怪しい話を相変わらず書いてます。AutoPageで2004年10月から、2022年8月gooブログに移行。
怪文書ブログ



 昔からずっと言われていて、そういう話がずっと出ているのに上手く行っていないにもかかわらず、まだまだやる気ですか?

出生数80万人割れの日本、真剣に「移民政策」を考えないと国家が消滅する

 移民政策という話は私が大学時代の頃からずっと言われていたし、安価な労働力として色んな国から日本に連れてきた労働者が今までに色々といたが全部定着しなかった。80年代にはイラン人、90年代になると中国人、2000年以降はベトナムにミャンマー、近頃はアフリカ系の黒人の方も結構見るようになったが結局日本に定着しない。みんな帰国する。要はもう日本に魅力が無いから移民政策なんて安易なやり方は最初から上手く行っていないし上手く行くわけが無い。そもそも今いる日本人さえ幸せにしようとしない国に何処の国から来た移民が定住すると思っているのだろうか?福祉を切り捨て税金を上げ、国民を管理する事しか考えない国に住みたい奴なんかいないから優秀なに人材がどんどん逃げていくのに移民政策なんかそもそも上手く行くわけが無い。真剣に国家を守りたいならまず今いる日本人が幸せに暮らせる環境を作る事。その努力すらしない政府と政権与党にはいくら金を使っても少子化対策なんかできるわけが無い。そもそも移民政策という安易な考え方が真剣な考え方では無いのだが、上記の記事を書いた人間はその事についてどう考えているのかねえ?

ロシア軍のインフラ大規模攻撃「近く行われる可能性…米「戦争研究所」

 これを見れば防衛予算の拡大が如何に馬鹿げているのか良く分かる。まず最初に取り組むべき政策は「インフラ対策」だ。要はメインのインフラが破壊されても市民が頼れるインフラ整備をしておく必要があるわけで、ソーラーパネルとか共同で使える水道施設とか、今の時代だと衛星型のインターネット設備なんかも重要かもしれない。まず市民生活を守るという当たり前の発想がそもそも抜け落ちている防衛計画なんか誰のための計画かねえ?

ようやく選出の米下院議長、造反組に大きく譲歩…CNN「近年で最弱の議長だ」

 逆に驚くべき事は民主党の方は一枚岩で同じ候補に同じ票数が入っているという当たり前だけど共和党ができなかった事をちゃんとやれているという事実。これは次の選挙も含めて大きいと思う。

江戸時代の日本人は決して幸福ではなかった…明治維新を批判する人が誤解している「江戸時代の10大問題」

 またいい加減な事を書いてるなあ。大坂なおみが活躍した時に日本人じゃないと騒いでいた男が江戸時代は女性差別が酷かったとか平気で書くとはなあ(苦笑)。だが、明治維新後の方が家父長制が敷かれたりして家庭における女性の役割を決めて押し付けたという意味では江戸時代より酷いだろうし部落差別にしても部落地名総鑑が作られたのは明治以降で戦国期よりは自由でなくても明治より酷くなかったという部分はある。それとヨーロッパの教育についての記述も間違い。教育を受けられなかった市民は多く、19世紀に活躍したモルトケは文字の読み書きを金が無いから軍隊の学校で勉強したという話があり、小作農の子供の中には口減らしで軍隊に入れられてそこで読み書きを覚えたなんて話があるぐらい。市民でも教育機会が与えられるようになるのは時期的に日本とそれほど変わらない。それと藩校は幕末に多いのかもしれないが、それ以外の教育システムはそれなりにあった。でなければ江戸時代に入って膨大に増えた事務作業をこなす事ができるわけが無い。藩内の事務作業で文章を書かざる得ない時は出てくるし系統立てた学問というのはそもそもアジアではあんまり無かったわけで、それをやっていないというのは別に戦国期でも一緒。ちなみに人事に関しては地方はともかく幕府に関しては必ずしも世襲ばかりとは言えない。大岡忠相や田沼意次のような大名も出て来る。餓死者に関しても確かにモノカルチャー経済なところはあったが19世紀半ばにはアイルランドでさえジャガイモ飢饉を起こす始末。日本だけが特別駄目だったとは言い切れまい。明治賛美が許されないとかいう話は初めて聞いたが明治初期はそれまでの行政を担っていた幕府を潰して行政経験の無い人間が官僚機構も無いまま手探りでやったから批判される面は少なくなかった。もっといえば明治期は既に「近代」であり「現代」はその延長として常に今を映す鏡として検証されるべき存在である。今を、いや未来をより良い時代にするためには現代の問題を引き起こした出発点として明治は検証されるべき存在であり、そこで起きたボタンの掛け違いがその後の日本の苦難の原因として検証されるわけで今と一続きだからこその批判がメインになるのは当然である。終戦を持って日本の歴史が分断されて明治が「郷愁」の対象になったわけでは無い。むしろ「江戸時代の終わり」で分断されてそれ以前が「思い出」としての「郷愁」の対象であったからこそ「手の届かない一つの理想」として語られているわけで明治を「科学的」に評価されているから批判されるんじゃないのか?江戸時代が「科学的」に批判されないのは現代とのつながりが薄いからであり現代へのヒントがあったとしても得られるものが少ないから「正しさ」を求められていないんじゃないのかねえ?自分で答えを見つけられるのに何で相変わらずこんな文章を書くのかねえ?

 という事で、また明日。



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