Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2009年5-6月号 本国帰還に関するスーダン人の懸念

2009年09月04日 | 人道支援
カクマ難民キャンプのスーダン人難民の中には、本国帰還は時期尚早だと主張する者がいる。

2005年、長いこと続いていたスーダン政府とスーダン人民解放軍(SPLA)の血なまぐさい戦争に終止符が打たれた。両者はケニアで和平合意に調印した。

ケニア、エチオピア、ウガンダをはじめとするアフリカ諸国にいる多くのスーダン人難民は、これに大きな関心を示したが、それ以来、彼らは悩み、長く待ちこがれた願いが果たされずにいる。

スーダン人の公式の本国帰還は、2005年に始まった。本国帰還プロセスには三者が関係している。UNHCRとケニア政府と出身国だ。カクマ本国帰還ユニットの事務所によると、彼らが支援してケニアからの帰還を果たしたのは25,119名で、その内19,801名が自発的な帰還だった。

しかし、ケニアにいるスーダン人難民、特に赤道州に居留していると署名した人々の多くは、本国帰還は時期尚早だと主張している。今直ちに送還されても保護が行き届かないだろうと思っている。

生命への脅威が二つあると言う。スーダン難民赤道コミュニティーのメンバー、アファティオは次のように語った。「スーダンに平和が戻ったとは言え、それは本当の平和ではないと言われている。スーダンでは毎日、人が殺される。特に東部赤道州では多くの村民が殺され、牛が盗まれる。これはスーダンに培われつつある永続的な平和には意味がないことを知らしめるため、スーダン政府が仕組んだものだ」

別のスーダン人難民、トムは、南部スーダンSPLAとスーダン政府の二者による和平合意があったのは確かだが、実施されなかったのだと言う。その証拠に、境界分離やセキュリティの取り決めといった合意事項はまったく実施されずに放置されたままだ。つまり、あれは書類上の合意でしかなかったのだと言う。

アファティオはさらに、UNHCRは、和平合意が調印されたことを盾に我々を何が何でも本国へ帰還させようとしている、と主張する。

KANEREは、スーダン人難民の心に宿るこうした懸念を確かめるために、本国帰還ユニット事務所の職員に接触した。UNHCRとケニア政府、南スーダン政府は、本国帰還活動に同意し、UNHCRが国の平和を確認することにも同意している。事務所職員は「平和の確認なしに我々が難民を本国へ帰還させるはずがない」と言った。
「我々は、帰還を望まない人々のせいで帰還したがっている人々の帰還が遅れてはならないと思っている。そこで個人に現金を補助するという新しい戦略を立てた」。難民には、親類を見つけるまでの間、またはこれに代わる最終目的地までの交通手段を確保するまでの間、一時的に滞在するスーダン国内の場所まで帰還できるように、現金が渡される。また住居のための材料や、求職の優先権といった多くの支援も受けられる。

結論として、事務所側に弱点があることがわかった。南スーダンの現状を個々の難民に知らせるための準備も工夫もされていない。そのため、難民は現地に帰還してはじめて、真の現状を知ることになる。

さらに、ケニア政府にとってきわめて重要なのは、南スーダンからケニアへの違法な移動を規制することだ。こうした移動は、故国に戻ろうとしている南スーダン出身の難民に少なからず影響を与えている。


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