つぶやき城ー。のブログ

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

佐倉城@千葉県

2024-10-14 15:00:00 | 100名城
2024年10月14日

本佐倉城の最寄駅、大佐倉駅から一駅の京成佐倉駅へ。

戦国期の中世の城が本佐倉城であれば、江戸時代の近世の城は佐倉城になります。

駅を降り、歩いて15分ほど。
本佐倉城で歩きまくったので、体力的には厳しめ。

しかし、佐倉城は日本100名城の千葉県を代表する城なので、行かないわけには行きません。



城郭の麓には水堀になっていて、整備された道路を上がっていきます。

雰囲気が出てきました。



戦国時代、この一帯の下総は千葉氏が納めていました。

本佐倉城が本城だった千葉氏は、この地に築城を命じたが事情により頓挫。

1610年に徳川家康の命で土井利勝によって築城が再開し佐倉城が完成しました。

佐倉城は佐倉藩の藩庁が置かれた城でした。



切り落としたような崖があり、城郭に近づいていることを肌で感じることができます。



佐倉城の見どころの一つの馬出し空堀。
この空堀は明治期に連隊造営のために埋められました。

しかし、発掘調査をした上で復元。
現在は深さ3mですが、当時は5mでした。

綺麗に整備されています。



早速、主郭に向かいます。
入り口には堀田正睦の銅像があります。

佐倉城は長きに渡り、堀田氏が幕末まで藩の経営を行ってきました。



こちらは二之門跡。
ここには桁行8間ほどの二重の櫓門が建っていました。

当時の写真も残っていて、見事な城門でした。
現在は公園になっている佐倉城ですが、何気ない道の折れ曲がりも、城跡であれば全てが意味をもたらしていると感じることができます。



二の門を抜けると二の丸が広がります。
二の丸の周りは空堀で防備されているのですが、木や草が生い茂っているため、深さなどを確認するのは困難です。



さらに先に進むと二の丸と本丸を区切る空堀があり、橋がかけられています。

本丸は孤立させて敵が攻めてきた際の防御策をしいています。

草木で見えはしないものの、空堀はけっこう深さがあるように思えました。

この橋の先には一之門があり、当時は間口が4間の二階建ての櫓門でした。

こちらも、当時の写真が残されています。



一之門跡。
脇には高めの土塁があります。
高さは3m越えくらいでしょうか。


土塁の上は歩くことができ、主郭となる本丸はこの土塁で全て囲まれています。



本丸の角にある天守台跡。



佐倉城には天守があがっており、7×8間の三重三階の天守でした。
三層としては規模の大きな天守だったそうです。
慶長の築城ラッシュ後の天守のため、破風などの装飾がなくシンプルやデザインだったようです。

しかし、城郭の一番角部に造られた天守だったので、城下からもよく見えたであろうと思われます。

1813年に盗賊による火の不始末が原因で、天守は焼失してしまいます。



天守の近くにあるのが銅櫓跡。
6間四方の二重の櫓で、下方は下見張り、上方は白漆喰。

明治の廃城令によって解体される時の写真がしっかり残っています。

複雑な気持ちになります。


本丸から登城した逆側の方面は向かいます。
整備された道から一転、急に山城のような雰囲気に。

佐倉城は平城の近世城郭だと思っていたのですが、裏の道から通ると割と高低差があり、やる小高い山に築かれた城なのだと感じることができます。



城郭の一番下にあたる場所では城郭の片鱗を見て取れます。



水堀と外郭の曲輪。
奥の山の上が本丸になります。

地上との高低差を考えると、やはり本丸と二の丸を区切る空堀は、深いかもしれませんね。


遠くから見た佐倉城。
外から見ると本佐倉城と変わらないくらいの山ですね。

近くには一級河川の鹿島川が流れます。



城の周りを歩くと、水堀が所々で現れます。

本佐倉城と佐倉城。
近くにありますが、全く異なる性質を持った城です。

それは、時代の移り変わりを象徴しているともいえます。

千葉氏時代の本佐倉城は、中世城郭で戦うための城。
それが役割でした。

しかし、江戸期の佐倉城は藩庁がおかれ、政治を行う場所としての役割を果たしました。

今では公園としての役割を話していますが、あれだけの貴重な写真があるのであれば、いつか城門や天守を復元すれば、より魅力的な城になるのかなと思います。







本佐倉城@千葉県

2024-10-14 12:00:00 | 続100名城
2024年10月14日

7月から怒涛の忙しさで、なかなか休みがとれない今日この頃。

3連休に城巡りをすると決め、この日のために1週間やり抜いた自分へのご褒美として、城巡りを決行!

本日は千葉県にある、続100名城の本佐倉城と100名城の佐倉城へ。

朝7時半に家を出発し、京成線に乗り約2時間ほどで大佐倉駅に到着。



ローカルな駅。
本佐倉城の続100名城スタンプは、駅の改札を出て左手にありました。



映画に出てくるような駅舎。

電車本数も少なく、駅の周りにはコンビニすら無いので不便と思われるかもしれませんが、一人旅をしているようでエモーショナルになります。

車で城に行くのも便利で良いのですが、電車で行くと旅の雰囲気が出るので個人的には好きですね。



周りは田園が広がり、快晴の空と合わさってまさに絵に描いたような風景。

駅から本佐倉城まではGoogleで25分となっていましたが、全く苦を感じることなく歩くことができます。



遠くに木が生えていない場所があるので、おそらく本佐倉城であろうと思い、周りを注意しながら目指します。



近づくと、堀切?切り通し?のようになっていて間違いなく城郭であることが確認できます。

しかし、ナビに沿ってまずは案内所を目指します。



奥の黒い建物が本佐倉城の案内所。
こちらで御城印も販売。

本佐倉城や千葉氏などの歴史を学ぶことができます。

千葉氏はこの一体、下総を納めていた有力大名。桓武天皇の血を引く関東の名族で、源頼朝に鎌倉に拠点を構えることを進言したり、源平合戦や奥州合戦にも参戦して活躍したことで、鎌倉幕府の中でも屈指の御家人になりました。



案内所でパンフレットもらうことをオススメします。

案内所の前は駐車場になっていますが、駐車場の目の前には断崖絶壁。

本佐倉城は1469年から1486に築城。1590年に豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏と共に千葉氏が滅びるまで110年以上、戦国時代に活躍した城です。



絶壁の上が本佐倉城の主郭となります。
案内所があるこの一帯は、まるでスタジアムのように囲まれています。

これは自然の地形なのか、造られたものなのかは分かりませんが、容易に落とせる城ではないなと感じます。



進むと矢盾が並びます。
もちろん、家紋は千葉氏の月星紋。

ちなみに三日月の上にある星は、神秘な力を持つ存在として神格化されてきた北極星。



先ほど堀切と思っていた遺構は東山虎口で、ここが正門とされていたようです。

高さのあるダイナミックな土塁を貫通する形で、食い違いの虎口になっています。



写真だとやや分かりづらい。
近くで見ると圧倒されます。



土塁の上からのショット。
東山虎口の素晴らしい遺構に、既に満足感があります。
しかし、本佐倉城はこんなものではありません!


土塁上からの景色。

ガイドさんに聞いたら、当時はこの近くまで印旛沼の水があり、足利公方などのお偉い方は船で近くまで来てこの正門から入城していたようです。



続いて城山曲輪と奥ノ山曲輪を分ける大堀切が現れます。

これも見事な堀切!



高低差6mでここには門があったと考えられています。

中世城郭全開の本佐倉城。



大堀切の上から撮影。
ちょっと怖いくらいの高さ。

とにかく遺構の保存状態が良好。



大堀切で道が分岐しますが、まずは奥ノ山に向かいます。
薄暗く、細い道を進むと開けた曲輪の奥ノ山にとうちゃくです。


さらに奥に進むと蔵跡に到着です。
こちらも大きな曲輪で、発掘調査で炭化した米が見つかったことで、この場所に倉があったと考えられています。



見どころは、倉跡の先にあるセッテイ山と倉跡を分断する巨大な空堀。
後ほど下から撮った写真と共に説明したいと思います。



一度、奥ノ山方面から下り、水の手方面から再度入城します。

こちらは険しい道で、セッテイ山方面へと向かいます。
まるで探検しているかのような道を進んでいきます。

右手はセッテイ山。

セッテイ山は接待する場とも言われているし、千葉氏は北条氏の傘下になったので、北条氏が常駐した場所とも言われていて、この曲輪の意味合いは謎のままです。

いずれにしても、セッテイ山は主郭とは分離されていて孤立した曲輪となっています。



セッテイ空堀は驚愕の高低差16m!
中世の城でこのスケールの空堀は珍しいと思っています。

先ほど倉跡上から見た倉跡-セッテイ空堀。
こちらも高低差10m
迷路のようになっていて、敵が攻めてきても一網打尽することができます。



この倉跡-セッテイ山の空堀は長く続いています。
この先には東光寺ビョウという曲輪があり、一番最初に回った東山虎口に繋がります。



最後は城山のいう本佐倉城の主郭に向かいます。
曲輪の入り口には城山虎口がありました。
城山に行くにはこの道一本しかありません。

いかに、本佐倉城にとって重要な場所であったかを示しています。



城山は広めの曲輪となっていて、ここで城主は執務をこなし住んでいたと思われます。



下を覗くと、入城した時に見上げた駐車場があります。
かなりの断崖絶壁なのが分かります。

本佐倉城はまさに戦国時代の城!という見どころが満載でした。

江戸時代は本佐倉城の近くに佐倉城が下総の拠点となった為、本佐倉城は歴史から消えてしまいますが、良好な状態のまま生き続け、平成10年には国の重要な文化財として国指定史跡になり、続100名城にもなっています。

そこには間違いなく千葉氏の息吹を感じることができます。

また、ガイドさんや案内所で働くスタッフさんもとても親切。

発掘調査もしっかりされ、案内のパンフレットも分かりやすい為、理解しながら周ることができます。

そういった努力も感じれるので、素晴らしい遺構だけでなく、とてもオススメの城といえます。



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