感動しました。
この愛と怒りの告発、是非、ごらんになって下さい。
ただ、政府にまともな処理能力があるのでしょうか?
結局、問題の原因は、まずは、そこにあると思いますね。
まともな、政府なら、このような良識と知識と行動力を備えた、プロフェショナルを
軸に、放射線であれ、さまざまな危機対応を進めるはずですよね。
原発事故の初動からの政府の対応には、あの当時から、どんなにか怒りを感じたか..。
結果として、このような状況が出現しているのだ。
枝野さんから発せられる放射線の数値の報告と、
いつまでという終息のメドもないのに、毎日、直ちに健康には問題無いと。
nhkも、驚いた事に、ゆゆしき事態と感じるべき時に、
平然と、お呼びの学者も交えて、ただ、政府の言葉をうのみで、
まるで、平穏ムードで報道していたよね。
他のメデアはいわずもがな..東電や原子村に汚染されていて、
原発安全のプロバガンダまで..報道的に.サブリミナルチックな様相があった。
...実に呆れ、憤慨させられた。
特に管総理をはじめとして、政府の対応の後手後手無能さ...
それは、個々様々な現実面をとりあげても犯罪に等しい。
政府の面々が国の危機管理に重責を自認し、プロセスや結果に対して、己を客観視出来るのなら、当初から今に至る後手策失策に、自らの自責の念に.全員辞職でもおかしくない。
そのような責任感も客観性も無く、それどころか、この政府、この党は、実は、国を司るという.ガイダンスも持ち合わせていないんではないだろうか?
私は一生懸命やってきました、というのは国会での管総理の弁解の口癖だが、大人の世界、社会に於いて、特にシビアな状況に於いて、無策や失策で不利益な結果が出た場合、一生懸命やったという言い訳は、はなから無い。何であれ、いっぱしの仕事人なら、通用しないことは誰でも知っている。
それが通用するのは、未だ幼い者への今後の成長に期待を前提とする,大人側の許しの心情でしかない。ましてや、国の最高責任者が、結果に不都合があるという追究に対して、一生懸命やったと弁明する事で、許される口実になり得ると思っているなら、自ら無能を証明してることになるではないか。
少し前から、管総理への批判は、世間では、表向き控えめになっている。
エネルギー転換発言で、その事だけに、少なくとも働いてもらえるかな..という反原発派の後押し、期待もある。
それに、与党の主立った議員の面々にも、少なからず危惧を感じてしまうのだ。
悲しい事に、いずれも支持しきれない複雑な思いがある。
しかし、管さんは、この唯一の切り札でも、またもや..
個人的な考えを、言葉にしました...と、ぐずぐず..となり、
忍の一字を手のひらに書いてこの日の国会に臨んだ海江田さんに、
あらためて面前で、その言葉は羽毛より軽いなどと言われ....
しかし、本来、総理大臣の言葉は重いはず。
つまり、社会的に総理大臣であって、個人じゃないのだ。
こんな時こそ、憮然としていいのに、その認識も無いのかな?
それこそ、総理大臣殿、正々堂々と言い貫いても、まったく 問題無いのにね。
この国の政治家は、こんな惨事を目の前にしながら、なおも、なんとも..あやしげなのだ。
国民の70%が原発に危惧し、世界はエネルギー転換を、より現実的だと見ているというのに。
与野党の大方の議員が、エネルギー政策へ思惑をあえて明確にしない...
それは、国民の不信感、管さんが問題なのは解っているが、降ろしてもなあ..感をもたらしている。だって、その先、どんな方向に持って行かれるか皆目わからなんだから。
その辺りも、少なくとも与党である民主党はポスト管候補者らしき人材と(今は、おおっぴらにはできないしね)党としての考え、方向性を、この段階で、”そこはかとなく”知らしめる必要があると思うけどね。....結局、人心の思惑を察する力が無いのかなあ。それが民主党の精神性の特徴かも?