KANEREニュースデスク– kakuma.news@gmail.com
難民認定の移管プロセスを受けて、ケニア政府の難民問題事務局(RAS)が不安を抱えた難民に難民認定書(RSD)を配布することになった。
。
ケニア政府内に難民事務局が置かれて2年、事務局はカクマ在住の難民に認定書を配布する期間を2週間設け、難民認定希望その多数が内戦、政治的迫害、宗教紛争、その他の要因から逃がれて来た人たち-に認定手続きへの道を開くことになった。
難民認定とは、国際法、地域法および国内法の下で難民認定希望者が難民としての資格を有するかどうかを判断するための法的・行政手続きである。 この手続きは、希望者が最初に認定を求めた場所で実行されることになっている。
ケニアでは2006年に難民法が可決され、難民認定手続きは国が責任を負うことになり、2016年5月までは、難民の地位に関する問題は旧難民局(DRA)が管轄していた。その後継である難民問題事務局(RAS)は、遅延していた難民認定書の配布を開始し、その一部はカクマで2010年まで遡った。つまり2010年の認定書の配布が、2018年4月から8月に始まった。
2006年の難民法以前は、ケニアでの難民認定は国連難民機関(UNHCR)が担当していた。 しかしUNHCR方式による難民認定には時間がかかり、ケニア在住の数千人におよぶ難民は不満を表明していた。キャンプにいる難民認定希望者の認定を平均6年間待たせ、それによりキャンプをすし詰め状態にするような手続きは、1951年の難民条約違反だと非難したのだ。
「私は2009年にキャンプに来て、2014年にUNHCRから難民認定を却下されました」とエチオピアの難民認定希望者、タミルは、カクマの難民問題事務所の玄関外でKANEREに話した。 「UNHCRに訴え、2度目の却下をされましたが、他に行くところがありません」
カクマに住む多くの非認定者と同様に、タミルはUNHCRによって家族ともども規定の1年間を超えて難民認定の決定を待たされ、何年もの人生を浪費させられたと申し立てている。長期間も待たされた挙句に保護を拒否され、彼はあらゆる社会的なつながりや経済的前途からも遮断されてしまった。
「UNHCRのせいでキャンプでの暮らしを無為にされた気がします」とタミルはつけ加えた。 「戻る場所がないので、キャンプから出られません」
UNHCRのプロテクションユニットがカクマの適格審査部を通じて行っている地位決定プロセスの遅れが続くと、難民認定がさらに滞る。その結果生じる生活環境の悪化や認定書類のない人への支援不足、認定を待つ間の雇用制限の厳しさなどへの不満に対して、UNHCRは資金不足と人員不足を挙げている。
UNHCRの2018年10月の統計資料によると、カクマ難民キャンプで難民認定を待つ認定希望者数は、21,000人以上とみられる。
資源配分の面で、カクマ難民キャンプはナイロビやダダーブキャンプよりも優先順位が低く、脆弱者を人間倉庫状態に放置する時間が長くなっている。ナイロビの2倍以上の難民と亡命希望者を収容しているにもかかわらず、2018年にカクマで難民と認められた人の数は、ナイロビの半分である。
カクマに居住するすべての難民認定希望者は、国の法律の下での保護とノン・ルフールマン原則(生命や自由が脅かされかねない人々の追放・送還を禁止する国際法律上の原則)の行使を求める権利を有している。しかし時が経つにつれて、難民認定希望者のニーズも増大する。
例えば、亡命希望者はカクマに到着すると、数日から数週間UNHCRのレセプションセンターに収容される。彼らが生活を始めるに当たり、水を汲んで来るための空の容器、薪、数枚の皿とスプーン、固形石鹸、乾燥トウモロコシ、テントが支給される。これらは生存を保証する基本的物資だが、新たな集団生活の難しさやその状況が長く続く可能性を認識したときの感情の混乱にはまったく対処できない。
彼らは働く機会と自由を制限され、時が経つにつれ、多くの難民認定希望者は食料提供機関に依存するようになる。自分が置かれた現状を受け入れるにつれ、危機の解決を望む気持ちも萎えてくる。次第に、彼らは名前ではなく番号で呼ばれるようになる。
難民認定を完了せずに認定希望者を長期間収容していると、難民は法的に曖昧で、かつ道徳的にも退化した状態になる。彼らの多くは国際法における自分達の権利を認識しているが、その権利がUNHCRの地域事務所の職員と関わる時には何も意味をなさないことに気づく。タイムリーな難民認定手続きがなされないと、難民はキャンプ内で収入を得る機会が制限され、金融サービスから除外される可能性がある。
2014年にカクマに到着し、支援団体で働いているコンゴ難民は、到着から1年以内に難民認定が完了すると思っていたとKANEREに話した。 しかい2016年になっても難民認定はまだUNHCRの承認待ちで、Safaricom Limitedでモバイルバンキング口座(M-PESA)を開くことも、キャンプでの企業登録をすることもできないことがわかった。
「私は到着から1年以内に難民認定されると思っていました。しかし現実はまったく違いました」と彼は言う。 「未認定なので収入を得る機会はありませんし、UNHCRの職員は助けてくれません」
2006年難民法第12条第3項(2014年法律第19号第46条)によると、難民としての地位認定を申請した者およびその家族全員は、地位の処理が完了するまで指定された難民キャンプに残ることになっている。にもかかわらず、難民認定希望者がどれだけの期間決定を待たなければいけないかについては、どちらも説明していない。
ただし、第16条第1A項によると、ケニアで認定された難民およびその家族全員はケニアが関わる国際協定に含まれる権利を有し、またその義務を負うとしている。そのため、1年以内に難民認定手続きを完了しなければ、ケニアは署名した1951年難民条約の第17条および26条に違反したままとなる。難民に対する仕事の制限や移動も、また違反である。
KANEREは難民問題カクマ事務所に連絡を試みたが、職員はコメントに応じなかった。
難民問題事務所とUNHCRによる難民認定書配布は、キャンプ居住者の大多数に対して保留されていた認定手続きの状態を明らかにしたが、決定を待つ期間は予測不能なままである。
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難民認定の移管プロセスを受けて、ケニア政府の難民問題事務局(RAS)が不安を抱えた難民に難民認定書(RSD)を配布することになった。
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ケニア政府内に難民事務局が置かれて2年、事務局はカクマ在住の難民に認定書を配布する期間を2週間設け、難民認定希望その多数が内戦、政治的迫害、宗教紛争、その他の要因から逃がれて来た人たち-に認定手続きへの道を開くことになった。
難民認定とは、国際法、地域法および国内法の下で難民認定希望者が難民としての資格を有するかどうかを判断するための法的・行政手続きである。 この手続きは、希望者が最初に認定を求めた場所で実行されることになっている。
ケニアでは2006年に難民法が可決され、難民認定手続きは国が責任を負うことになり、2016年5月までは、難民の地位に関する問題は旧難民局(DRA)が管轄していた。その後継である難民問題事務局(RAS)は、遅延していた難民認定書の配布を開始し、その一部はカクマで2010年まで遡った。つまり2010年の認定書の配布が、2018年4月から8月に始まった。
2006年の難民法以前は、ケニアでの難民認定は国連難民機関(UNHCR)が担当していた。 しかしUNHCR方式による難民認定には時間がかかり、ケニア在住の数千人におよぶ難民は不満を表明していた。キャンプにいる難民認定希望者の認定を平均6年間待たせ、それによりキャンプをすし詰め状態にするような手続きは、1951年の難民条約違反だと非難したのだ。
「私は2009年にキャンプに来て、2014年にUNHCRから難民認定を却下されました」とエチオピアの難民認定希望者、タミルは、カクマの難民問題事務所の玄関外でKANEREに話した。 「UNHCRに訴え、2度目の却下をされましたが、他に行くところがありません」
カクマに住む多くの非認定者と同様に、タミルはUNHCRによって家族ともども規定の1年間を超えて難民認定の決定を待たされ、何年もの人生を浪費させられたと申し立てている。長期間も待たされた挙句に保護を拒否され、彼はあらゆる社会的なつながりや経済的前途からも遮断されてしまった。
「UNHCRのせいでキャンプでの暮らしを無為にされた気がします」とタミルはつけ加えた。 「戻る場所がないので、キャンプから出られません」
UNHCRのプロテクションユニットがカクマの適格審査部を通じて行っている地位決定プロセスの遅れが続くと、難民認定がさらに滞る。その結果生じる生活環境の悪化や認定書類のない人への支援不足、認定を待つ間の雇用制限の厳しさなどへの不満に対して、UNHCRは資金不足と人員不足を挙げている。
UNHCRの2018年10月の統計資料によると、カクマ難民キャンプで難民認定を待つ認定希望者数は、21,000人以上とみられる。
資源配分の面で、カクマ難民キャンプはナイロビやダダーブキャンプよりも優先順位が低く、脆弱者を人間倉庫状態に放置する時間が長くなっている。ナイロビの2倍以上の難民と亡命希望者を収容しているにもかかわらず、2018年にカクマで難民と認められた人の数は、ナイロビの半分である。
カクマに居住するすべての難民認定希望者は、国の法律の下での保護とノン・ルフールマン原則(生命や自由が脅かされかねない人々の追放・送還を禁止する国際法律上の原則)の行使を求める権利を有している。しかし時が経つにつれて、難民認定希望者のニーズも増大する。
例えば、亡命希望者はカクマに到着すると、数日から数週間UNHCRのレセプションセンターに収容される。彼らが生活を始めるに当たり、水を汲んで来るための空の容器、薪、数枚の皿とスプーン、固形石鹸、乾燥トウモロコシ、テントが支給される。これらは生存を保証する基本的物資だが、新たな集団生活の難しさやその状況が長く続く可能性を認識したときの感情の混乱にはまったく対処できない。
彼らは働く機会と自由を制限され、時が経つにつれ、多くの難民認定希望者は食料提供機関に依存するようになる。自分が置かれた現状を受け入れるにつれ、危機の解決を望む気持ちも萎えてくる。次第に、彼らは名前ではなく番号で呼ばれるようになる。
難民認定を完了せずに認定希望者を長期間収容していると、難民は法的に曖昧で、かつ道徳的にも退化した状態になる。彼らの多くは国際法における自分達の権利を認識しているが、その権利がUNHCRの地域事務所の職員と関わる時には何も意味をなさないことに気づく。タイムリーな難民認定手続きがなされないと、難民はキャンプ内で収入を得る機会が制限され、金融サービスから除外される可能性がある。
2014年にカクマに到着し、支援団体で働いているコンゴ難民は、到着から1年以内に難民認定が完了すると思っていたとKANEREに話した。 しかい2016年になっても難民認定はまだUNHCRの承認待ちで、Safaricom Limitedでモバイルバンキング口座(M-PESA)を開くことも、キャンプでの企業登録をすることもできないことがわかった。
「私は到着から1年以内に難民認定されると思っていました。しかし現実はまったく違いました」と彼は言う。 「未認定なので収入を得る機会はありませんし、UNHCRの職員は助けてくれません」
2006年難民法第12条第3項(2014年法律第19号第46条)によると、難民としての地位認定を申請した者およびその家族全員は、地位の処理が完了するまで指定された難民キャンプに残ることになっている。にもかかわらず、難民認定希望者がどれだけの期間決定を待たなければいけないかについては、どちらも説明していない。
ただし、第16条第1A項によると、ケニアで認定された難民およびその家族全員はケニアが関わる国際協定に含まれる権利を有し、またその義務を負うとしている。そのため、1年以内に難民認定手続きを完了しなければ、ケニアは署名した1951年難民条約の第17条および26条に違反したままとなる。難民に対する仕事の制限や移動も、また違反である。
KANEREは難民問題カクマ事務所に連絡を試みたが、職員はコメントに応じなかった。
難民問題事務所とUNHCRによる難民認定書配布は、キャンプ居住者の大多数に対して保留されていた認定手続きの状態を明らかにしたが、決定を待つ期間は予測不能なままである。
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