移動もままならない渋滞に、難民機関UNHCRが重い腰を上げた。
2月中旬、UNHCRはNCCK(ケニアキリスト教会評議会)およびDRA(ケニア難民局)と共に、キャンプ内の渋滞緩和を実行すると宣言した。NCCKはスタッフや現場監督を派遣し、計画の実施に当たった。効果が著しかったのはグループ78ゾーン5で、認可された作業員が2007年に作られた地図を使い、手早く道路の位置を決めた。巻き尺で測って乗り物が走るのに適した道路の幅を決め、道路にかかってしまう家を取り壊し、住民を香港やゾーン2として知られるグループ26に移動させた。家の取り壊しで生じた瓦礫の山は後方に押しやり、ほどよい幅の道路用地を確保した。新しい道路は、カクマ・レストラン、卸売店、小売店、ショッピングセンター、カフェの対面に造られた。
家が取り壊された人には住居が与えられた。「我々が持っているリストに載っている全員に、新しい家を建てる。家の建設にはUNHCRがNCCRを通してスタッフを派遣、以前のグループから移転し、新しいセンターに新たな家を建てている」 NCCR現場監督のアブディ・ジャリルは、移転させられた難民全員に家が行き渡るかどうか確認しながら、終日工事を監督していた。一方、ケニア難民局(DRA)で通訳をしているアブディ・カーリフは、KANEREとのインタビューで、移動させられた人々は怒っていると打ち明けた。「彼らのほとんどは元のゾーン5が好きなんだ。新しい地域は以前の場所とは全然違う」
荷物と人を移動させる経費はUNHCRが出し、移転先にトラックで運んだ。以前から、道路の渋滞や場所の狭さ、劣悪な衛生状態については、コミュニティーリーダーがたびたび報告していた。
この取り壊しと移転の影響を受けた難民たちが、KANEREに思いを語ってくれた。移転はそれほど嬉しいことではないが我慢しなければならないと思っている人もいれば、移転先には近所を自由に動き回れるスペースがあると喜んでいる人もいる。ゾーン5グループ78のサイド・モハメッドは、道路ができたことについて、「今では病人を病院に連れて行くのに大通りまで出やすくなったし、それぞれの家族はゲートつきの専用区画を持っている。以前は、地元行政機関近くのバス停に行くのにも、ぐるぐる回り道をしなければならなかった。以前は夜だろうが何だろうが、他人が家の中をずかずかと通って行ったが、今はそういうこともなくなって嬉しい」
移転先の難民はKANERE記者に、カクマ1に比べてこの地域には水が十分あるのはありがたいが、安全が確保されていないのが不満だと述べている。イドリ・モハメッドは「ここでは騒ぎもあまり起きず静かだ。ゾーン5のように水を買う必要もなくなったが、水くみ場が遠い人たちもいる」と言っている。しかし別の移転したメンバーは口をそろえて、この場所は吹きさらしで柵もなく、家を離れる時に守ってくれるものが何もないから、元のゾーンに戻った人達もいると言った。「配給された食糧を売って、自分たちの区域に柵を作る努力をしてきた。自分たちの区画を守ろうと、グループで周囲に柵を作った。柵を作るために地元トゥルカナの女性に現金や食料品を渡したこともある」と話してくれたのは、グループ45の住人、アーマドノール・アダムだ。
移転した難民たちによれば、夜、何者かが襲撃してくるという。襲撃してくるのは近くの地元コミュニティーからやってくる泥棒だが、近くに警備員はいないし、助けを求めたくても新しいグループには無線機もない。モハメッド・イブラヒムがKANERE記者に語ったところでは、泥棒は川を渡ってやってきて、警察やGSU(ケニア警察の一般サービス隊)が夜のパトロールを終えた後、石を投げてくることもあるという。
移転した難民の一部は、商売に影響が出たり、毎日カクマ1のマーケットまで行き来しなければならなかったりするのは大きな問題だと言っている。新しい場所にはまだきちんとしたマーケットがない。
2月中旬、UNHCRはNCCK(ケニアキリスト教会評議会)およびDRA(ケニア難民局)と共に、キャンプ内の渋滞緩和を実行すると宣言した。NCCKはスタッフや現場監督を派遣し、計画の実施に当たった。効果が著しかったのはグループ78ゾーン5で、認可された作業員が2007年に作られた地図を使い、手早く道路の位置を決めた。巻き尺で測って乗り物が走るのに適した道路の幅を決め、道路にかかってしまう家を取り壊し、住民を香港やゾーン2として知られるグループ26に移動させた。家の取り壊しで生じた瓦礫の山は後方に押しやり、ほどよい幅の道路用地を確保した。新しい道路は、カクマ・レストラン、卸売店、小売店、ショッピングセンター、カフェの対面に造られた。
家が取り壊された人には住居が与えられた。「我々が持っているリストに載っている全員に、新しい家を建てる。家の建設にはUNHCRがNCCRを通してスタッフを派遣、以前のグループから移転し、新しいセンターに新たな家を建てている」 NCCR現場監督のアブディ・ジャリルは、移転させられた難民全員に家が行き渡るかどうか確認しながら、終日工事を監督していた。一方、ケニア難民局(DRA)で通訳をしているアブディ・カーリフは、KANEREとのインタビューで、移動させられた人々は怒っていると打ち明けた。「彼らのほとんどは元のゾーン5が好きなんだ。新しい地域は以前の場所とは全然違う」
荷物と人を移動させる経費はUNHCRが出し、移転先にトラックで運んだ。以前から、道路の渋滞や場所の狭さ、劣悪な衛生状態については、コミュニティーリーダーがたびたび報告していた。
この取り壊しと移転の影響を受けた難民たちが、KANEREに思いを語ってくれた。移転はそれほど嬉しいことではないが我慢しなければならないと思っている人もいれば、移転先には近所を自由に動き回れるスペースがあると喜んでいる人もいる。ゾーン5グループ78のサイド・モハメッドは、道路ができたことについて、「今では病人を病院に連れて行くのに大通りまで出やすくなったし、それぞれの家族はゲートつきの専用区画を持っている。以前は、地元行政機関近くのバス停に行くのにも、ぐるぐる回り道をしなければならなかった。以前は夜だろうが何だろうが、他人が家の中をずかずかと通って行ったが、今はそういうこともなくなって嬉しい」
移転先の難民はKANERE記者に、カクマ1に比べてこの地域には水が十分あるのはありがたいが、安全が確保されていないのが不満だと述べている。イドリ・モハメッドは「ここでは騒ぎもあまり起きず静かだ。ゾーン5のように水を買う必要もなくなったが、水くみ場が遠い人たちもいる」と言っている。しかし別の移転したメンバーは口をそろえて、この場所は吹きさらしで柵もなく、家を離れる時に守ってくれるものが何もないから、元のゾーンに戻った人達もいると言った。「配給された食糧を売って、自分たちの区域に柵を作る努力をしてきた。自分たちの区画を守ろうと、グループで周囲に柵を作った。柵を作るために地元トゥルカナの女性に現金や食料品を渡したこともある」と話してくれたのは、グループ45の住人、アーマドノール・アダムだ。
移転した難民たちによれば、夜、何者かが襲撃してくるという。襲撃してくるのは近くの地元コミュニティーからやってくる泥棒だが、近くに警備員はいないし、助けを求めたくても新しいグループには無線機もない。モハメッド・イブラヒムがKANERE記者に語ったところでは、泥棒は川を渡ってやってきて、警察やGSU(ケニア警察の一般サービス隊)が夜のパトロールを終えた後、石を投げてくることもあるという。
移転した難民の一部は、商売に影響が出たり、毎日カクマ1のマーケットまで行き来しなければならなかったりするのは大きな問題だと言っている。新しい場所にはまだきちんとしたマーケットがない。
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