Marcel Proust(1971−1922)
失われた時を求めて
À la recherche du temps perdu
さて、いよいよ『失われた時を求めて』プルーストです。
この本は、ファッションデザイナーになって、社会人一年生の頃..
20代のマイブームのひとつです。
この本は、若い時に読むにかぎります。この作者の文章に、この長編を通して付き合えるのは、若さ故の悩みは尽きないにしても、未だ人生に繁雑な要素が伴わない20代じゃないかと思います。(とは言っても、見識も体験も,理解度も充分な熟年になってからの方が、芳醇な文脈も、浮かび上がる構想、からまる構造も、より深く愉しみ味わえるのも確かですが.)
この作品が出版されて以来のもっぱらの定評は、画期的、偉大かつ難解、かつ長い(小説も長いけど、文章も長い、おまけに改行がほとんど無い!)これを読み通した人は、そのことを名刺に書いてもよいくらいだと言われたりしているらしい?
が、この作者の心境をぐじゃぐじゃとなぞる語り口は、 20代そこそこの私には、自働書記的に書き綴る自分の日記と書き方が似てるじゃない?って、そのぐちゃぐちゃ想うことに共感し、読み始めたんですね。もちろん質のほどは天と地以上の隔たりではありますが。
プルーストは『失われた時を求めて』で、現実や回想、夢想を交えて一瞬一瞬の情念思考の流れなど、メタファを織り込んだあらゆるシーンの描写を、物の書き手として、莫大なエネルギーをかけて挑戦している...どこまで迫れるか、命をかけたこれらの叙述が、結果的に壮大な構想となって、このシンフォニックな、またはトッカータとフーガのような、ゴシック建築の乱立のような....読後そのように感嘆させられてしまう...んですが..、その時代!ベルエポックの創り手たちとあの時代の息吹を描ききったんですね。
貴族やブルジョアジー、芸術家のさんざめくサロン、社交界が主軸の舞台となっていて、その中での個性的な人物(実在の人物をモデルにしている)たちの関係性の綾が展開されていく...のです。
登場人物たちの耽美的であったり、デカダンな嗜好的な面では、もちろん恋愛感情の機微起伏.....レスビアンあり,男色あり、それらはストレイトな関係性とも交錯して、登場人物の社交界の華やかな表の顔とうらはらに、その嗜好ゆえの哀れさも漂って...これまた交響楽的模様なのであります。
そうそう、スノッブ、スノビッシュという言葉、概念も、この時、私の気負った若さに取り込まれましたっけ。
サロン文化の華やかさに憧れ、自ら、そこに仲間入りするべくパスポートを得つつも、プルーストは、自分をも含め?そこにスノビッシュという浅薄な精神性を見据えています。
主要な登場人物に、それぞれ実在の人物がモデルになって投影されているのも興味深いです。
歴史背景をひもどき、彼らの存在をのぞき見ると、ベルエポックな日々を彷彿とさせてくれますね。
特に存在感を放ち、印象的な、またこの本のテーマを象徴しているかのような人物がシャルリュス男爵。昔読んだシリーズの中で唯一掲載されていたシャルリュス男爵のモデルになったモンテスキュー伯の肖像画は脳裏に刻まれています。
下は一番有名な主人公スワン、そしてその妻となる高級娼婦だったオデットのモデルとなった二人。
語り手の『私』の初恋はスワンとオデットの娘ジルベルト。
いずれ(それまでに紆余曲折ありますし、その後も....。なにせ同性愛者同士だったりですから)そのジルベルトと結婚するゲルマント家のプリンス サン.ルーのモデルは?
さすがにハンサムぞろいです!
なんと言っても、
私が影響を受け、感謝している要素の最たることは、その時代、ベルエポックを担った人々や事件など、その後も時代に影響を与えた、名だたるクリエイターたちを含む文化人たちが、リアルにリアルタイムで登場することでした。
たとえば、
パリを夢中にさせた「ロシアバレェ団」バレェリュス(Ballets Russes)の公演(1909年パリで旗揚げ)、その興行主のセルゲイ.デアギレフ、驚異的跳躍力の前衛的踊り手ニジンスキーなどは、この本で始めてその存在を知ったのでした。
その舞台の緞帳をデザインしたのがピカソであり、音楽はストラビンスキーであり、サテイであり、舞台美術は衣装を含めて、レオン.バクスト、その他綺羅星の如く...
左<レオンバクストが描いたニジンスキー、牧神の午後のプログラム>
右はジャン.コクトーとデアギレフ
この「ロシアバレェ」という、ひとつの括りだけでも、その後、彼らの伝記や、その周辺にまつわる本やヴィジュアルな情報とかを読みかつ漁ることになりました。
その他にも、彼が傾倒した画家たち、フェルメール、ルノアール,モロー、グレコ等、プルーストはそうとう思い入れがあったなあって記憶があります。読者であるまだ幼い私は、ふむふむそうなんだ...と聞き入って、彼のパッションに追随して、その後のいつかの日々に、プルーストが熱っぽく語っていた人々や作品に、自分なりに触れることになるんですよね。
20代という未熟な時代ながら、『失われた時を求めて』にちりばめられた、これらのエポックな時代の圧倒的な分量の印象...感動、興奮を、まだ、世界に対して体験も少なく、文化的土壌もいまだ未熟ゆえに、より憧れを持って受けとめられるんでしょうね。
迷路のように曲がり、うねった膨大なデティールの描写から、実は、 読み終えたとたん、いくつもの尖塔を持ったゴシックの大伽藍が,そこに、すっくと建ち現れてたのです.
私にはその瞬間、そこにははっきり音楽が聞こえているようでした。
大伽藍の崇高な高低差のあるの尖塔から小節ごとにわき起こる、トッカータとフーガ....のような..。それは歓喜に似た驚嘆でした。
今、思うと、その大伽藍のイメージとは、プルーストが、この本の中でことさらに、
感嘆をもってページを割いていた「シャルトルの大聖堂」..この印象が私の無意識に転化して浮かんだんでしょうか?
そう..まさにこんなイメージでした。
<シャルトル大聖堂>
(今どきは、このシャルトルの大聖堂もユーチューブで観ることができますが、外も中も彫像もアーチも凄いです!とりわけ、ステンドグラスは有名でシャルトルブルーと呼ばれています。)
この本から得たさまざまな情報、印象、感動が、私の文化的精神的土壌を耕し、たくさんの種を蒔いてくれて、その後にそこから枝葉を伸ばす歓びを促してくれたのです。
人生を豊かにしてくれたプルーストの『失われた時を求めて』
命をかけたかぐわしい文学と、特筆すべき人々、芸術、建築など音楽等、
さまざまな方面への興味と理解の土台を作ってくれ、
好奇心と楽しみのヴァージョンを増やてくれた、
『失われた時を求めて』に感謝して...
プルーストへのオマージュ
つづく
http://ja.wikipedia.org/wiki/失われた時を求めて
http://ja.wikipedia.org/wiki/マルセル・プルースト
このサイトはイタリー語ですが沢山の写真その他お宝資料がそろってます。http://www.marcelproust.it/proust/indice.htm
その中のプルーストの写真館のページをだしておきましょう。ページの下の方のボタンをクリックして行くと見れます。
http://www.marcelproust.it/gallery/immag_1.htm
シリーズ:ちくま文庫
失われた時を求めて 全10冊セット
マルセル・プルースト 著 , 井上 究一郎 翻訳