてください」とシンプルに甘えるときもあります。(体に集中しているとエネルギーが感じられます。)

  May 27, 2009 のブログより


完璧さと不完全さの間

2009-05-29 | これ 知っとこ!!
『引き寄せの法則』公式ブログより

  
「完璧さ」と「不完全さ」の間

      (2009年5月28日のブログより)


二つの世界があります。

一つは、こんな世界です。

すべての出来事は完全完璧なタイミングで起こっています。
そしてすべては必然。偶然に起こっているのではありません。
わたしたちは宇宙の偉大なるシナリオを信頼しています。
簡単に言えば宇宙とつながっています。だからとても心安らか。
「すべてはうまくいく」とあらかじめわかっていますので、心患わせることはありません。
出来事に善し悪しはなく、「魂の学びの機会」があるだけです。
完璧な個人がお互い愛を持って結び付いています。
そして、完璧だけれども、さらなる完璧を求めて日々創造に余念がありません。
そのときのポイントは「楽しむ、喜ぶ」。
大きな視点からすべてが見えているので、あとはもう楽しむだけ。
こんな楽しい世界です。

一方、こんな世界もあります。
すべての出来事は偶然に起こっています。
なので、何が起こるか予想もつかないので、いつもビクビク恐れています。
他人は自分に敵対する存在で、いつなんどき自分に災いをふりかざすかと思うと気が
気ではありません。
自分は他人と比較してどこか「欠けた存在」であり、それもまた自分を落ち込ませます。
至らない自分を責めたりします。
その欠けた部分を補おうとして、高価なもの、ステイタス、誰も知らない情報を欲します。
しかし何を手に入れても、確信を持てないので、結局のところ自分に自信はありません。
毎日の争いのなかで自分が生き残れるか、不安です。
いつになっても安心することができません。
これから先が思いやられます・・・・

世界と人生に対する二つの見方です。
あなたはどう見ていますか?

よく、「自分が完璧な存在だと思えない」という質問がこのブログにも届きます。
これは世界観の違いなのです。
「自分を、世界をどう見るか」。
それによって、人生は楽しくも、苦しくもなるのです。

宇宙に完璧さを見いだそうとする人は、前者のような世界観を持つでしょう。
しかし、宇宙に欠けているところを見ようとする人は、後者のような世界観でしょう。

世界観ですから、どのような世界観を持ってもいいのです。
そのときのポイントは、「その世界観があなたの役に立つのか」「あなたを幸せにする
のか」ということです。

いかがでしょうか?

「自分が完璧な存在だと思えない」という方は、知らず知らずのうちに後者の世界観で
生きています。

またよくある質問で「自分に不足を見ないと、勉強したり、成長しようとしたりする
意欲がわかない」というのもあります。
しかし、これはまったく間違っています。
これは「引き寄せの法則」が指摘する「欠乏感から創造しない」を思い出せば明らか
です。
「自分に不足しているところがある」と思っていると、不足の波動なので、ますます
不足を経験してしまいます。
いつまでたっても「まだまだ」で、幸せになれません。
成長どころか、変わらない現実の前であえぐばかりです。

世界観は選択です。
あなたはどちらを選択しますか?
「選択できない」ということはないはずです。
あなたが選択しないだけです。

人生に完璧さを見て、自分の身の回りに起こる出来事を愛でながら、それから何かを学び
魂を成長させるか。
人生に欠乏を見て、出来事に圧倒され、不安に生きるか。
「本来の自己」を選ぶか。
エゴを選ぶか。
あなたの選択次第で、あなたが経験する出来事はまったく変わってきます。

にしきが思うに、人間は今の状態で完璧です。
なぜなら、宇宙の原理であるソースエネルギーはWell-Beingであり、
その最先端としてのわたしたちは同様に完全によきものだからです。
それが感覚としてわからないというのは、宇宙から切り離されているからです。
エゴとして生きているからです。

「完璧さ」も「上からの視線」と「下からの視線」で理解するといいです。

人間は「神」を分割する形で創造されました。
「神」は不完全な創造をするでしょうか?
しないですよね。
なので完璧なのです。

そして、このブログを読んで愛の波動になれば、あなたにシンクロが頻繁に起きます。
愛の波動で宇宙と同調するのですから当然ですよね。
そして「引き寄せの法則」を使ってあなたが創造すると、あなたの想像した以上の
素晴らしい経験をすることがもっぱらです。
「宇宙、そうきたか~」と、宇宙のお茶目さ、想像も付かない驚きのシナリオに鳥肌
が立つでしょう。
あなたは宇宙の完全なアレンジに頭が下がります。

こうした両面からの理解で、自分は「完璧な宇宙のなかの完璧な存在」であることが
わかるでしょう。
このとき、あなたと宇宙、あなたと「内なる存在」はつながっています。
完璧な自分に愛おしさが自然とこみ上げてくることでしょう。


「さようなら」について

2009-05-29 | これ 知っとこ!!
精神世界の鉄人さんのブログより


■ 太陽とともに生きてきた、日本人


「さようなら」は元々、いま使っているように、長い時間会っていて、分かれるときの言葉ではなく、日本人が、すれ違いざまに誰とでも、親しく挨拶を交わしていた時代の言葉でした。

「今日(こんにち)は。元気ですか。」
「ええ、とても元気です。」
「左様ならば、ごきげんよう。」

という、一連の挨拶文句の中の一部が、「さようなら」だったのでした。
今日とは、太陽のことです。 元気とは、元の気、これもまた、太陽から受けるエネルギーや恵みのことです。

「あなたがいま、お天と様の気と共にあるのでしたら、それは、心も穏やかで、良いことでしょう。」

元々、「こんにちは」も「さようなら」も、一連の挨拶だったんですね。あなたは、太陽と共にありますか?という確認の言葉でした。

なんて、心が晴れやかになり、気持ちの明るくなる挨拶でしょうか!

そして、それが、すべての日本人のごく日常の会話だったわけです。このことは、私も知らなかったように、普段使う言葉でも、その本来の意味を、戦後世代の私たちは、あまり知らないようです。

昔から、日本では、日の出と共に手を合わせ、太陽に感謝を捧げるという習慣が、ありました。これは、世界でも珍しいほうの習慣だそうです。

この挨拶からも分かるように、日本人は昔から、「自分たちは、太陽と共に生きているのだ」というのを、意識的にも無意識的にも、理解している人たちでした。

例えば、イギリス人の方に、「イギリス人とはなんだ」と聞くと、「ジェントルマンシップを、持っていることです」と答えます。

フランス人の方は、「ボンサンス(良識)を持ち、フランス文化や伝統に、深い理解を、持っていることです」と答えます。

ドイツ人の方は、「ジャーマンスピリットを、持っていることです」と答えます。ジャーマンスピリットとは、何ですか?と聞けば、「社会の善いことには、喜んで賛同し、悪いことは力を合わせ、改革していけることです」と答えます。

境野勝悟先生に、「日本人とは何ですか?と聞かれたときは、はっきりと答えてください」と次のように、教えていただきました。

「日本人とは、自分たちの命の原因が、太陽であることを知って、その太陽に、感謝して、太陽のように丸く、明るく、豊かに、元気に生きる。これが、日本人です」

こうした精神文化を残してくれた、日本の先人たちに、感謝をしています。ありがとうございます。