上のコラージュはイラク建国の立役者たちです。
『砂漠の女王 イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯 』
この本を読んだとき、
イラクに関して、今までの自分の理解の漠然度!に驚きました。
もともと、ヴェドインなどの砂漠の部族として、放浪と点在の民の土地であり、彼らは国家という概念を持ったことが無かったんですね。(二度の湾岸戦争後の現在も、国としての秩序を見いだせない理由(わけ)が分かる気がします。)
それを、現在地図で見るようなアラビア半島、
そして、部族というものから国という枠組みの民となったのは1921年のイラク建国の時でした。
今のイラクは、この時代にイギリスを筆頭の列強の思惑が絡んで...このように出来ていたんですねえ。
そして、机上でアラビア半島の国々の国境の直線ラインを引いたのが、大英帝国の情報部員だった、このガートルード.ベルでした。
随分以前に、ロレンスに関する本を読みんでみたことがありましたが、このような、ひときわ大きな存在として活躍した女性がいたことは、まったく知りませんでした。
イギリスの鋼鉄王の娘として生まれ、その頃まだ、高学歴の女子は敬遠される時代に、オクスフォード大学を優秀な成績で卒業、社交界デヴュウはしても、恋愛は悲恋に終わり、結婚には至らず、登山や、考古学、アラビア語などに傾倒し、時の大英帝国の権威をバックに
中東への旅に....つまり、ハマったんですね。
父親の冒険心と気性を受け継いでいて、言うなればファザコンでしょうか。日々のほとんどの出来事を父親に逐一、手紙で書き綴っています。
その他、継母、その他.政府の高官など..
手紙が多いので、この彼女の伝記が、この土地の、時系列的な状況の流れを伝え、彼女の波乱の人生を伝え、伝記として充実してるんですね。
ベルとロレンス、イラク建国の舞台裏で、それぞれ重要な働きをしています。
ロレンスとベルの最初の遺跡での接触...、
ロレンスは、彼女に比べると、小僧っ子という年齢差でした。
ロレンスが幾分エキセントリックでちょっとユニークなファッションしてたんじゃないの?って感じられるくだりがあります。うんうん、わかるわかるって感じ。
ロレンスの「知恵の七柱」を読むと、感情や価値観の襞など、彼の全体像、個性が見えてきます。
二人とも、中東の考古学から、砂漠に導き入れられたんですね。
奇しくも二人は、砂漠に魅せられ、砂漠の民に共感し、働き方は違いましたが...
共にイギリスの情報部員として、ベルは部族の有力者達と対等に付き合って、人望を得つつ、見解にそって根回しし、ロレンスは、ご存知「アラビアのロレンス」映画でもおなじみで、トルコ軍の鉄道爆破など、ファイサルと同行したり、ゲリラ的な作戦にも従事ています。
ふたりとも、ファイサルをイラクの国王にすべき、そして彼らの国を彼らが治めるように願うのですが、イギリス政府は結局、裏切るんですね。
いやはや、どの本を読んでも..、
その頃の大英帝国というのは...傲慢というか..つまり、
後の時代に自国に於いても批判に晒されるところの、まさに帝国主義!なんです。
この時代、国民がいかにイギリス国民であることに誇りと奢りを持っていただろうか....そして、狭い国土を地球中に大きく広げ、統治したエジプトやインドへと、そして日本まで優雅な周遊の船旅に繰り出しただろうかと..。
たとえ、私の好きなキプリングであれ、この二人の心の中にも、そんな心情をかいま見ることができます。
しかし、その時代背景のまっただ中にいる場合、人々の心ってそういうものですよねぇ..。
イラク建国へ向けて、彼らのいのちの輝きはピークだったんですね。
その後ふたりの運命は次第にフェードアウトしていきます。
そうしてベルは、睡眠薬過剰摂取で、ロレンスはオートバイ事故で命を落としています。
翻訳の文章は、ひっかかりぎみで、お気に入りではありませんが、政治的な逐一の成り行きや,交錯する,行き届いた情報の、時にそった流れが、彼女の人生と、イラク建国へと向かう波乱の歴史とが,充実していて興味深く、どんどん,先を急がされました。
砂漠の族の精神性や気性も、今、私たちが,ニュースで見たりする..それゆえの、問題なのかと、つながって、なるほど、なるほどと、心に頭脳に,しっかりと刻まれ、読んで良かったと思える一冊です。
『砂漠の女王 イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯 』
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T.E.ロレンス (1888-1935)