令和のエイリアン 公共電波に載せられないUFO・宇宙人ディスクロージャー
保江邦夫 著 より 抜粋
こちらの著書は 保江邦夫氏と高野誠鮮氏による対談形式になっています
こちらの著書にて 高野誠鮮氏が ディスクロージャーしながら さすが日蓮宗僧侶だなと思わせる 仏教のお話を入れてくるのが、心に刺さったので そちらを書きとめたいと思います。
*高野誠鮮氏について
石川県羽咋市役所勤務時代に限界集落を蘇らせ、『スーパー公務員』と言われた
宇宙博物館「コスモアイル羽咋」を建てたりしている
日蓮宗僧侶
高野氏:
実は 人間は自覚している以上に、ものすごい力があるはずなのです。
力がないように思わされて制限されているだけで、本来はとんでもない力があるのです。
実は心には、水爆や原爆以上の力がある・・・エネルギー、物質、心、この三つが等価なのです。
仏教ではそれを説いています。
E=mc²(エネルギーE=質量m×光速度cの2乗」という、質量とエネルギーの関係〈等価性〉を示す等式)という物質とエネルギーの関係については、アインシュタインがうまく説いてくれたのですが、仏教は最初から心について語っていて、エネルギー、物質、心の三つが等価だといっているのです。
これはつまり、心の使い方によっては、地球を壊すぐらいのことまでできるということなのですね。
それなのに、キャップストーンみたいなものをつけられて、封印されているような感じなのです。
保江氏:
キャップストーンが結びついたグリッドを繋いだ、バリアが張られているのですよね。
人間の想念には、宇宙を創るぐらいの力があるそうです。
アインシュタインが本当に書いたものではないという説もありますが、娘さんに宛てて書いた手紙の中に
まだ地球の物理学者が気づいていない第3の力の源が、この宇宙には残っていると記してある
それに気づかない間は、人間はまだまだ未開の種族のままだという趣旨のことが書いてあった
その力とは、確かに心のパワーだと。
高野氏:
仏教は最初からそれを説いていますから、やっぱりすごいなと思っているのですよ。
これは地上で人間によって作り出されたものではなく、最初から答えが、上から与えられているようなものなのですね。
例えば、阿毘達磨倶舎論(あびだるまくしゃろん)という説があり、それには、人間がなぜ生まれてくるのかということがはっきりと書かれているのです。
天界で、この人とこの人が両親になると決めて、人は世に出てくる
つまり、親が子どもを作ったように見えるのですが、子どもが親を選んで出てきているのです。
~~~~~~~~~~~~~~
肉体が死んで、魂はどこに行くかというと父親のところなんですね。
仏教、特に法華経では「我亦為世父(がやくいせぶ)」「其中衆生悉是吾子(ごちゅうしゅじょうしつぜごし)」といって、「私(久遠のお釈迦様)が、すべての衆生の父である」と。
クリスチャンも、『天にまします我らの父よ』というでしょう。
母とはいいませんよね。
目には見えないけれども、天にはお父さんがいるのです。
魂を付与してくれた大元とされているのは、キリスト教でいうと神様、仏教でいうと御本仏です。
久遠実成(くおんじつじょう)の本師釈迦牟尼仏(ほんししゃかむにぶつ)といいますが、久遠実成、つまり宇宙が誕生する前からいたお父さん、つまりそれは久遠のお釈迦様なのです。
日蓮宗では、インドでお生まれになったお釈迦様のことを拝んでいるわけではありません。
久遠の御本仏様を拝むのです。
では、お母さんとは何なのかというと、それは物質なのですね。
物質として象徴されるものはお母さんで、常に目に見えます。
「母なる大地」というでしょう。
人が亡くなったときには、滅んだ肉体は荼毘に付されて大地に帰っていきます。
この宇宙というのは母性、父性によってできているのです。
つまり陰陽です。
ですから、父親と母親の元に帰るのです。
生まれるときも父親と母親、亡くなるときも父親と母親です。
これを繰り返しているのですね。
~~~~~~~~~~~~~~
僧侶の視点はどういうものかというと、地球を手にひらに置くイメージでものを考えるのです。
うちは日蓮宗なのですが、日蓮聖人はすごいなと思ったのは、今から800年も前に、
「我閻浮提一(われえんぶだいいち)の法華経の行者なり」とすらっとお書きになっていることです。
閻浮提とは何かというと、五大陸のことなのです。
当時の西暦1200年頃、鎌倉時代に生まれた人が、地球儀も見ていなかったろうに、
「私は、五大陸で一番の法華経の行者です」とお書きになる、このスケール感は何だろうと。
もはや空海や親鸞以上で、簡単に彼らを超えてしまっています。
日蓮宗のスケール感というか、法華経一門の偉大さに驚きました。
~~~~~~~~~~~~~~
コスモアイル羽咋のロトンダ棟の丸いところに 水晶が埋まっている
聖人聖者が現れるところには、必ず水晶の鉱脈があります
日蓮聖人ゆかりの身延の山も 実は水晶だらけ
聖者や聖人が住まいにしていたり、生誕の場所というのは、水晶が採れるような場所ばかりです。
保江氏:
おそらく、旧帝国が地球を流刑地にし、受刑者が抜けていかないように張り巡らされているグリッドのバリアを無効にするには、水晶を壊さなくてはならないのでしょうね。
高野氏:
赤い龍は、キリスト教でいうと堕天使なのですね。
そして、赤と龍で象徴される国というのは中国しかありません。
それが暴れ出しているのです。
超能力を使った507部隊が、内モンゴルでいろんなことをしています。
その部隊にいたのが、ワン姉妹で、いろいろなことを明かしてくれました。
とくかに聖者や聖人といった聖なるものを世に出したくない、封じ込めておきたいと。
そういった能力者に一人でも出られたら、とんでもない影響がらうと彼らは知っているのです。
いろいろな霊能者や神道の方がいらしたり、そうした様々なことが偶然だとは思えないのです。
低俗なものから高位なものといったレベルの差もありますが
人との繋がりというものも、目には見えませんが実はピラミッドなのです。
時は近づいているはずです。
必要な人たちが集まってきているのです。
時間がないので、見えない世界からの協力も、ものすごい勢いで来ています。
いろんな人たちを組み合わせて何かをしようと、目に見えない世界の力が働いているはずなのです。
この肉体を持った世界に反映されるようにと、多少タイムラグはありますが、面白いことが起こってくるはずです。
~~~~~~~~~~~~~~
保江氏:
~エイリアンインタビューの中から~
退屈だから、他の存在(IS-BE)と交流していくつもの世界を楽しんでいる
量子モナド理論、唯物論物理学を、すでに宇宙人は突き止めていた
高野氏:
彼らも、非創造物なわけですよね。
誰かによって創られたい違いなのです。
その大元は何かというと、やはり、父性原理と母性原理、父親と母親なのです。
仏教でも、オントロジー(存在論)のような、九識論という非常に難しい世界もあるのです。
最初に生まれるのは何かというと心です。
それが展開していって、法華思想でいう九識(眼・耳・鼻・舌・身・意・末那 (まな) ・阿頼耶 (あらや) の八識に、菴摩羅 (あんまら) 識(無垢 (むく) 識)を加えたもの)
九識の霊断法、つまり、霊的に相手を判断するという「九識霊断法」というものもあります。
物質、エネルギー、そして心が融合されていって、宇宙が誕生した
その生命体が生まれる発祥の根源については、親が家族を作るようなものなのですね。
目に見えないものは父親で、物質、つまり形あるものが母親で、夫婦でもってこの宇宙を創ったということです。
父母が融合した瞬間に、光から始まって宇宙がどんどん発展していくわけですね。
そして、体が亡くなったときも、魂はそこに、つまり根源に帰っていく
それを繰り返している。
地球以外に由来する高度な知生体とは何かというと、僕らのお兄ちゃんお姉ちゃんなのです。
ちょっと先、数万年先に生まれた高度な兄弟だと思えばいいでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~
仏教思想には「即」という考え方しかなくて、決して分けないのです。
而二不二(ににふに)といって、対立して二元的に見えることも、絶対的な立場から見ると一つのものなのですよね。
不二思想であり、即思想なのです。
娑婆即寂光なのですよ。
この地獄みたいな世の中も、すなわち天国というのが仏教の教えなのです。
「この娑婆世界を仏国土にしていきましょう。仏国土はおとろえることは絶対にありません。敵はどこにもいませんよ」という思想なのです。
体で考えてみても、怪我をしたりすれば、痛みは全身に走っていきます。
全身を貫くような痛みが生じて、それを治すために、体全体、みんなで支えようとします。
これは実は地球の究極の思想なのです。
人体でも、右手と左手は絶対に喧嘩しませんし、怪我などの困ったことがあれば、すべての細胞が協力するのです。
地球は一つの体ととらえられますから、敵はどこにもいないはずです。
今、痛んでいるところはアフリカの一部であるかもしれないし、内戦が続いているどこかの国かもしれないですが、痛みは地球全土を走っているのです。
そうしたことについて、思想哲学における寸心を変えるだけで、まったく違う世の中になります。
楽しい、本当に平和な世の中、何も恨むことなく、人に嫌な思いをさせることなく、地球全体が繁栄していくような方向に向かえるはずなのです。
~~~~~~~~~~~~~~
EMAモーター開発の元になったのはエイリアンからの音声テープだった
回りだしたら止まらないというモーター
~~~~~~~~~~~~~~
EMAモーターから考えると、やはり雷のスパークには、我々がまだ知れ得ないエネルギーや、生命の源があるのですね。
神社にはしめ縄があり、幣束(へいはく)が下がっていますが、あれは雷を意味しているのですよ。
しめ縄は雲です。
日本では、神社やお寺に結界を張るときには必ず雲(しめ縄)と雷(幣束)が使われています。
これは神が天から降りてくるということを意味しているのです。
日蓮宗の寺院では幣束だらけで山門にはしめ縄があったり、天井には天符や内陣・外陣の周囲に縄と幣束があり法華経神道の幣束と呼ばれ、特異な発展をとげています。
縄は雲を意味し、幣束は雷を象徴し、天から諸天善神の依代として用いています。
天から雷が落ちる、諸天善神が降りてくるという示唆ですね。
~~~~~~~~~~~~~~
高野氏:
僕は、虚飾の時代なもう終わってもいいのではないかと思っています。
「本音で語ろうよ。効くものは効く、ダメなものはダメ」とはっきり認める時代に突入してもいい気がします。
ところが、食とエネルギーの利権を掌握している連中にとってみたら、自社と関連のないところでできたよく効く薬やフリーエネルギーなんていう代物は、許さざるものなのです。
~~~~~~~~~~~~~~
日蓮聖人の御遺文を見ていても、やたら宇宙船が出てきます。
「江の島より月の如き鞠のような光物いでたる」と書いてあるのです。
北条執権に逆らって 処刑場へ運ばれた時 宇宙人の航空部隊に助けられているのです。
~~~~~~~~~~~~~~
民族学者の折口信夫先生は、「虚舟の転移」などといっています。
虚舟とは、神々が場所、時間を選びながら乗るという乗り物であり、神々は虚舟に乗って異界からこの地球にやってくると書かれているのです。
神道の道からいうと、虚舟はやはり神々の乗り物であり、突然にパッと現れでる船です。
アイヌにも、宇宙から来る「シンタ」という船があり、自分たちの先祖はそれに乗って空から降りてきたという伝承、伝説があるのです。
折口先生のお墓が羽咋にあるのです。
折口先生が生前にお書きになった走り書きに、羽咋はまれびとの里だと書いてあるのです。
宇宙人の里
コスモアイル羽咋というのは、宇宙の出島という意味なのですが、僕はあるときに、宇宙の出島を造らないといけないと思いたったのですね。それが、宇宙科学博物館を造るきっかけになりました。
羽咋は龍の頭
龍の尻尾は愛知県の知多半島
考えてみたら仏教者は、いつも最初に勧請(神仏の来臨を願うこと)をするのです。
謹み敬って勧請し奉るといって、諸天善神の来臨を願うわけです。
この中で「南無文殊、普賢、弥勒、薬王、薬上、勇施、妙音、観世音等、迹化他方来の大権の薩陲」と唱えていますが、この「迹化他方来(しゃっけたほうらい)」というのは、他の惑星から来たという意味です。
仏教学者で高名な久保田正文先生は、「君ね。これは地球ではない、他の惑星から来た高度な宇宙人のことだよ」とおっしゃっていました。
この菩薩様たちは、地球外の他の惑星から来られた菩薩様であるのだと。
よりわかりやすくいうと、日蓮宗は他から来られた菩薩様を勧請していたということですよ。
~~~~~~~~~~~~~~
仏教、特に日蓮宗では大黒様が曼荼羅の中に書かれています。
大黒天は、もともと第六天の魔王であり、クリスチャンからいわせたらサタンなのです。
ですから、クリスチャンの方には、
「仏教徒は、どうしてサタンを祀っているのですか?」と聞かれたりします。
僕は、「第六天の魔王が、『僕が悪かったです、ごめんなさい。これからは法華経の行者を守っていきます』と改心したのが、大黒天なのですよ」と答えています。
そして、「この曼荼羅を見てみて。どこにも敵はいないでしょう。これが宇宙の全体像なのですよ」と。
全部味方、サタンでさえ味方なのです。
法華経が説いている世界観
宇宙のどこにも敵はいませんという、これが理想なのです。
僕は、この地球、そして宇宙全体が一つになる法、摂理という、同一の方向に動いているということを、ひしひしと感じるのです。
そう考えたときに、日本が果たす役目には、ものすごいものがあるのではないかと思っています。
日本は日の本ですが、月氏と書いてインドですよね。
月と日です。
予言では、仏教は東の端で花咲くといわれています。
日本は極東アジアですから、これ以上の端はない
ここは、日出ずる国なのです。
インドから出発して、日本で花開いているのですね。
日本という国に生まれ、日本人はすごい宿命や使命を背負っているような気がしてならないのです。
日蓮宗では、「南妙法蓮華経」、要するに、「法に帰依します」。
他の宗派が唱える「南無阿弥陀仏」では、阿弥陀仏様に帰依するでしょう。
阿弥陀仏様は遠すぎて、来世に救いを求め、今の娑婆世界を変革する思想哲学ではないように思われます。
一方、宇宙全体に普遍的に「法(ダルマ)」が存在し、その妙法に力があり、妙法に帰依するというのが、日蓮宗や法華一門の考え方ですね。
日蓮聖人が悟られたのは、大切なのは人の力ではなく、法の力だということなのです。
勘違いして偉そうにしているお坊さんは山ほどいますが、偉いのは法です。
法がすごいのです。
ダルマ(法)が偉いのです。
人間はそれを使わせてもらっているだけなのです。