カクマの難民や人道支援団体が集い、踊って難民の日を記念した。
6月20日(金)は世界難民の日だった。戦争、暴力的紛争、迫害によって自分の家を離れざるを得なくなった数千万人の難民の状況に、目を向けるための日である。
すべての難民、また亡命を希望する人は今日も、安全、援護、生きるチャンスを求めて国境を渡っている。ことしのテーマは去年と同じく、「争いによって引き裂かれた家族は、たとえ一家族であっても多すぎる」だった。
【写真】会場までの道
カクマ難民キャンプ設立から23年経っているが、その間ずっと難民の日はキャンプ内のネパタ運動場で開催されてきた。ことしは初めて、キャンプ外のカレムチャチ青年センターでの開催となった。会場まで長い道のりを歩かねばならず、キャンプに住む多くの人は参加しなかった。
ただし例年と比べ、会場以外に特に変わったことはなかった。終わりの見えない場所に住み続けるのはもうたくさんだという、期待と希望とその空しさを難民たちは表現した。
エチオピア人オロモ族のワクォさんは、「わたしたちは、食糧や保護、永続的な解決を切望してきましたが、今もって解決していません」と話した。
【写真】母国のダンスを披露
今回の式典はUNHCRと関連団体、また難民の共同体によって企画された。難民は国籍ごとにテントを与えられ、そこでダンスを披露した。母国の国旗を掲げたテントもあった。人道支援団体は、自らの支援や活動を発表した。
ケニア内務大臣オレ・レンク氏によるスピーチは、難民評議会代表によって読まれた。内容は、ケニアは難民に関する国際法を順守し、難民を保護するというものだった。「難民である状態は永久的なものではなく、一時的な状況です。(ソマリア人)難民たちに自発的に母国に帰るよう依頼しています」というくだりもあった。
ケニア政府内務省によれば、20万人のソマリア人難民は帰国する準備ができているそうである。
例年通り、カレムチャチではたくさんの活動が行われた。難民たちの団体はダンスや語、音楽で来客をもてなした。
また政府高官によるスピーチもあった。今回の記念式典にはアメリカのロバート・ゴデック大使、イギリスのクリスチャン・ターナー大使のほか、セネガル、日本、ウガンダなどの大使も出席した。ケニア政府内務省や地元の東トゥルカナ郡の関係者も出席していた。
【写真】海外代表によるスピーチ
ゴデック大使は、「現在4500万を超える人々が戦争、紛争、迫害によって母国を離れています。難民を支援するのは、国際的な義務であります」と語った。
ゴデック大使によると、アメリカ政府は世界中の難民支援のために先頭に立って活動している。28万人の難民がアメリカに再定住を求めただけでなく、2013年には世界の難民のために100億米ドルを寄付したそうだ。
日本の岩谷滋雄大使は、「わたしは2001年には南アフリカにいましたが、難民キャンプを訪問したのは、今回がはじめてです。連帯の気持ちをもって、皆さんと立ち上がります」と言った。
イギリスのクリスチャン・ターナー大使によると、イギリス政府はことし、ケニアでの難民に関する支援活動に1000万米ドルを寄付したそうである。大使はUNHCRに対し、ウサラマ・ウォッチ作戦に関してもっと積極的に難民の権利を守るよう促した。「強制的な移住には反対します。ケニアからの難民がもっと大勢、再定住できるように、尽力します」
カクマの難民たちの多くが、キャンプという構造に組み込まれたまま、ただ待つという人生に行き詰まりを感じている。「カクマに来たのは1997年です。期待して待っていますが、何も得られません。待っていても何も変わらないのです」とソマリア人のモハマドさんは言う。
6月20日のUHHCR報告によると、自らの希望に反して母国を離れた人の数は2013年末で5120万人に達している。これは2012年末についての同統計の4520万人を600万人上回るものである。
世界記録をもつ長距離走者、また平和活動家であるテグラ・ロルペさんはスピーチで、「ケニアにいる難民のために、さらなる支援を呼びかけていきます」と伝えた。
アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、「国際社会は違いを乗り越え、南スーダン、シリア、中央アフリカ共和国などの争いを解決していかなければなりません。これまで支援をしてこなかった者も、一歩踏み出す必要があります。コロンビアやスペイン、南アフリカや韓国ほどの人口が、母国を離れざるを得ない状況にあるのですから」と話した。
UNHCRの下にいる難民のうち、もっとも多いのはアフガニスタン人、シリア人、ソマリア人である。この合計は、世界中の難民人口の半分を超える。
6月20日(金)は世界難民の日だった。戦争、暴力的紛争、迫害によって自分の家を離れざるを得なくなった数千万人の難民の状況に、目を向けるための日である。
すべての難民、また亡命を希望する人は今日も、安全、援護、生きるチャンスを求めて国境を渡っている。ことしのテーマは去年と同じく、「争いによって引き裂かれた家族は、たとえ一家族であっても多すぎる」だった。
【写真】会場までの道
カクマ難民キャンプ設立から23年経っているが、その間ずっと難民の日はキャンプ内のネパタ運動場で開催されてきた。ことしは初めて、キャンプ外のカレムチャチ青年センターでの開催となった。会場まで長い道のりを歩かねばならず、キャンプに住む多くの人は参加しなかった。
ただし例年と比べ、会場以外に特に変わったことはなかった。終わりの見えない場所に住み続けるのはもうたくさんだという、期待と希望とその空しさを難民たちは表現した。
エチオピア人オロモ族のワクォさんは、「わたしたちは、食糧や保護、永続的な解決を切望してきましたが、今もって解決していません」と話した。
【写真】母国のダンスを披露
今回の式典はUNHCRと関連団体、また難民の共同体によって企画された。難民は国籍ごとにテントを与えられ、そこでダンスを披露した。母国の国旗を掲げたテントもあった。人道支援団体は、自らの支援や活動を発表した。
ケニア内務大臣オレ・レンク氏によるスピーチは、難民評議会代表によって読まれた。内容は、ケニアは難民に関する国際法を順守し、難民を保護するというものだった。「難民である状態は永久的なものではなく、一時的な状況です。(ソマリア人)難民たちに自発的に母国に帰るよう依頼しています」というくだりもあった。
ケニア政府内務省によれば、20万人のソマリア人難民は帰国する準備ができているそうである。
例年通り、カレムチャチではたくさんの活動が行われた。難民たちの団体はダンスや語、音楽で来客をもてなした。
また政府高官によるスピーチもあった。今回の記念式典にはアメリカのロバート・ゴデック大使、イギリスのクリスチャン・ターナー大使のほか、セネガル、日本、ウガンダなどの大使も出席した。ケニア政府内務省や地元の東トゥルカナ郡の関係者も出席していた。
【写真】海外代表によるスピーチ
ゴデック大使は、「現在4500万を超える人々が戦争、紛争、迫害によって母国を離れています。難民を支援するのは、国際的な義務であります」と語った。
ゴデック大使によると、アメリカ政府は世界中の難民支援のために先頭に立って活動している。28万人の難民がアメリカに再定住を求めただけでなく、2013年には世界の難民のために100億米ドルを寄付したそうだ。
日本の岩谷滋雄大使は、「わたしは2001年には南アフリカにいましたが、難民キャンプを訪問したのは、今回がはじめてです。連帯の気持ちをもって、皆さんと立ち上がります」と言った。
イギリスのクリスチャン・ターナー大使によると、イギリス政府はことし、ケニアでの難民に関する支援活動に1000万米ドルを寄付したそうである。大使はUNHCRに対し、ウサラマ・ウォッチ作戦に関してもっと積極的に難民の権利を守るよう促した。「強制的な移住には反対します。ケニアからの難民がもっと大勢、再定住できるように、尽力します」
カクマの難民たちの多くが、キャンプという構造に組み込まれたまま、ただ待つという人生に行き詰まりを感じている。「カクマに来たのは1997年です。期待して待っていますが、何も得られません。待っていても何も変わらないのです」とソマリア人のモハマドさんは言う。
6月20日のUHHCR報告によると、自らの希望に反して母国を離れた人の数は2013年末で5120万人に達している。これは2012年末についての同統計の4520万人を600万人上回るものである。
世界記録をもつ長距離走者、また平和活動家であるテグラ・ロルペさんはスピーチで、「ケニアにいる難民のために、さらなる支援を呼びかけていきます」と伝えた。
アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官は、「国際社会は違いを乗り越え、南スーダン、シリア、中央アフリカ共和国などの争いを解決していかなければなりません。これまで支援をしてこなかった者も、一歩踏み出す必要があります。コロンビアやスペイン、南アフリカや韓国ほどの人口が、母国を離れざるを得ない状況にあるのですから」と話した。
UNHCRの下にいる難民のうち、もっとも多いのはアフガニスタン人、シリア人、ソマリア人である。この合計は、世界中の難民人口の半分を超える。
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