『私のきた道、ゆく道~京都市会永年議員として40年をふりかえる~』
会 員 高橋 泰一朗 君
昭和50年に先輩の市会議員2人がお亡くなりになり、その後継者として、10期40年にわたり市議会で働かせていただく事ができたことは皆様のおかげです。あっという間の40年間を振り返り、市会議員として2つの大きな地下利用という仕事に貢献することできました。1つは、地下鉄の整備です。当時、竹田街道で市電とダンプカーの正面衝突事故をきっかけに、大きな交通事故を解消するためでもありました。2つめは、伏見区内の下水道完備です。戦前より、下水処理場を横大路にもちながら、下水道が伏見区内に整備されてないことに怒りを覚え、莫大な予算を投入し、下水道整備に力を注ぎました。そして現在では伏見区内下水道100%完備となっており、又、京都市内でも人口№1の行政区となりました。昨年、永年議員の称号をいただく事ができ、今後も引き続き、世界が注目する京都、酒どころ伏見において、世のため人のために役立てるように頑張っていきたいと思っております。また、ロータリアンになった事に誇りを持ち、人の喜びを自分の喜びとして捉え、今後も日々精進し、奉仕活動を行っていきたいと決意を新たにいたしております。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月1日週報
~只今、作成中~
会 員 高橋 泰一朗 君
昭和50年に先輩の市会議員2人がお亡くなりになり、その後継者として、10期40年にわたり市議会で働かせていただく事ができたことは皆様のおかげです。あっという間の40年間を振り返り、市会議員として2つの大きな地下利用という仕事に貢献することできました。1つは、地下鉄の整備です。当時、竹田街道で市電とダンプカーの正面衝突事故をきっかけに、大きな交通事故を解消するためでもありました。2つめは、伏見区内の下水道完備です。戦前より、下水処理場を横大路にもちながら、下水道が伏見区内に整備されてないことに怒りを覚え、莫大な予算を投入し、下水道整備に力を注ぎました。そして現在では伏見区内下水道100%完備となっており、又、京都市内でも人口№1の行政区となりました。昨年、永年議員の称号をいただく事ができ、今後も引き続き、世界が注目する京都、酒どころ伏見において、世のため人のために役立てるように頑張っていきたいと思っております。また、ロータリアンになった事に誇りを持ち、人の喜びを自分の喜びとして捉え、今後も日々精進し、奉仕活動を行っていきたいと決意を新たにいたしております。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3月1日週報
~只今、作成中~