Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2009年2月号 「Watoto Kesho Africa」による子どもの権利擁護

2009年07月06日 | 人権
【写真】 カラムチャーチ村の子ども達とカタメア氏

一人の難民が自分でNGOを設立し、子ども達の権利を護るために戦い、「万難を排して子ども達の未来を勝ち取る」ことを目指している。

「Watoto Kesho Africa (アフリカの子ども達の未来-以後WAKA)」は、カクマ難民キャンプに本部を置く非営利組織である。エチエネ・カタメア氏が、子ども達の権利を促進するため、「万難を排して子ども達の未来を勝ち取る」ためにこの組織を設立した。

人道支援隊員であり難民でもあるカタメア氏は、ケニアや彼の祖国であるコンゴ民主共和国で絶望的な生活状況を見て奮い立った。2007年、状況はもう十分見たと思い、子ども達に代わって彼らの権利を守るための行動に出る決心をした。その後すぐ、子ども達の健全な発育と輝かしい未来を擁護するためにWAKAを設立した。

「私はもう十分見た」

カタメア氏は、自分も難民支援を受けている身ながら、あるNGOの活動を通して、子ども達の未来を支援しようと決断した。自分の生活もままならないが、子ども達の権利を擁護する用意ができたと思っている。

まだコンゴ民主共和国にいたころ、カタメア氏は国際健康医療再生総合病院(Polyclinic Task Reproductive Health and Care International)で脆弱な子ども達に人道支援を行い、大学の医学部に進学することになった。このNGOは、戦争で失われた教育、医療、その他の基本的なニーズを、子ども達に供給していた。

1994年、彼は何百万人のルワンダ難民が、大虐殺を逃れようとコンゴ民主共和国の国境を越えてくるのを目撃した。何千人もの人々が、カタメア氏の故郷であるブカヴにも到着した。逃げてきた人たちの中には、脆弱な人、誰も同伴者のいない未成年者、孤児、身体障害者、そして病人もいた。「彼らはまるで、羊飼いのいない羊のようだった」と彼は当時を思い起こす。

1996年コンゴ民主共和国で戦争が勃発したとき、何千人もの子ども達が家族から引き離され、政府軍と反乱軍の双方で新兵として戦わされた。1998年、再び戦争が勃発し、避難民となった何千人もの子ども達がいよいよ絶望的な状況に置かれていくのを目の当たりにした。

激しい迫害を受けた後、カタメア氏はコンゴから逃走することに成功し、1998年12月25日、ケニアのナイロビに到着した。医学部は2年で退学することとなった。ナイロビのUNHCRは彼にカクマ・キャンプに行くよう指示し、そこに住み始めた。

2007年12月、カタメア氏はカクマ・キャンプから短期間離れ、ナイロビに旅行した。12月末、ケニア選挙委員会が選挙の結果を発表すると暴動が起き、カタメア氏は都会での乱闘を目の当たりにした。子ども達は絶望的な影響を受けた。ジャムフリ公園の野営キャンプに行ってみると、何千人という子ども達が同伴者なしで彷徨っていた。ジャムフリ公園の野営キャンプには、2007年の反選挙運動による暴動でケニアを追われた大勢の人が収容されていた。

カタメア氏はもう見るのは止めて、何か世界を変えるようなことをすべきだと確信し、子ども達の権利拡大を図り万難を排して子ども達の未来を勝ち取る組織を考案した。NGOで子どもの避難民を援助した経験があったおかげで、「私はこの援助を続け、今あるWAKAを通じてアフリカ全土に援助を広げて行こうと決意した」とカタメア氏は言う。

子ども達の権利に対する責任の構想

カタメア氏はWAKAを創設するにあたり、アフリカの子ども達の権利を実現するには、いくつかの課題があることがわかった。紛争や強制退去が否応なく起き、コミュニティーやその住人を保護する社会的、政治的体制が弱対化していることにも気づいた。その結果、カクマ難民キャンプにおける子どもの権利は、国際標準に比べかなり低いことがわかった。

カタメア氏の構想によるNGOは、人権に対する責任(全ての人道支援隊員の道徳的及び法的責任)を主たる目的としている。我々は皆危機に対して責任があり、人権を守るために、適切かつ責任ある方法で人権擁護の行動を起こす責任がある、というのが彼の考え方だ。

カタメア氏は、子どもの権利条約(CRC)は実際行動により補強されなければならないと指摘する。そのためには、子ども達の福祉を向上させ、個人の差別なき尊厳と品位のために合意された国際的標準を強化する必要がある。

WAKAは子どもの権利の中で、特に教育の権利に焦点を当てている。ケニアの法律は、難民を含む全ての子どもに対するに無償の基礎教育を保証している。つまり難民の子どもも、ケニア市民と同じように公立学校に入学する権利があるということだ。ケニア子ども法には、教育の阻止は、子どもに害を及ぼすと記されている。特に大切なのは、女子も男子も同等に学校に行く機会が与えられることだ。

カタメア氏は、技術や経済の発展に教育は欠くことのできないものだと言う。そしてシカゴ大学の教育学と社会学の教授であるC. アーノルド・アンダーソン氏が推奨する、生活改善の為に「科学を取り入れよ」という言葉を引用している。アンダーソン教授はまた、昔の「生命、自由そして自由」というスローガンの代わりに、今日の世界にふさわしい新しいスローガン「独立、発展そして近代化」を提唱している。

世界の人々を一つにするには教育が重要であり、そうすれば、現代世界は大きな一つの国家になると、カタメア氏は言う。また、国際市場に参入するには、知識ある市民が必要であるとの研究も紹介している。コミュニュケーションがでとれないと、仲間を理解することはできないし、読み書きができなければ、世間に影響力を及ぼすことはできない。カタメア氏は、教育が子ども達の心を未来に向かわせると信じている。「だから教育は社会の近代化にも貢献するのだ」と彼は言う。

突き詰めるとカタメア氏は、創造の精神に富む男女のリーダーの育成、つまり創造力、インスピレーション、生産性及び才能のある男女の育成に、教育は貢献きると信じている。「そういう意味で、子ども達が将来安心して人生を送ることができるように、その備えをさせることがきわめて必要である」と言う。

WAKAの設立と発展

カタメア氏は, これらの目的と理念を築き、彼自身のNGO、WAKAを発展させた。WAKAは現在、難民と現地の子ども達両方に寄宿舎と教育を提供し、学校に必要な物、例えば、本、制服、ノート、机などを支給している。

WAKAは現地の教会、エベネゼル教会の傘下に登録されている。教会から委託された役員会が、WAKAの運営に当たっている。

コミュニティーにはパートナーシップとボランティアの組織があって、このNGOを支援している。教会のメンバーがボランティアとして貢献し、現金、本、食糧、衣服、水薬、石鹸などの寄付や、医療を含む基本的なニーズの手助けをしている。

WAKAの構想と目標には、短期、中期、長期のものがある。2009年の第一の目標は、現地トゥルカナ地方の青少年や難民の子どもを含むカクマ地域の最も弱い子どもたちに、教育を提供することである。

「すべての子どもは、彼らの人生の基礎として、教育を受ける権利がある」とカタメア氏は言う。

最も優先するのは、カクマ・キャンプから数キロメートルの、壮大な岩の陰にある集落、カラムチャーチ村に住む子ども達である。子どもの中には、WAKAの援助によりポコトン寄宿学校ですでに勉強を始めている者もいる。

WAKAは、トゥルカナの無学な子ども達の為に、カラムチャーチ村に学校を開設した。この学校はエベネゼル教会と共同で設立され、WAKAは生徒たちに食糧と制服を支給している。脆弱な子どもや障害者の子ども、栄養失調の子どもを含む子どもの為の家を作る計画は、今進行中である。

それに加え、カタメア氏は彼自身の家に、何人かの身寄りのない子どもや孤児を住まわせ、毎日の生活ぶりを見守り、食糧を与え、教育を与え、リクリエーション活動も行っている。財源は乏しいが――彼は逆境を生き抜くために配給やインセンティブ(報奨金)に頼っている――彼は「子ども達が安心して寝ることのできる」家を供給し、その成長を見守ることはとても重要だと信じている。

カタメア氏は政府、UNHCR、カクマ・キャンプのNGO、教会や現地のコミュニティーに感謝の気持ちを表し、「子どもの福祉の為に連携し、協力し協調して仕事をして行こうと思う」と語った。


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