管は管でしかない訳で、何を問い,何を攻めたとしても、変わる事は当然ながらありえないですね。
彼はこの一連の対応には、まったき自信をもって、出来る事はすべて、一生懸命やってきたし、やっていると。
一生懸命であれば、それでいいという事は一切弁明にならない。小学生じゃあるまいし、一国の首相が、一生懸命やったんだから..と、それで褒められたり、許されるはずもない。
まして,一生懸命やってすべてが後手まわりの対策という連続パターンということに、残念ながら本人が気づかない。まさに御本人だけが自分を評価しているのだ。これ自体が能力の無さを証明している。才能とは自己に満足できないもの、常に自分を超えようとするものだ。才能とは自らも他に対しても求めるクオリテイが高いがゆえに、質の高いパフォーマンスがある。
その無能さ、愚鈍さ、言い訳に終始する意固地さ、潜む姑息さ、いつのまにか、ここまで無闇に首相としての衣を笠に,図々しく生意気になっている..菅直人という存在。
被災者の方々はもちろん、国民の大方が苛つき憤りを感じているという事にも気づかないのか,響かないのか。どれほどの管災害をもたらしたか,いつまでもたらすのか。
彼は,歴史が答えを出すだろう..きっとその時、管は正しかったと評価されるはずだと、自分だけの未来のシナリオを信頼しているらしい。
その手前勝手なシナリオが彼の,無神経と空元気をキープさせているんだろう。
一応の終息の後、今回の震災,原発事故をしっかりと検証しなければならないと彼は言っているが、多分、いの一番に検証の対象となるのは、当の本人だろう。これも本人、まるで人ごととして言明しているのが、なんとも滑稽である。
この震災、原発事故への、特に当初の非適切な判断、選択の流れに対するリーダーシップとしての責任は、一昔前なら戦犯に値するだろうと言ってよいくらいだ。
大なり小なり責任者的地位であるとき、自分だけでは済まない。自分の判断、選択が、それにそって結果という現象を生むからだ。
こんなことは、わざわざ言う事ですらないのだが、この総理は、そこが分かってないらしいのだ。つまり,資質という原因が現象であるを結果を創るということを。
状況の展開というのはクリエイションなのだ。現時点の状況察知をし、そこをイメージ出来なければ、よりよい展開を創れない。既知の定石や、思考の限界を超えなければヴィジョンも生まれない。イメージ力の欠落が菅直人のこの仕事に於いては欠陥。責任の少ない、または定石で動いて行くお役所仕事なら、それでも通用するだろうが。
国会でいくら攻めて、認めさせようとしても..彼の自我の未熟さなのか,欠落なのか,単に自己防衛の強い性格のせいなのか..その自我の形態上、聞いたり,見たりしても、そのイメージや感情が彼の脳では如実に描けないように見受けられる。
被災地や被災者、動物達の思いを共鳴したり描いたり出来ないんだろう。かなり感受性が貧弱なんだろう。
余談ですが、実はこの懸念は総理になった時、彼はカラオケでひょっころひょうたん島を歌うというインフォメーションを聞いた時に、感じたことです。いかにも無邪気な隠れみの。それは文化的資質、つまり感性の貧弱さを姑息に隠している選択だなあと。ひょっこりひょうたん島が決して悪い訳じゃありません。しかし大の大人があえてそれを出すのは、それが、微妙に欺瞞の複合した精神構造を伺わせるものを感じた。
かと言って、このこと自体は善でもなく悪でもない。
しかし重責のリーダーとなれば、話は別である。まして一国のリーダーとなれば、この資質的要素は害悪となる。何故なら、ことごとく対応が不調和となるからだ。イメージ力が無いから、起こった事にのみ、おっつけ反応する。おまけにイメージ力が無いから、この後手の対応も的を外したりするし、端的だったりする。人々の無意識的な調和感、テンポや手当のいたらなさ、発想等、ことごとく裏切る。それは対極にある孫さんがいい見本だ。彼の流れは誰が見ていても、完璧だ。そう行くべきだろう道を先頭になって素早く辿っていく。彼ほどの人はそうはいないだろうから、そこまでは期待しないが、少なくとも、菅直人、まともであって欲しかった。
国会中継で、先ほど被災地域の地元議員から悲痛な訴えが管内閣へ。被災者の厳しい苦難の具体性を聞かされても、他の何人かの大臣達は、心から聞き入り、対応しなければという表情だったり、答弁だったりするが,管首相の表情は、この誰が聞いても悲痛で苦しい訴えを,彼は聞き入る事からほど遠く、ひたすらの自己バァリアの仏ちょう面に終止してるのだ。これはもう人として不自然ですらある。
そして、答弁の内容ときたら..自己弁護と、いつものように、これから.これから、しっかり..。やっている..と言うばかり。
つまり、彼である以上,全体のこれからの時間的質的対応は変わらないのだ。
何が起きているのか..察し能力が無いのか、それともイメージする普通並の共感能力が欠落しているのか..
によって
本当にこの管首相問題は、当初から露見していて、私はずっと心配と焦燥を感じて来たのだ。
それでも,今なお、この管災は続いている。
管総理は知らなかったとか,想定外とか、その中で一生懸命やってきた..で自己評価している。
我々は、その結果に不満を抱き問題視しているし、この能力の無さ、性格の貧相さに憤りを感じているのだ。そして、総理としての資質に懸念を持ち続けているのだ。
全責任を持って、物事を創って行くというリーダーとしての役割と権限への正しいイメージと認識が無い管首相に、今日も各議員の言葉が激しく投げかけられるが、管首相には、効果は期待出来ない。
本日の中継の最後にみんなの党の江田幹事長の質疑応答。
これは増税に対する絶対反対の意見と、その代替え案の提案。
激しい詰めよりと指摘、やっと管の目が開いてきた...?。抗弁するも,それこそが官僚の言いなりと、江田は叱責し、かつ思考を止めないで聞くようにとたたみかけて政府に代替え案の正当性を提示、う~ん、やっと何かが分かったかもしれない..が?管直人、つまり彼の自我のエッジに触れたのだ。これはちょっとセラピー効果と言える瞬間でした。
本日の江田さん、本日天晴れ!
これを聞いて、さて、お利口に待っていた犬の散歩に~
20:03 from So-netブログ
Twitterまとめ投稿 2011/04/28 | http://ramni.blog.so-net.ne.jp/2011-04-28
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