カクマ・キャンプには、わけのわからない発達障害を抱えて生活している子どもたちがいるが、カクマの医療体制では彼らに望みはなく、将来の見通しも全くたたない。
カクマ難民キャンプにいる多くの家族が、発達障害をもった子どもたちを育てるのに悪戦苦闘している。厳しい困難に直面しているにもかかわらず、彼らはどこに助けを求めればよいかわからない。地域の病院や診療所に助けを求めようとしてきたが、病院も診療所も治療の可能性はすでに尽きているか、そうでなければ単純に役に立たない。
KANEREは詳細のわからない発達障害をもったキャンプの子どもたち数人のケースを調べた。
*****
アブディ*は4歳。ナイロビで生まれた。最初に発達の問題が現れたのは、過ってテーブルにぶつかった後だった。それ以来、この男の子にとっても家族にとっても、物事が思うように運ばない。
匿名希望のソマリア難民のある母親は、「検査をしてもらいに、この子を中央病院に連れて行きました。でも錠剤をいくつかくれただけでした」と泣きながら話した。
この男の子は4歳だが一言もしゃべれない。「診療所の医者は、ナイロビに検査に連れていく候補者リストに息子の名前を入れるかどうか、経過をみましょう、と言いました。息子は頭の中をCTスキャンで調べなければならないのです」と母親は言う。
母親によると、今年中にナイロビでの治療を受けられないと、息子の治療はあきらめなければならないのだという。「息子をよい病院に連れて行くだけのお金がないので、地域のIRC(国際救済委員会)病院に頼らなければなりません。でもあそこではなかなか物事が進まないので、もう我慢できないんです」
母親は、夫が失業中で、4人の子どもがいる。そのうちの1人は死んでしまった。「キャンプの病院のサービスは全然よくないと思います。息子は目に問題があったので何度か病院に連れていきましたが、治療はしてもらえませんでした。病院には目を検査したり頭をスキャンする設備も器具もないのです」とアブディの母親は不満を言った。
男の子はJRS(イエズス会難民サービス)に連れて行ってもらったことがある。しかし誰か家族が付いていないと泣き続けて預けられないので、家族はこの子を家においておく選択をした。
*****
アデン*は6歳だが、まだ歩けない。生まれたときは正常だったが、生後1か月から発達上の問題が始まった。両親は医学的な検査を求めて、IRC中央病院に連れて行った。病院では、牛乳や小麦などの食物アレルギーだと告げられた。
UNHCRは、家族がこの子をもっと設備のよいケニア中心部の病院に連れて行く支援をした。「彼はずっと下痢をしていたので、毎日パッドやおむつを付けていなければなりませんでした。医者はタンパク質の豊富な魚、卵、肉のような食べ物を与えなさいとアドバイスしてくれましたが、私たちにそんな余裕があるでしょうか?ありませんよ」と母親は言った。
アデンの両親によれば、IRC中央病院は息子に適切な処置を施すことができなかった。それで、両親は治療に見切りをつけた。少年はナイロビでも4回治療を受けている。
「ときどき息子は高熱で苦しみます。とても痩せて弱っています。以前この子が健康で器量良しだったときとは大違いです。彼は他の家族が食べているものも食べています。私たちには特別食を買うお金がないからです」とこの怒れる母は嘆く。
少年はJRSには連れて行ってもらえなかった。JRSで治療を受けるための同意書をIRCが出してくれなかったからだ。
*****
12歳のソロモン*は生まれてから言葉を発したことがない。ある種の発達障害だが、家族にはそれが何だかわからない。両親はナイロビで、原因は胸の問題だと告げられた。鼻水が絶えず出ていて、それが顔にただれを起こしている。両足にも問題があって、支えがないと一人で歩けない。
母親によると「去年、この子は一人でカクマを出て、ダヤ・バスでナイロビに行ってしまいました。私たちはあちこち探しましたが、見つけられませんでした。彼はナイロビに着いたのですが、知り合いもいないし、た知的な能力のこともあって、一人でうろつきはじめました。そういうときに、走ってきた車にはねられて足を折ったのです」と言う。
ソロモンは、ナイロビのケニアッタ病院に緊急搬送された。偶然、カクマ出身の難民女性がその病院に子どもを連れてきていた。ソロモンだとわかり、彼女はすぐ親に電話し、危険な状態でナイロビにいることを知らせた。父親がナイロビにやってきて、入院している息子と面会した。
病院の費用は、この家族が属しているイスラム・コミュニティーの篤志家が払ってくれた。ソロモンの父親は「私はUNHCRには助けを求めませんでした。どこから始めてよいか分からなかったからです。それに、あの国連の敷地に入るのが怖かったんです」と言う。
母親は「知的な問題のことで、私は息子を中央病院に何度か連れていきましたが、結局のところ、病院はどうすることもできないと言われました」と言った。ソロモンは水浴びは一人でできるが、手伝う人がいないとトイレにはいけない。家族はトイレに座れるような特別のイスを考案した。
家族は、ソロモンが肢体不自由になった原因のひき逃げ事故について、運転手を見つけることができなかった。のちに、運転手が逮捕されたと知らされたが、どこで見つかったのか、賠償金を支払ってもらえるのかなど、何の情報も得られていない。家族は、事故のことはすべて忘れることにした、と言う。
*****
サリナ*は2005年に生まれた。生まれたときは健康で、正常に育っていたが、1歳の時、発達の問題があることが分かり、キャンプのIRC中央病院に連れて行った。兄の1人によると「病院で、栄養失調だと言われた」と言う。
サリナは手足が痺していて、立つことができなかった。絶えず吐いていた。「私たちは彼女をケニア中心部のいくつかの病院に連れて行きました。ナイロビ病院、キジャベ病院、キクユミッション病院などです。そこでも、この子は栄養失調だと言われました」と姉の一人は言う。
UNHCRとIOM(国際移住機構)が病院の支払いや他の出費の面倒をみた。ナイロビで治療を受けるたびに、一週間の旅が認められた。家族は陸路をはるばる旅して国の中心部の病院まで行かなければならなかった。
「今年1月から容態が深刻になり、2月27日に亡くなりました。その日のうちに、私たちの宗教にしたがって、ささやかな葬式をしました」と兄は言った。
サリナの母親は10人の子どもを産んでいる。そのうち4人が死に、残っているのは6人の子どもだ。死んだ子どもはみな母乳で育った。彼女は、母乳に問題があると思っている。母乳を与えなかった子どもたちは全員生きているからだ。彼女は2度結婚している。
*****
こうした子どもたちと家族は大きな不安をかかえている。子どもは何の疾患に苦しんでいるのだろう? 矛盾したいくつかの診断が与えられる時もあれば、何も与えられない時もある。いったい子ども直るのだろうか? 親たちは、もっと進歩した医療を受けられれば、正常に発達するのではないかと悩んでいるが、そういう治療を受けさせてやれない。
IRC(国際救済委員会)の臨床職員、エリックは、このような子どものための医学的な見通しはしばしば不明確だと言う。「先天的な知的問題をかかえた子どもたちは、たとえ最高で最良の病院に連れていったとしても治らない。問題が生後に起きた子どもについては、治る可能性があるが、費用の問題もある。たとえ治療を受けやすい都市部に住んでいても、費用が高く、お金の問題はつきまとう。
3月12日にJRS精神衛生プログラムに接触したところ、上司の許可がないと職員は新聞に情報を流せない、という答えが返ってきた。上司が戻ってきてからコメントを求めたが、とても忙しいのでKANEREに話をすることはできないということだった。
カクマ難民キャンプにいる多くの家族が、発達障害をもった子どもたちを育てるのに悪戦苦闘している。厳しい困難に直面しているにもかかわらず、彼らはどこに助けを求めればよいかわからない。地域の病院や診療所に助けを求めようとしてきたが、病院も診療所も治療の可能性はすでに尽きているか、そうでなければ単純に役に立たない。
KANEREは詳細のわからない発達障害をもったキャンプの子どもたち数人のケースを調べた。
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アブディ*は4歳。ナイロビで生まれた。最初に発達の問題が現れたのは、過ってテーブルにぶつかった後だった。それ以来、この男の子にとっても家族にとっても、物事が思うように運ばない。
匿名希望のソマリア難民のある母親は、「検査をしてもらいに、この子を中央病院に連れて行きました。でも錠剤をいくつかくれただけでした」と泣きながら話した。
この男の子は4歳だが一言もしゃべれない。「診療所の医者は、ナイロビに検査に連れていく候補者リストに息子の名前を入れるかどうか、経過をみましょう、と言いました。息子は頭の中をCTスキャンで調べなければならないのです」と母親は言う。
母親によると、今年中にナイロビでの治療を受けられないと、息子の治療はあきらめなければならないのだという。「息子をよい病院に連れて行くだけのお金がないので、地域のIRC(国際救済委員会)病院に頼らなければなりません。でもあそこではなかなか物事が進まないので、もう我慢できないんです」
母親は、夫が失業中で、4人の子どもがいる。そのうちの1人は死んでしまった。「キャンプの病院のサービスは全然よくないと思います。息子は目に問題があったので何度か病院に連れていきましたが、治療はしてもらえませんでした。病院には目を検査したり頭をスキャンする設備も器具もないのです」とアブディの母親は不満を言った。
男の子はJRS(イエズス会難民サービス)に連れて行ってもらったことがある。しかし誰か家族が付いていないと泣き続けて預けられないので、家族はこの子を家においておく選択をした。
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アデン*は6歳だが、まだ歩けない。生まれたときは正常だったが、生後1か月から発達上の問題が始まった。両親は医学的な検査を求めて、IRC中央病院に連れて行った。病院では、牛乳や小麦などの食物アレルギーだと告げられた。
UNHCRは、家族がこの子をもっと設備のよいケニア中心部の病院に連れて行く支援をした。「彼はずっと下痢をしていたので、毎日パッドやおむつを付けていなければなりませんでした。医者はタンパク質の豊富な魚、卵、肉のような食べ物を与えなさいとアドバイスしてくれましたが、私たちにそんな余裕があるでしょうか?ありませんよ」と母親は言った。
アデンの両親によれば、IRC中央病院は息子に適切な処置を施すことができなかった。それで、両親は治療に見切りをつけた。少年はナイロビでも4回治療を受けている。
「ときどき息子は高熱で苦しみます。とても痩せて弱っています。以前この子が健康で器量良しだったときとは大違いです。彼は他の家族が食べているものも食べています。私たちには特別食を買うお金がないからです」とこの怒れる母は嘆く。
少年はJRSには連れて行ってもらえなかった。JRSで治療を受けるための同意書をIRCが出してくれなかったからだ。
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12歳のソロモン*は生まれてから言葉を発したことがない。ある種の発達障害だが、家族にはそれが何だかわからない。両親はナイロビで、原因は胸の問題だと告げられた。鼻水が絶えず出ていて、それが顔にただれを起こしている。両足にも問題があって、支えがないと一人で歩けない。
母親によると「去年、この子は一人でカクマを出て、ダヤ・バスでナイロビに行ってしまいました。私たちはあちこち探しましたが、見つけられませんでした。彼はナイロビに着いたのですが、知り合いもいないし、た知的な能力のこともあって、一人でうろつきはじめました。そういうときに、走ってきた車にはねられて足を折ったのです」と言う。
ソロモンは、ナイロビのケニアッタ病院に緊急搬送された。偶然、カクマ出身の難民女性がその病院に子どもを連れてきていた。ソロモンだとわかり、彼女はすぐ親に電話し、危険な状態でナイロビにいることを知らせた。父親がナイロビにやってきて、入院している息子と面会した。
病院の費用は、この家族が属しているイスラム・コミュニティーの篤志家が払ってくれた。ソロモンの父親は「私はUNHCRには助けを求めませんでした。どこから始めてよいか分からなかったからです。それに、あの国連の敷地に入るのが怖かったんです」と言う。
母親は「知的な問題のことで、私は息子を中央病院に何度か連れていきましたが、結局のところ、病院はどうすることもできないと言われました」と言った。ソロモンは水浴びは一人でできるが、手伝う人がいないとトイレにはいけない。家族はトイレに座れるような特別のイスを考案した。
家族は、ソロモンが肢体不自由になった原因のひき逃げ事故について、運転手を見つけることができなかった。のちに、運転手が逮捕されたと知らされたが、どこで見つかったのか、賠償金を支払ってもらえるのかなど、何の情報も得られていない。家族は、事故のことはすべて忘れることにした、と言う。
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サリナ*は2005年に生まれた。生まれたときは健康で、正常に育っていたが、1歳の時、発達の問題があることが分かり、キャンプのIRC中央病院に連れて行った。兄の1人によると「病院で、栄養失調だと言われた」と言う。
サリナは手足が痺していて、立つことができなかった。絶えず吐いていた。「私たちは彼女をケニア中心部のいくつかの病院に連れて行きました。ナイロビ病院、キジャベ病院、キクユミッション病院などです。そこでも、この子は栄養失調だと言われました」と姉の一人は言う。
UNHCRとIOM(国際移住機構)が病院の支払いや他の出費の面倒をみた。ナイロビで治療を受けるたびに、一週間の旅が認められた。家族は陸路をはるばる旅して国の中心部の病院まで行かなければならなかった。
「今年1月から容態が深刻になり、2月27日に亡くなりました。その日のうちに、私たちの宗教にしたがって、ささやかな葬式をしました」と兄は言った。
サリナの母親は10人の子どもを産んでいる。そのうち4人が死に、残っているのは6人の子どもだ。死んだ子どもはみな母乳で育った。彼女は、母乳に問題があると思っている。母乳を与えなかった子どもたちは全員生きているからだ。彼女は2度結婚している。
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こうした子どもたちと家族は大きな不安をかかえている。子どもは何の疾患に苦しんでいるのだろう? 矛盾したいくつかの診断が与えられる時もあれば、何も与えられない時もある。いったい子ども直るのだろうか? 親たちは、もっと進歩した医療を受けられれば、正常に発達するのではないかと悩んでいるが、そういう治療を受けさせてやれない。
IRC(国際救済委員会)の臨床職員、エリックは、このような子どものための医学的な見通しはしばしば不明確だと言う。「先天的な知的問題をかかえた子どもたちは、たとえ最高で最良の病院に連れていったとしても治らない。問題が生後に起きた子どもについては、治る可能性があるが、費用の問題もある。たとえ治療を受けやすい都市部に住んでいても、費用が高く、お金の問題はつきまとう。
3月12日にJRS精神衛生プログラムに接触したところ、上司の許可がないと職員は新聞に情報を流せない、という答えが返ってきた。上司が戻ってきてからコメントを求めたが、とても忙しいのでKANEREに話をすることはできないということだった。
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