シナのサンゴ密漁船団が、日本近海へ、大量に押し寄せています。この、光景は、やがてシナが計画している尖閣諸島へのシナ漁船襲来の模擬演習のように、見えてしかたありません。こういう光景は、かつて見た光景ではないでしょうか?時は、鎌倉時代に、さかのぼりますが、そうです、二度に渡る「元寇」です。
小学校の4年ころだった。
たまたま、担任が病気で休んだのか、臨時の若い男性教員が、一日、教えにきた。その、教員は、「日本は、元寇という災難を受けたことがある」「対馬、壱岐、そこで、日本人が、手のひらに穴を開けられ、紐で船に吊るされて、日本へ攻め込んできた」。びっくり、仰天の話で、衝撃を受けた。それが、いまだに、記憶に残っている。
ちょうど、長谷川一夫の主演で、大映映画の制作(1958年)で「日蓮と蒙古大襲来」という、映画が上映された。昭和35年ころのことだ。蒙古襲来のシーンは、鳥取大砂丘で撮影され、鳥取でいろんなシーンが撮影された。その縁で、鳥取市の小学校では、全員が、映画鑑賞に、参加した。
そうした情況を、踏まえての、その先生の臨時授業だったのだろう。
中国ってのは、ひどい国だ、と、子供心に、その授業を刻みつけられた。子供であっても、ホントのことを、教えていくことが、大事だと、いま、あらためて、思う。一度聞いたことは、一度、子供の心に、刻み込まれると、生涯忘れないものだ。
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「元寇の歌」
https://www.youtube.com/watch?v=C36pDA8u-EE
日本の学校教育では、この、「元寇」を「元すなわちモンゴル軍だけでなく、高麗すなわち朝鮮人との連合軍による日本侵略だった」ということを、しっかりと、教えてほしいですね。蒙古をそそのかして、日本を攻めましょうと、言ったのは、ほんとに、「高麗王」だったんですよ。蒙古は、騎馬民族、陸地の民で、船なんかつくれない、海軍もいない。しぶる蒙古へ、「船も作ります、操船もまかせてください。いっしょに、日本を攻めましょう」。これが、高麗王の策謀ですよ。忘れては、いけません。蒙古襲来ではなく、蒙古と高麗の襲来です。第二回めは、宋の残兵、高麗軍の10万人が、船て日本へせめてきたんですよ。農民、牛馬、種、みな、乗っていました。そのまま日本を支配、し植民する計画だったんですよ。まさに、国難であり、日蓮の予言した「他国侵逼難」そのものでした。いま、日蓮系と自称する創価学会を支持母体としている公明党が、シナの傀儡政党化して、シナの日本侵略を内通、手引している国賊ぶりは、断じて許すことはできない。必ずや、創価学会と公明党には、日蓮の怒りに触れた天罰が下ると確信しています。
以下、Wikipediaの元寇に関する高麗人の関与、に関する記述です。
■高麗人の関与[編集]
上記「日本招諭の発端」の節にもあるように、 1265年(文永2年・至元2年)、高麗人である趙彝(ちょうい)がクビライに「日本は高麗の隣国であり、典章(制度や法律)・政治に賛美するに足るものがあります。また、漢・唐の時代以来、或いは使いを派遣して中国と通じてきました」[53]とし、日本との通交をクビライへ進言している[52]。このことがクビライが日本に興味を持つ契機となった。
1272年(文永9年・至元9年)には、高麗国王・元宗の子の王世子・(しん、後の忠烈王)が、大元朝のクビライに「日本は、いまだ陛下の聖なる感化を受けておりません。ゆえに命令を発して我が軍の装備や糧食を整えさせました。今こそ戦艦兵糧を使うべきです。わずかではありますが、臣たる私めにお任せくだされば、つとめて心力を尽くし、帝の軍をいささかでもお助けできますことを切願しております」[417]と具申した記録が『高麗史』に残っている。
また『元史』によると高麗国王・忠烈王は弘安の役後、「高麗国王、請自造船一百五十艘、助征日本。」と150艘の軍船を自ら作り、日本遠征を援助したいとクビライに上奏している[325]。
高麗はモンゴル帝国の侵攻を受ける以前は武臣が王を傀儡化して政権を執っており、元宗、忠烈王以降の高麗国王はモンゴル帝国の兵力を借りることによって王権を奪い返したため、それ以後、高麗王はほとんどモンゴル帝国に頼り、モンゴル名を貰い、モンゴル帝国皇帝の娘を王妃にし皇帝であるクビライ王家の娘婿(キュレゲン、グレゲン)となる姻族、「駙馬高麗国王家」となっていた[418]。このようなモンゴル帝国に頼らざるを得ない状況の忠烈王が、自身の王権を保つためにクビライの意を迎えようと、これらの発言を行ったとする見解がある。
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上の、Wikipediaの史実を踏まえた記述を読めば、モンゴルをそそのかして日本遠征の計画をもちかけたのは、高麗王だということが、明白です。
やはり、シナ人・朝鮮人は、昔から、日本の患いの元です。
さて、元寇について、書いてきましたが、いま、思えば名も知らぬ、あの、若い男性教師に、感謝しています。
支那という国への、若いころの盲目的な傾倒を、どこかで、「躓きの石」として、防いでくれたのは、あの、一日の授業だった。
わが小学校時代に、たった一日、教えてくれたあなたの、言葉を、あの「元寇」の歌を、いまの、忘れずにいるのです。教育の力を、まざまざと、実感しています。
いま、サンゴ密漁のシナ船団が日本の領海へ押し寄せています。これに、倍する船団を尖閣列島近海へ襲撃させないように、日本政府は、断固たる対応を取るべきである。
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